第4話 振り出しに戻る
「どうして、俺たちは元の姿に戻ったはずでは……」
「あれは夢だった、のか」
目を覚ました二人は自分たちの姿を見てショックを受けていた。せっかく念願の自分の本来の姿に一瞬でも戻れていたのだから、また子供の姿に戻っているという現実にショックを受ける気持ちは理解できる。ちなみに彼らは起きてすぐに、近くに置かれていた彼らがもともと来ていた服を身に着けた。
「も、もしかして、犯人は折笠先生……」
「お前、先生として最悪だな」
何とでもいうがいい。これで私は彼らの心配をせずに家に帰ることが出来る。いや、子供を深夜に歩かせることの倫理性をすっかり忘れていた。
「私は仕事をさっさと終えて家に帰って寝たい。しかし、君たちをこのままその姿で家に帰すわけにはいかない」
「いきなり何を」
「だから、如月君。ここはひとつ、その姿でも仕事の後片付けを手伝ってくれたまえ。そうしたら、私は君を家まで送り届けるから」
改めて壁時計に目を向けると、私が時計を確認してから20分が経過していた。このままダラダラしていたら、すぐに11時を回ってしまう。このままでは退勤時間が遅いと塾運営本部に目を付けられる。基本的に夜の残業は推奨されていない。
「わかりました」
如月君は私の真剣な表情と教室の様子を見て現状を理解したようだ。大きなため息を吐きながらも、面談室から出て生徒のカリキュラムに目を通し始めた。
「愛斗君も家に送ろうか?」
「迎えを頼むから大丈夫だ」
私と愛斗君も面談室を出る。私も如月君と同じようにカリキュラムを見ながら次の課題を書き込んでいく。手を動かしながら愛斗君に視線を向けると、ポケットに入れていたのか、スマホを取り出して誰かに連絡を取り始める。
「もしもし、愛斗だけど、話は終わったから迎え頼む」
「わかった。とりあえず、元に戻る方法は見つかった。いや、また子供の姿に戻ってしまった。ああ、大丈夫だ」
電話の相手は兄夫婦だろうか。自分の秘密を共有できる相手が居るのは良いことだ。迎えに来てくれるのなら問題はない。
如月君と二人がかりで行ったため、10分ほどで仕事は片付いた。ようやく帰宅できる。タイムカードを切ってパソコンの電源を落とす。椅子に座ったまま大きく伸びをしていると、熱い視線を感じた。
「折笠先生、俺は」
「先生、迎えが来たので帰ります。ああ、今度の土曜日、予定はありますか?元の姿に戻る方法とか聞きたいことがあるんですけど」
視線の正体は如月君だった。しかし、如月君が話しかけていたのに途中で愛斗君が割り込んできた。教室の外に車のヘッドランプが見えている。
「土曜日は塾があるから……。日曜日なら大丈夫だよ」
「俺も日曜日なら空いています。愛斗君さん、俺も先生と同伴してもいいですか?」
「いいよ」
愛斗君はウインクしてそのまま教室をでていった。かっこよく決めたつもりだが、私には萌えでしかない。少年がウインクしてくれるなんてなんて尊い、この世界。
「帰っていきましたね。先生、顔……」
しまった。にやけていたら、その顔を如月君に見られてしまった。慌てて頬を抑えて元のまじめな顔に戻そうとしたが、あきらめの表情を浮かべる少年には効果がなかった。
「帰ります」
「送っていくって」
「遠慮します」
「もしかして、私が如月君を襲うと思ってる?それなら誤解。私は世間で捕まる性犯罪者とは違って、少年たちに手は出さずに遠目から眺めるのが好きなだけだから」
「それもきもい」
あきらめの次は軽蔑の視線をむけてくるが、それでも私は如月君を送ることをあきらめない。彼が成人男性なら勝手に帰ってもらって構わない。しかし、今は中味は大人だとは言え、見た目は小学生の子供だ。
「まあまあ、私は今の如月君の事を考えて言っているんだよ。もし、帰りに警察に遭遇したらどうする?今の君は身分証もないし、保護してくれる人もいない。厄介だと思わない?あとは不審者に出くわす可能性もある。その場合、その小さな身体で対抗できる?」
私の心配は如月君に伝わったようだ。私と教室の外に交互に視線をむけて悩んでいる。その間に私は荷物をまとめて如月君の返答を待つ。
「わ、わかりました。今日は折笠先生の言葉に従います。家までよろしくお願いします」
「かしこまりました」
私たちは教室をでて戸締りをして塾を出た。駐車場に停められていた車を動かし、如月君を乗せてその場を離れた。空は星一つない真っ暗な闇が広がっていた。
如月君の家は塾から車で10分ほどの場所にあった。大学生でひとり暮らしをしているらしい。そこまで歩いて帰らせていたかもしれないと思うと怖くなる。本当に車で送ることが出来て良かった。
「じゃあ、また今度。塾の方はしばらくシフトを入れないようにしておくよ」
「すいません、お願いします。その、もしよろしければ……」
アパートの前で車を停めて見送ろうしたが、如月君に腕をつかまれた。何か頼みがあるようだ。少年の姿で心細い気持ちはわかるが、私は実家暮らしで家に帰らないと親に怪しまれてしまう。泊ってほしいといわれても、申し訳ないがお断りである。
「いえ、ヤッパリいいです。こんなことを赤の他人の先生に頼むことは」
「確かに如月君と私は赤の他人です。ですが、今は緊急事態。頼れるものは他人でも使った方がいいと思います。私は少年の頼みなら何でもききま」
「帰ってください!」
つい、興奮して如月君の顔に近付いて息まいてしまった。ぐいぐいと手で顔を押されてしまう。如月君は顔を真っ赤にしていた。少年の姿でお願いされて興奮してしまった。よく考えたら、少年姿だとは言え、如月君はうら若き大学生だった。そう考えると、急に自分の行動が恥ずかしくなる。
「ご、ごめんね」
「いや、その……」
私のような年上のおせっかいおばさんが顔を近づけて迷惑だったかもしれない。
「じゃあ、日曜日に愛斗君も交えて今後の事を話そうか。ここに迎えに来ればいいかな?」
「お、お願いします」
如月君がアパートの自分の部屋に入るのをしっかり見届けてから、私は自宅に向けて車を走らせた。家に着いたのは日付をまたぐぎりぎりの時間だった。
「ただいま」
「おかえり。ずいぶんと遅かったけど、なにかあった?」
「いや、ちょっと面倒な生徒がいて、本部に連絡していて遅くなった」
「そう、それならいいけど。気を付けなさいね。夜遅い仕事なのは仕方ないけど、睦月は女の子なんだから」
「わかってる」
家に帰ると、母親が出迎えてくれた。そして、帰りが遅かったことを心配してくれた。私だってこんな遅い時間まで仕事したくはない。だからと言って今の仕事を続ける限り、帰りが深夜近くになるのは避けられない。仕事自体が嫌なわけではないので我慢して働くしかないだろう。
今日はとても疲れた。母親におやすみと挨拶して急いで寝る支度を始める。父親は既に寝てしまったようで、私が帰宅しても寝室から顔を出さなかった。
(そういえば、お母さんに家に来た謎の女性のこと聞くの忘れた)
ぐうう。
深夜に私を訪ねてきたのが気になる。しかし、今考えることではない。いつもなら塾の開講時間前に夕食を取っているのに、今日は如月君の登場で取り損ねてしまった。塾には夕食の時間でも生徒たちがやってくる。むしろ、その時間に来る生徒が多い。そのため、世間の夕食時間に合わせて食事をとることはできない。
夜8時以降の食事は身体によくないと聞いたことがある。時刻は日付をとうにまたいでいる。仕方ないので、空腹を耐えて私は寝ることを優先した。
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