後編

 翌日、バイキング形式のモーニングで、普段と変わらないごはんと納豆、味噌汁だけを選んで食べた。その後、ホールで添乗員から何やら説明があるというので出向い た。

 皆が揃ったところで添乗員がやって来て、本日の予定の発表があった。対岸への到着は正午。それまでの間は基本的に自由だが、自室にあるテレビモニターをつけて、二時間程度の番組を観る事が推奨された。

解散後、俺はしばらくデッキで青空と河の風景を堪能した後、自室に戻りテレビの電源を入れた。あちらへ着いてからの注意事項などだろうと思っていると、どうやら映画のドラマらしかった。

 映画はサラリーマン物で主人公は中小企業の営業マンだった。どこにでもいるような男であまり要領のいいタイプとはいえない地味で冴えない感じだった。演じている役者は以前見た事のある人で確か既に亡くなっている方だった。社内の脇役も確か、俺が子どもの頃に活躍していた役者達だった。おそらく昭和の頃の映画だろうと思っているとパソコンとかスマホが出てきて、ここ数年の間に撮影された感じがして異様だった。

 “アッ”と思った。ドラマの上司が俺の名を呼んだのだ。呼ばれてドラマの主人公が上司の元へ行く。主人公は偶然にも俺と同じ名前なのだ。

この冴えない主人(俺と同じ名前である)田辺雄一郎の様々なドジエピソードを笑いと共に描いているが観ているうちに脂汗がどっと出てきた。これは俺自身の話だった。正直、うだつが上がらず、上司から叱られていてばかり。出世争いでは同僚に後れを取りそれどこらか後輩にもスイスイ抜かれる始末。言わばお荷物的存在。かといって転職する勇気もなく、その会社にしがみついているしかないのだ。


 また、容姿にも自信がないので恋愛も上手く行かなかった。それでも一度だけ告白し「つきあって下さい。」と言った相手が社内にいたのだ。ただ、残念な事に彼女は既に社内の別の男性と婚約中だった。これは皆には周知の事だったのだが、情報に疎い田辺は知らずに告白したのだった。この事はいつの間にか社内で知れ渡ることとなり、皆の失笑を買った。これは田辺にとってトラウマ級の失態で黒歴史だった。それ以来、恋愛は出来なくなった。そんなことまでドラマで見せられて(これは拷問だな)と俺は思った。


 また、生活はいつも困窮していた。給料をきちんと頂いている上に独身であるから、貯金をたくさん待っているはずだが、学生時代の友人の借金の保証人になった途端、その友人が逃げてしまい多額の借金を負う羽目になってしまったのだ。その上、田舎の両親に仕送りもしていたのだから、自分の為に使う金は僅かばかりだった。

全くなんというか、生きるのに精一杯という感じで、不器用としか言いようがないのだが、それでもなんとか前を向いて生きていこうとする姿が前半で描かれていた。俺は苦い汁を飲まされているような気分だったがその反面、役者が演じているせいか客観的な視点で己の半生を見つめ直す事も出来ていた。


 映画の後半は前半で描かれていた田辺のドラマを逆の立場から描かれていていた。

 勤めていた会社の中には田辺の愚直なまでの真面目さを認めていた上司もおり、器用に立ち回れない彼をそれとなくサポートしているのだった。又、彼が休みの時には回らない仕事も多々あり、その様な時は田辺の存在のでかさを実感した同僚や後輩もいたのだった。

 

 田辺に告白された女性も、その時こそ困惑したが、結婚してから今現在まで、その事を良い思い出として、ずっと憶えており、たまに思い出すと何か温かい気持ちになるのだった。


 田辺が保証人になった友人はその後を痛恨の思いで生きていた。できれば田辺に謝罪してお金を返したいという気持ちは嘘ではなかった。だが、それをするにはあまりにも悲惨な人生でどうにも出来ないでいた。その様子を見て俺は許そうと思った。


 また、両親は田辺の経済的援助のおかげで老人介護施設を利用する費用を捻出する事ができた。両親は息子から振込された金額を通帳を見てはいつも手を合わせていた。    「良かった。本当に良かった。」

俺の人生は、けして無駄ではなかった。全てが報われた気がした。

 その後、ドラマは田辺の唐突な死で終わりを迎えた。自宅アパートでの突然死でまだ五十六才だった。


 観終えると昨日までの虚しい気持ちは消えていた。経験してみたかった事はこの島で出来たし、もう未練はなくなっていた。穏やかな心で俺は船に戻った。程なく乗客が全員戻った。皆、これ以上、ここにいても仕方ないと思ったようだった。予定の時刻より早く出航の合図の汽笛が鳴った。船は向こう岸に向かって静かに出航した。

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出航 光河克実 @ohk0165

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