《第1章》蛾嬢様

〈第1話〉ちょっと怠惰な令嬢

 退屈だわ。退屈で仕方がないわ。

 一体いつになったら彼は来るのかしら。

 ……自室でずっと待ってるのも、時間が勿体ないわね。

 ゆっくりと立ち上がり、屋敷の庭に行った。


 小鳥のさえずりを聴いていると、心が落ち着くものね。青い蝶が飛んでいて、花の蜜を吸っているものもいる。

 特に綺麗なのは、この一輪のバラ。

 茜色の、美しいバラ。


「お嬢様? どこにいらっしゃるのですかー?」

 ……せっかく優雅な時を過ごしているというのに、何かしら。

「お嬢様ー? オリヴァー様がいらっしゃいましたよー?」

 やっと来たわね……。遅過ぎじゃないかしら?


「はァ……。全く、お嬢様を待たせないでほしいわ」

 立ち上がり、屋敷の中に戻ろうと体の向きを変えて歩き出した──その時。

「お嬢さんお嬢さん、綺麗なバラはいかが?」

 飛び上がりそうなほど驚き、バッと振り返る。

「お嬢さん、綺麗なバラはいかが?」


 私の後ろには、誰もいなかった。

 あるのは、一輪のバラのみ。

 透き通った綺麗な声は 同じ言葉を繰り返している。

「綺麗なバラはいかが?」

「……だ、誰なの……? どこに、いるの……?」

 すると、誰かから返事が返ってきた。

「お嬢さん、私はとても美しいだけじゃないの。天国の花畑のような香りで、どんな人でも楽しい気分にさせられるのよ?」

「……楽しい、気分……?」

 少し興味を引かれて、声のある方へ歩み寄る。

「……もしかして、あなたが喋っているの?」


 私は小さなバラに、そっとささやきかけた。

 すると、驚くことにそのバラから言葉が返ってきた。

 「お嬢さん、そうよ。さぁ、私の匂いを嗅いでみて?」

 バラは一層輝きを増し、誘うように揺らいだ。

 そのあまりの美しさに、私は顔を近づけそうになったが、ふと嫌な予感がして後ずさった。

「お嬢さん、どうしたの?さぁ早く」

「あなた……、何者……?」

 私が怪しんでいることに感づいたのか、小さなバラの態度が変わった。

「お嬢さん、そんなことはどうでも良くってよ?早く匂いを嗅ぎなさい?」

 美しい声のはずなのに、まるで恐ろしい怪物のように聞こえてきた。

 やはり、これは罠だ。

 「……ど、どんなインチキを使ってるのか知らないけど、私を惑わすのはやめなさい……?」

 恐怖を感じた私は、さらに後ずさる。

 バラから発せられるオーラはさらに強さを増し、庭全体が薄暗くなってきた気もした。

 「お嬢さん、お嬢さん? お嬢さん?? お嬢さん!! ほら早く! 早く私の匂いを嗅いで!? 嗅いでくださいな!??」

 バラは狂気に満ちた声で叫び、先ほどまでの優雅な雰囲気は跡形もなく消え去っていた。

 「……ッ!!?」

 私は声にならぬ悲鳴を上げた。

 何故なら、私の後ろには──

 「お嬢さん!? ほら早く!?? 早くしないと私の棘があなたを串刺しにします! 串刺しにします??!!!」

 大きな棘が私のすぐ背後に迫っていた。

 急いで前方に倒れ込むように逃げ、バラに近寄る。


 殺される——!

 生まれて初めて、『死の恐怖』を感じた。

 バラの方に逃げたものの、結果は分かっていた。

 そう、どの道死ぬ!


 このバラの匂いを嗅いでも、恐らく死ぬ。このオーラが物語ってる!

 だからと言って、このままじっとしていても、棘に刺されて死ぬ!

 —―それなら、せめて!


「お嬢さん!! お嬢さん!!!」

「うるさいわよ!!!」

 私はバラの付け根を手で掴み、強く引っ張った。

 「お嬢さん!!? 何をするのですか!? 私を引っ張らないでください!??」

「お黙りなさい!! あんたに殺されるほど私はか弱じゃないのよ!!」

 さらに強く引っ張り、バラの悲鳴はより大きくなる。

 「お嬢さんお嬢さん!!?やめなさい!やめなさい!!! ……やめろ!!! 汚い手で私を触るな!! やめろ! やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉおおおおおおお!!!!──」


「——や…めろ…………」


「──抜けた!!?」

 私は勢い余って ひっくり返った。

 抜けたのだ、バラが。

 抜けたバラはたちまち黒く枯れ、崩れていった。

 やがてただの黒い灰となる。


 「……助かったのよ、ね……?」

 辺りを見回すと、先ほどまでの大きな棘は消えている。

 何事もなかったかのように、小鳥がさえずっている。

 蝶も飛んでい

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