第6話ポートレート
「ただいま」
「おかえりー」
リビングに入ると、お母さんが壁に向かって何かをしていた。
「何してんの?」
私は麦茶をコップに注ぎながら、お母さんに尋ねる。
「んー? 懐かしいものを見つけてちょっとね。よし!」
お母さんは何か作業を終えると、腰に手をあて満足そうに頷いた。
「ちょ、それって」
私は壁を見ると、持っていたコップを置き、焦りながらお母さんの方へと駆け寄った。
「なんで!」
壁には私が中学一年生の時に描いて、唯一入賞した絵が飾られていた。
「麻衣の部屋を掃除した時たまたま見つけてね。なんかもったいないじゃない」
お母さんは何も悪びれた様子もなく言う。
「いや、そんなのいいから!」
たまたまなはずがない。何故なら、目に触れないようにクローゼットの中に入れておいたのだから。
今の私の気持ちは、落としたラブレターが黒板に張り付けられて、クラスメイトに晒されているくらいの恥ずかしさがあった。いたたまれなくなった私は、飾られた絵を取り外そうと必死になる。
「良い絵じゃない。テーマは確か……」
「勝手なことしないで! てか、たまたまっておかしいから、そんな」
「私の大好きなものだったかしら」
絵を慌てて取り外そうとしていた私の体がピタリと止まる。私は、壁にかかった絵に静かに目を向ける。
絵の内容は、私の一人称の視点から、私が絵を描いているときに見えている景色を描いたものだった。絵の中には維人もいた。維人が私の隣で、嬉しそうに私が絵を描いているところを見ている。
私は二年振りに自分の絵と向き合った。
「昔の麻衣は、完成した絵や描いているところを見てもらうのが好きだったわよね。今は自室にこもって一人で描いているようだけど」
お母さんが少しあきれた口調で言う。
「そうだっけ……」
お母さんの言葉が、私の全身を隅々まで流れる血液のごとく駆け巡る。そして、呼応するかのように私の心臓が高鳴っていた。
私が絵を描く理由は、自分のためではなかった。正確に言えば自分のためなのだが、根底にあるのは私の絵を見て、誰かが笑顔になるのが好きだった。だから私は、自分が絵を描いている風景を絵にした。
無理やり忘れようとしていた。私は絵が描けなくなったことを、心のどこかで維人のせいにしていた。そして、維人をつらい目に合わせてしまったという罪悪感を、絵を描くことのせいにしていた。
違う、全部私だ。分かっていたのだが、分かりたくなかった。いつも逃げて先延ばしにしようとする私が嫌いだ。なんでも他人のせいにする私が嫌いだ。でも、そんな嫌いな私が描いた絵はとても好きだ。全てが私自身なのだ。
逃げることは今日でおしまいにしよう。
「あ、そういえば今日宿題あるんだった」
「そう」
お母さんが静かに笑っているような気がした。私は全てを飲み込んだあと自室に戻った。
部屋に入ると、空いた窓から流れ込む風でカーテンが踊っていた。私は窓を閉めてカーテンのダンスに終止符を打つと、机に向かう。
そして、昔買った新品の筆を引き出しから取り出し、真っ白なスケッチブックを広げると、すべての感情を乗せ、久しぶりに自分との対話を始めた。
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