第3話 ヒロコちゃんの秘密

 マニータ王国から物語が追放されたのは、今から20年前のことだ。ある日、現在の国王ジェイ3世が1人の男に襲われた。その男は城に侵入し、庭を散歩中だった王にナイフを突き付けたが、側にいたネネ王妃が王を庇って大怪我をした。一命は取り留めたが、生まれつきあまり丈夫でなかった王妃は、その怪我がもとで衰弱し、亡くなってしまった。犯人の男は「王を殺さなければ蝶が滅びる」という妄想に取り憑かれており、その時ジェイ王は、人が空想にのめり込むことの恐ろしさを痛感したという。そして、国民に、空想すること及び、空想を助長する物語を禁止することを宣言した。国民は、激しく動揺したが、痛ましい事件で王妃を失った王の苦しみに寄り添うことを受け入れた。人々はジェイ王を深く敬愛していたのだ。

「でもね、困ったことになったの。レストランの味が落ちたり、あらゆる製品の質が低下したり。当然よね。空想が禁じられることで、作り手が、受け取る側の気持ちを全く考えなくなったのだから。みんな相手の心中に無頓着になってきて、一時は殺伐とした雰囲気が国中に漂っていたらしいわ。だから、その事を重く見たリョウ王子が王にお願いしたの。空想は禁じますが、推察することは許可して頂けませんか?って。それが認められて、問題は少しずつ改善されてきたみたい」

 それでもまだまだ窮屈だよね。ヒロコちゃん、辛くないの。

「推察が許されるようになったのだから、遠くない将来に物語はきっと帰ってくるわ。リョウ王子は子供たちの考える力を伸ばすことに力を入れていて、リンドウ学園という職人を育てる学校を創設なさったの。製品の品質向上が目的よ。全寮制で、そこでは広い意味での推察が許されている。監視も厳しくない。今は、職人の子弟が優先的に入学できるの。私のお兄ちゃんやいとこたちも、そこで学んでいるわ。私も小学校を卒業したらそこに行くの。いずれは、誰でも入学できるようになるんじゃないかしら」

「だから物語が戻ってきた時に戸惑わないように、すぐに楽しめるように、私、特訓しているの」

 そう言うと、ヒロコちゃんはバスケットの中から何やら取り出した。タブレットじゃない。おやつのお代わりでもない。それは、それは…!

 ノートと、ペンと、インクの入ったインク壺。

 それは、20年前にマニータ王国から姿を消した物たち。どうして君がこんな物を持っているの?

 ある時、ヒロコちゃんは、家で古いビデオを見た。そこに映っていたのは、家具職人であるヒロコちゃんのお祖父さん。家具装飾の複雑な技術を後世に残すために撮影された映像。中心に大きく写し出されたのは、お祖父さんの真剣な表情と手許。精巧で美しい模様を施す素晴らしい職人の手技。その奥に、ヒロコちゃんのお祖母さんが小さく小さく映り込んでいた。そこでお祖母さんがしていたことは…。ノートに書き物をしていたのだ。インク壺からペン先にインクを浸けて。

「それに気が付いた時、私、息が止まったわ。お祖母さんのしている事に釘付けになった。それからは、来る日も来る日もそのビデオを見続けて、ノートとペンとインク壺とは一体どんな物であるのかを観察したの。そして作ってみようと思ったの」

「紙は、生活用品に特化しているから筆記には使えない。きっとペン先で破れたり、インクが滲んだりすると思った。そこで、木材に目を付けたの。私はカンナを上手に使える。カンナの歯を調節して、薄過ぎず厚過ぎず、木を切り出すことに成功したの。家具職人の娘で良かったわ。さらに幸運なことに、私はガラス職人の娘でもある。小さな頃からガラス細工をして遊んでいたから、ガラスでペン先を作ることは出来るって信じてた。もちろん、ものすごく工夫が必要だったけれど」

「インク壺を作ることは難しくなかった。クッキー入れのミニチュア版よ。それよりも、インクを作るのにはちょっと苦労したかな。でも炭を使ったり、露草を使ったり、すみれを使ったりして何とかしたの」

 す、すごい。20年間、誰も使わなかった物、実物を目にしなかった物を、身近にある材料で作り上げただなんて。こんなことが出来るなんて。ましてや、ここマニータ王国は監視が厳しい。そして、ヒロコちゃんはまだ10歳なのだ。このことを、ご両親は知っているの?心配するんじゃないの?それから、感動し過ぎて忘れるところだったけれど、ヒロコちゃん、君は一体何の特訓しているの?

「お父さんにもお母さんにも内緒。こそこそ作ったの。特訓のことも秘密。私ね、空想する練習をしているんだ。思い付いたことをノートに書くの。空想することに慣れておけば、いつか物語が戻ってきた時に戸惑うことは少なくなるでしょ。端末じゃないから、オンラインから咎められないわ。自分の心から湧いてくる思いを表現するのよ」

 ヒロコちゃんは信じてるんだ。自由に考えることが出来て、物語を当たり前に楽しめる未来を。ところで、ヒロコちゃんはどんな事をノートに書いたの?

『ヒロコ饅頭は今、小学校という風呂敷に包まれています。けれども、2年後にはこの包みを解かれて新たな場所へ旅立ちます。風呂敷は優しくて暖かくて大好きだけど、新しい環境には胸が踊る。そこは綺麗なお皿かしら?それとも可愛い手のひらかしら?』

 …食べられちゃうよ。他にはある?

『夜にキキちゃんの目が光るのは、昼間の太陽の光を溜め込んだから。闇の中、私を導く羅針盤』

 …ポエム、かもしれない。でも、物言いがつくな。


 その日の夜、ヒロコちゃんが帰った後、僕はいつもより念入りに、空を飛ぶ練習をした。ヒロコちゃんに触発されたのかもしれない。いつまでもここにいる訳にはいかない。一応、就職先が決まっているし。ブッコロー饅頭だって新しい環境には心弾むよ。食べれられたくないけど。

 体力は順調に回復したようだ。以前と全く同じようにとはいかないが、翼に力が込められるし目眩もしない。うん。明日、お別れの挨拶をしてから家に帰ることにしよう。僕もヒロコちゃんみたいに、自分の未来に期待するぞ…と良い気分で飛んでいたら、方向感覚を失ってしまった。月は出ているけれど、木々の影に倉庫の屋根が溶け込んでしまった。真っ暗でわからない。

 すると、暗闇に光る目が2つ見えたのだ。キキちゃんだ。夜のお散歩かな。キキちゃんがいるということは近くに倉庫があるはず。ありがとう、キキちゃん。ごめんね、ヒロコちゃん。キキちゃんの目はやっぱり羅針盤だった。

 キキちゃんの目に導かれて降り立ってみると、そこに倉庫はあったがキキちゃんはいなかった。光っていたのは2つの小さな石。僕はそれを拾い上げた。


 次の日、ヒロコちゃんが珍しく走って倉庫にやって来た。とうとう、ご両親にノートとペンとインク壺の存在を知られてしまったのだという。大丈夫?叱られちゃった?

「ううん。叱られなかった。むしろ面白がっていたと思う。職人の家だから物作りには寛大なのかもしれないわね。でも、すごく心配してたわ。小学校を卒業するまであと2年、秘密を守り切れるのかって」

 そこでご両親は考えた。ヒロコちゃんを守るためにはどうすれば良いか。

「新学期からリンドウ学園に行くことになったの。2年早いけど。それで、学校の寮に入ることになったのよ。だから、もうここには来られない。ごめんなさい。ブッコロー」

 謝らないで、ヒロコちゃん。僕も家に帰ろうと思っていたんだよ。今日、ヒロコちゃんに挨拶してから出発するつもりだったんだ。

「そう。そうだったの。元気になって良かったわ。本当に良かった…。ねぇ聞いて。ペンとインク壺は溶かしてしまった。残しておくのは危ないからって、お父さんとお母さんに言われたから。ノートも燃やされるところだったけれど、森に埋めると言ってここに来たの。お願い、ブッコロー。このノートを貰ってくれない?」

 本当に僕が貰っても良いの?喜んで。必ず家に持って帰って大切にします。時々読んで笑います。実はね、僕からもヒロコちゃんに餞別があるんだ。昨日、夜の空から見つけた羅針盤です。

「羅針盤?よくわからないけど、ありがとう。可愛い石ね。大切にするわ。気を付けて帰ってね、ブッコロー。お元気で」

 こちらこそ、ありがとう。ヒロコちゃんも元気でね。


「さようなら」

「さようなら」






 



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