第2話 物語のない国

 ヒロコちゃんは本当に、毎日森にやって来た。キキちゃんと一緒に、おやつの入ったバスケットを持って。倉庫の扉を開けると、いつも決まって横になっている僕に挨拶をし、キキちゃんを自由に歩かせて倉庫内をパトロールさせる。そして、お茶とお菓子を食べる。必ず僕にも振る舞ってくれる。お腹が落ち着くと、ヒロコちゃんはバスケットの中からタブレット端末を取り出し、何やら作業をし始める。何だか、ちょっとだけ真剣さが伝わってきて笑えてきてしまう。ヒロコちゃんは、話し方も動作も全てがおっとりとしているので、真面目に集中…!という姿が、僕の目には少しちぐはぐに映るのだ。一体、何をしているのだろうか。

「これ?学校の宿題よ。私、毎日ここで勉強しているの。ブッコローが来る前からずっとよ。家でするよりもここの方が静かで集中できるから。キキちゃんをパトロールに連れて来られるし」

 慣れた手つきで端末を操りながらヒロコちゃんはそう言った。森の中の方が集中出来るだなんて、大都市のアパートに住んでいるのかな。確か、この倉庫はヒロコちゃんの家のものだって言っていた。こんなに大きくて立派な倉庫…ってことは、ヒロコちゃんは大富豪のお嬢さまなの!?

「あはは。違うわよ。お父さんが家具職人なの。お父さんの家は代々家具を作っていて、お父さんの兄弟たちもみんな家具職人よ。家の倉庫と言っても、正確にはキーザ一族の持ち物になるわね。倉庫だけでなく、この森もキーザ家の所有よ。家具を作るには木が必要でしょ。だから伐採するばかりでなく、ここに木を植えて育ててもいるの。酪農家が牧場で牛を育てるのと同じよ。家には家具工房があって、大勢の職人さんたちが木を削ったり、トンカチでトントンしたりしているからね、結構うるさいのよ」

 でも、毎日森で長い時間を過ごすなんて、お母さんが心配しないかな?

「森と言っても、あの道をまっすぐに進めば家だもの。自分の家の裏庭のようなものだから、街中でふらふらするよりもずっと安心できるはずよ。お母さんはガラス職人をしているから、私が周りでうろちょろしていても困っちゃうし」

 なるほど。ヒロコちゃんは見た目よりもずっとしっかりしているんだね。

 ヒロコちゃんが倉庫に持って来る勉強道具は、タブレット端末ただ一つ。他には、教科書もノートも筆記用具も何も持って来ない。タブレット用のペンは使っているけれど、あれでは紙に文字を書けない。この国の教育現場は、ものすごくデジタル化が進んでいるのだな。

 そんなことをぼんやりと考えながら、僕はお茶とお菓子を頂いていた。目眩や吐き気は収まってきたようだが、翼に力があまり入らないので、長距離の飛行は不可能だ。ただ、少しずつではあるが、回復に向かっていることは間違いないと思う。毎日寝てばかりであったが、倉庫の周りを散歩する余裕も出て来た。

 そんな中、ヒロコちゃんが、宿題をするために、毎日キキちゃんと顔を見せに来てくれることは有り難かった。話し相手になってくれるので気が紛れるし、一緒に食べるおやつもとても美味しくて、楽しい気分になれた。帰るに帰れないこんな状況にあって、塞ぎ込むことがあまりなかったのは、間違いなくヒロコちゃんのお陰だ。でも、ヒロコちゃんは、毎日森で宿題をして静かに過ごすなんて、つまらなくないのだろうか。もっと、小学生らしく、放課後はお友達と暗くなるまで思いっきりキャーキャー遊びたいんじゃないだろうか。

「そんなこと心配してたの?ふふふ。放課後はちゃんとお友達と遊んでるわよ。遊び終わってからここに来てるの」

「そうなんだ。良かった。お友達とはどんな遊びをするの?」

「ドッジボールとか学校の遊具とか…」

「へぇ…。鬼ごっことか、だるまさんがころんだとか、通りゃんせとかしないの?」

 ヒロコちゃん、黙っちゃった…。僕、何か悪いことでも言った?

「そうじゃなくて。どうやって説明しようかな…と思って。ブッコローが今言ったような遊びは、この国ではもう誰もしないの。どんなものか知ってはいるのよ。お父さんとお母さんに教えてもらったことがあるから。でも、今は禁止されているし」

 き、禁止ですか!子供の他愛のない遊びが制限されているなんて、それはどうしてなんだ?驚きのあまり、口をあんぐりと開けて固まってしまった僕を見て、ヒロコちゃんはため息をひとつついた。そして、ぽつりぽつりと説明をし始めた。ささやくような小さな声で。

「正確に言うとね、禁止されているのは遊びじゃなくて、空想することなの。鬼になるとか、転ばない筈のだるまが転ぶとか、通りゃんせの物語のような歌とか。現実離れした考えに結びつくようなものは全て禁止されているの」

 僕は言葉を失ってしまった。こんな、夢見る少女を地でいくような雰囲気のヒロコちゃんが暮らしている国で、空想することが禁じられているなんて。でも、そんなこと可能なのか?

「この国にはもう紙の本は存在していない。全てデジタル化されているの。デジタルにするのは、オンラインで誰がどんな物を読んでいるのかを把握できるからよ。既に物語の本は出版されていないし、過去にあった物語は、デジタル化の過程で廃棄されてしまった。もしも、誰かが物語を書き始めたら、すぐに警察に止められてしまう。何故なら、ノートもデジタル化されたから。紙のノートや筆記用具も、紙の本と同じように消えたの。誰が何を書いているのか、政府や警察は、知ろうと思えばいつでも知ることができる。空想することは厳しく制限されているのよ。だからね、想像力がかき立てられるような遊びはできなくなってしまったの」

 じゃあ、この国にはもう本は存在していないっていうこと?もしも、電子ノートに夢物語なんかをうっかり書いてしまったら、一体どうなるの?

「説明書とか歴史書ならあるわね。教科書も。電子書籍だけね。空想の落書きをしてしまった時は、大人なら、最初は警告があって。それが続くようなら悪質と見做されて、罰金刑とか禁固刑とか。子供の場合はもう少し軽いけど憂鬱よ。タブレットに直接、漢字ドリルや計算ドリルが送られてきてやらされるの。無視してるとお叱りのメールが届くの。余計なことを考える時間を与えないためだって」

 ……。知らなかった。この時代にそんな制度が存在していようとは。僕は空から降ってきたからわからないんだけど、ここは何という国ですか?

「マニータ王国です。他国との交流を完全に絶っている訳ではないけれど、他所から物語が入り込まないように目を光らせているわ」

 …マニータ王国には、僕の大好きなラブコメは存在していないのですね…。






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