ブッコローの本
内藤ふでばこ
第1話 見知らぬ森
真夜中の空に浮かび、みみずくの僕は今、猛烈に後悔している。なぜ前の国で旅を終えなかったのだろう。せっかくの卒業記念の一人旅だからと欲張って、隣の国に飛び込んでみようとしたらこのザマだ。何だか目が回る。気分が悪い。方向感覚も鈍ってきた。翼に力が入らない。意識が、意識が遠のいてゆく…。ちゃんと飛べているんだろうか。あれぇ…。
ドサッ、ファサッ。コロン…。……。
不覚にも落下してしまったらしい。木の枝から草の上、そして地面へと段階を踏んだみたいだから怪我はないようだが。とにかく気分が悪い。僕は一体どうなってしまったのか。何か悪い物でも食べたかな?脱力して飛び立てないから、歩くことにする。飛ばずに地面を歩いているなんて、都会の鳩みたいだ。屈辱だ。
ここはどこなんだろう。深い深い森の中であることは間違いない。木の他には何もないし、誰もいない。誰もいなくて良かったのかもな。取り敢えず身の危険はなさそうだ。どこかに落ち着ける場所を見つけて身体を休めよう。目眩がするから足元がフラついているな。あぁ、気持ち悪い。普段は丈夫な質だから、この体調の悪さに不安を感じる。それにしても森の中って静かだ。もっと鳥や獣が鳴いたりしているものだと思っていたよ。
フラフラ歩いていると、大きな建物が見えてきた。中は暗くて誰もいなさそうだ。窓は全て閉まっている。表にまわってみると、玄関は閉まっているが鍵は掛かっていなかった。中に入って休ませてもらおう。とにかく、今は体力を回復させることが肝腎だ。
どっこいしょ…。重い扉を開けるとそこには無数の木材が整然と並べられていた。どうやら材木置き場のようだ。木の匂いって落ち着くなぁ。あっ、テーブルとソファがあるじゃないか。今夜は、このソファの上で寝よう。この建物の持ち主さん、勝手に侵入してごめんなさい。僕は今、目が回って、気分が悪くて飛べないのです。元気を取り戻したらすぐに出て行きますので、僕が今夜ここで眠ることを、ソファをお借りすることをお許し下さい。お願いします。お願い…zzz
「あなた、だぁれ?ここで何をしているの?」
どのくらい眠っていたのかは定かではないのだが、次の日(多分)僕はこんな声に起こされた。ささやくような声。僕にみみずくとしての野性が残っていなければ、きっと気付くことが出来なかったであろう程の、消え入るような小さな声。声の方に目を向けると、そこに立っていたのは小学生の女の子だった。髪を後ろで1つに束ね、大きな眼鏡をかけている。手にバスケットを持ち、黒い猫を抱いていた。僕は…、僕はまだ本調子ではないのです。お願いだから、その猫ちゃんをけしかけないで…。
「勝手に入ってごめんなさい。僕の名前はR.B.ブッコロー。みみずくです。旅の途中で気分が悪くなったので、ここで休ませてもらっていました。本当です。木材には傷を付けていません」
僕は誠心誠意、謝罪をした。この僕がこんなに真面目に謝るなんて信じられない。講義に遅刻をした時も、レポートが締め切りに間に合わなかった時も、のらりくらりとかわしてきたこの僕が。
「そうだったの。私の名前はキーザ・ヒロコ。10歳です。この倉庫は私の家のものです。木材を傷めないでくれてありがとう。ところで、体の具合はどう?もう良くなりましたか?」
ヒロコと名乗るその少女は、やっぱり小さな声でそう言って心配そうに僕を眺めた。黒猫はしっかりと抱えていてくれている。
翼を広げながら、昨日よりは随分良くなりました、と言おうとしたら、フラついて転がってしまった。不本意だ…。僕は、自分で思っているよりもはるかに弱っているのだなと実感した。まだ飛べそうにないな。どうしよう。
「大丈夫?ブッコロー。無理しないで。元気になるまでここで休んでいくと良いわ。この倉庫には滅多にヒトは来ないから心配しなくていいの。でも、私は毎日ここに来ているから、食べ物や必要な物を持ってきてあげられるわ。どうぞ、ゆっくりしていって」
本来ならば、遠慮してさっさと立ち去るべきところなのだが、体調不良の飛べないみみずくは、優しい女の子の申し出を有り難く受け入れるしかないのであった。ヒロコちゃん、お言葉に甘えてここに居させてもらうことにするよ。飛べるようになったらすぐに出て行くからね。大切な木材には触れません。本当にありがとう。
ヒロコちゃんはにっこり笑うとバスケットを床に置き、抱えていた黒猫を放った。ひっ…!と、一瞬身構えたが、猫は僕に見向きもしないで、僕の横をすり抜け建物の奥へと駆けて行った。ヒロコちゃんは、僕が猫を恐れていることをしっかりと見逃さなかった。
「びっくりさせてごめんなさい。キキちゃんにはここのパトロールをしてもらっているの。キキちゃんが見回りをすると、ネズミや森の動物たちが居つかなくなるのよ。木材を守ってくれているの。あなたを襲ったりしないから大丈夫よ。キキちゃんは美味しいご飯を食べているし、おもちゃにして遊ぶには、あなた大き過ぎるもの」
ヒロコちゃんはバスケットの中から何やら取り出し、テーブルに並べ始めた。
「これからお茶を入れるから、あなたもどうぞ、ブッコロー。一緒におやつを食べましょう。少しは食べた方が元気が出ると思うわ」
水筒からマグカップに注がれたのは温かい紅茶だった。まだ湯気が出ているので、保温性の高い水筒を使っているんだということがわかる。テーブルの上の焼き菓子も手作りのようだ。美味しそうだなぁ。食欲なんてあるものか、と思ったけれど、良い匂いに誘われて食べてみたくなった。頂きます。あっ…とっても美味しい。バターの風味とちょうど良い甘さが紅茶に合う。すごく合う。こんなに優雅にお茶を頂くのはいつぶりかな。
ヒロコちゃんは、お茶とお菓子を頬張る僕の姿をじっと見つめていた。
「みみずくでも、お行儀良く食べたり飲んだり出来るのね。こんなにも器用にお手羽を使えるだなんて、知らなかったわ」
心底感心したようにそう言うと、自分もお茶を飲んだ。
こうして、僕は見知らぬ森の、見知らぬ女の子ヒロコちゃんの世話になることになった。
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