鳥山くんが直樹になった理由

 週末をのんびり過ごした梨香子りかこは、月曜日の朝、誰よりも早く会社に出勤した。もちろん、雅人のジャージを袋に入れて持ってくることを忘れずに。


「おはようございます!」


 朝も早いのでオフィスには誰もいない。そして雅人の姿もなかった。ソファーで寝ているのかと思い、パーテーションを覗いてみるが雅人はいなかった。


「あれ? いない」


 うーんと考えてみるも、これが普通なのだ。雅人もたまには家に帰って、ちゃんとした布団で眠ってほしい。だから朝に雅人がいないのは喜ばしいことなのだ。

 誰もいないうちに、ジャージのお礼を伝えたかったけれど、これはこれですごく良いことなんだと、梨香子りかこは自分に言い聞かせる。


――  よしよし。たまには家に帰りたまえ。

 

 ジャージの入った紙袋を机の下に置き、梨香子りかこは気を取り直してメールのチェックを始めた。静かな会社は作業がはかどる。


 メールは、特に重要なものはなかった。お客様からの問い合わせもない。今週は受け入れテストの週だから、何かあるとすれば…明日以降だろう。


 雅人に送ったLINEのメッセージは既読になっているものの、この週末返事は一言もなかった。もはや返事を期待などしてはいけない。

 了解とか、スタンプとか期待してみたけれど、おじさまにはきっとハードルが高いのだろう。そう思うことにした。


――  気にしない気にしない。大路おおじさんは大先輩であって、友達ではないのだから。


 脳内で、小さな梨香子りかこたちがぷりぷりしながら、変人なんて気にするな! と言っている。


――  そうだ! そうだ!


 そうこうしているうちに、海斗かいとが2番手でオフィスに入ってきた。何とも爽やかな風が吹いている。


「おはようございます!」

「おはよう! 青木さん今日はスッキリした顔をしてるね。良いよ良いよ! ゆっくり休めたかな?」

「はい。お陰様で、めちゃくちゃ寝ました」


 あははと笑いながら海斗かいとは席に着く。そして可愛い巾着に入った何かをリュックから取り出し、梨香子りかこに差し出した。


「これお土産」

「えっ? 可愛い~。どちらに行かれたのですか?」


 梨香子りかこは、開けて良いですか? といい封を開ける。可愛いリボンに包まれた巾着には、富士山の形をしたクッキーが入っていた。サブレらしい、見るからに美味しそうだ。


「可愛いでしょ? 富士山にね行ってきたんだ」

「食べるの勿体ないですね。あれ? 高橋さんって、登山が趣味なんですか?」


 梨香子りかこは意外~という顔で目をぱちくりしている。


「登山が趣味に見えるかい?」


 海斗かいと梨香子りかこの反応を楽しんでいるようだ。


「うーん。ごめんなさい。イメージになかったです」

「だよね。登山はやらないけど、富士山とか自然とか好きなんだよね。週末にバイクで山中湖に行ってきたんだよ」

「え~!? なんだか素敵ですね」


――  海斗かいとさん、アウトドアの人なんだぁ~。星が綺麗に見える場所で、海斗かいとさんとコーヒー飲んじゃったりして。えへへ。最高だろうなぁ~。(うっとり)


 梨香子りかこは不覚にもうっとりしている。そのうちヨダレを垂らすんじゃないか?


「おはようございます! 海斗かいとさん、青木さん」


 直樹なおきが、オフィスに入ってきたのだ。梨香子りかこは妄想を見抜かれた時の様に、一気に現実に引き戻され急に恥ずかしくなる。


「あれ? 青木さん何か良いことあった?」

「あ、えっと。おはよう!」

「あ、タイミング…悪かったかな?」

「そ、そんなことないよ。あ、あのね」


 挙動不審とはこうゆうことを言うのかもしれない。梨香子りかこは明らかに動揺していた。それを見た海斗かいとはクスッと笑ってしまった。そして助け船を出す。


「俺がね、お土産を渡してたんだ。ほれ、直樹なおきにもあるぞ」

「あ、ありがとうございます! 山中湖ですかぁ~良いですね。」


――  なんだ…鳥山くんにもあるのか…。ま、そうだよね。あぁ~、高橋さん、彼女さんとデートだったのかなぁ。あ、でもまさか! お子さんと!?


 梨香子りかこの消沈ぶりをよそに、海斗かいと直樹なおきはバイクの話で盛り上がっている。梨香子りかこにはさっぱりわからないけど、楽しそうな二人の姿が眩しく映る。

 それに、いつの間にか二人は、下の名前で呼びあってる。良いなぁ~なんて梨香子りかこは二人の話を聞いて思ってしまった。


――  モジャに名前で呼ばれることは絶対ないわね。


 雅人が梨香子りかこを名前で呼ぶことは今まで一度もない。常に「弟子1号」なのだから。


 そんなやり取りをしながら、平常運転が始まった。だが…その後も雅人は姿を現さない。


――  何なの? 今日はお休み?


 梨香子りかこは急にソワソワし始めた。時刻はもうすぐ11時。メールチェックもとっくに終わっている。ま、やることはあるからいいんだけど。でも梨香子りかこは雅人が気になって仕方がない。


――  どうしよう? どこかで倒れてる? もしかして、具合が悪いのに誰にも気付かれず、助けを求めてたらどうしよう…。


 さらに妄想はつづく。


――  あの体の細さだから、電車とホームの間に落ちて…、誰も助けてくれずに困ってるとか? ありえる。


 さらに妄想はエスカレートしていく。


――  まさか! 鼻の下伸ばして女の人について行って、どこかの安くて汚いホテルで悪いヤクザに脅されてるとか!? …それはないか。

 

「青木さん? どうしたの?」

「鳥山くん…。あのね。大路おおじさんに連絡がつかなくて…。ただの休みならいいんだけど~。どこかで倒れてたりしてないかな? って思って…。」


 さっきから梨香子りかこはスマホを握りしめていた。LINEも何通か送ってみたものの、既読にすらならないのだ。


「電話してみたら?」

「うーん。でもさ~、もしただの寝坊だったら…起こすのも申し訳ないじゃない?」


 直樹なおき梨香子りかこの話に割って入って来たのは海斗かいとだった。


「いつものことだから、放っておいて大丈夫だよ。そのうちふらっと来るさ」


 海斗かいとはパソコンを閉じ電源コードを抜き始める。


「高橋さん、今日はおしまいですか?」

「まさか~。これからランチミーティング」


 ノートパソコンを抱えて、コーヒーを持って立っている海斗かいとは輝いていて神々しい。(梨香子りかこの感想)


直樹なおき。後は頼んだ」


 そう言うと、海斗かいとは会議室に向かって行ってしまった。その後ろ姿をぽわぁ~んとした目で追いかける梨香子りかこ。雅人の事は、すっかり頭から消えてしまったようだ。


――  あぁ~高橋さん、カッコイイ~。彼女さんが居てもいい。奥さんとかお子さんとか沢山いてもいいのです! 私の推しです!


「青木さん」

「…」

「青木さんってば!」


 直樹なおきの声ではっとする。


「雅人さんに連絡しなくていいの?」

「雅人?」

大路おおじさんだよ」


――  そうだった…。完全に忘れてた。


「あ…、忘れてた」

「あは。青木さんってやっぱり面白いよね。ま、ほっといてもよさそうだったじゃん? 海斗かいとさんもそう言ってたし」

「う、うん。ていうか私って面白い?」


 梨香子りかこは心外です! という風に拗ねてみる。でも直樹なおきはぜんぜんお構いなしで、こう続けた。


「だって、時々どっか遠くに行ってるでしょ? なんか変なこと考えてるって感じ(笑)」

「えっ?」


――  えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ? 見透かされてる!?


 梨香子りかこは動揺を隠せない。お茶を飲む手が完全に止まった。直樹なおきはさっきからニヤニヤしている。直樹なおきの脳内の方が今、暴走しているんじゃないか? と思えるくらいだ。


「そ、そんなことないよ。普通よ普通!」

「ふ~ん。ま、いいけどさ。面接の時から見てきてる僕としてはさ、気になるよね? 何考えてるのかな~って」


――  えぇぇぇぇぇ? 面接? 何の事?


「やっぱり…。覚えてないよね」

「えっと、グループ面接?」

「そう」


 ちょっと、何のこと? あの時確かに大きいサイズの男子がいたのは覚えてるけど…。あとは可愛い感じの女子たちだったよね。


「しかたないよ。覚えてなくても」

「うぅ…ごめん」


 少しづつ記憶を遡ってみる。


 そういえば、背も高くて体も大きいビックボーイと駅まで一緒に帰った記憶と、その人のことを会社の課長さんか部長さんだと思ったことを思い出した。


「えっと?」

「僕ね。あの時から20Kg痩せたから、分からなかったよね。僕は同じ部署に配属になって、すごくうれしかったんだけど。青木さん、はじめましてって言ってた(笑)」


――  えぇぇぇぇぇっ??? 嘘でしょ? 全然面影が…。


 ただ、梨香子りかこが覚えてないだけなのだが、本当に失礼な話だ。


「鳥山くん、ごめん…ね」


 直樹なおきはケラケラ笑っている。同期の中でもクールで自分以外に興味なさそうなのに、その目はとても優し気だった。


「いいよ。そのかわり~僕の事、これからは直樹なおきって呼んでくれたら許す」

「もちろんだよ! そんなことで許してくれるなら、呼ぶ呼ぶ!」

「…」


 こうして一時、雅人は梨香子りかこの心から排除された。


――  あれ? 私なにか忘れ物してる気がする…。

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