外堀が埋まっていく!?

「あら、大路おおじちゃん、久しぶりね。ちゃんと家に帰ってるの?」

「あ~ま~、ちょっと忙しくてね」


 ここ良い? と雅人は言い、返事を待たずにいつものカウンターの端に座る。雅人が座ると同時に、熱いタオルと紙のコースターが差し出された。


「あぁ~気持ちいい」


 タオルを広げ顔を拭く雅人。オヤジだなぁ~と思われようが気にしない。


「ねぇ、先に上でシャワーでも浴びてきたら? どうせお風呂に入ってないんでしょ?」

「良いんだよ、風呂に入らなくても死にやしないさ」

大路おおじちゃん! 良いから先に浴びてきなさい。さっぱりするから。それまでに何か作っておいてあげるから」


 雅人は頭をボリボリ掻いて、しぶしぶ立ち上がる。


 そうここはこじんまりした飲み屋。ママが恋人のオーナーさんとほそぼそと運営しているお店なのだ。


 雅人はここの常連で、オーナーともいつの間にか仲良くなり、寝泊まりできる部屋まで用意してもらっている。好きな時に使って言いとも言われているし、引っ越してこい! とも言われているのだ。

 まるで息子のように可愛がってもらっている。それにママの作るつまみは絶妙で、雅人のために味噌汁とかメニューにない食事も作ってくれる。


「じゃー、行ってくる」

「髭も剃るのよ」

「へい」


 細い階段を登り、部屋の扉を開ける。部屋には店を通らないと入れないため、鍵などはかかっていない。

 雅人は勝手知ったる何とかで、入り口のカラーボックスに置かれたバスタオルと、下着一式を手に取りシャワールームへ向かった。


 この部屋は今はなにもない。雑居ビルの一角を住居として使っていたのを、オーナーとママが雅人のために空けてくれたのだ。

 ママは今、オーナーと一緒に暮らしているから、ママにとっても雅人がこの部屋を使うことは願ってもいないことなのだ。


「あぁ~気持ちがいいもんだな」


 雅人は髪、顔、体と洗い進めていく。髭を剃れと言われたものの、シェービングクリームが無いことを理由に剃るのをやめた。


 鏡を見ると、疲れて細い体が映っている。昔から太りづらい体質だったが、なんだか急に年を取った気がした。20代の梨香子りかこや、直樹なおきと比べると、おっさんの領域だ。


「はぁ~。俺も年をとったんだな」


 タオルで髪を拭き、後ろで髪を一つに結わえる。


 モジャモジャ頭は、オールバックでスッキリした。いつもはモジャモジャ頭で顔の表情をはっきり人に見せることはないが、雅人もそれなりにそれなりなのだ。


 雅人も昔はモテた時期もあった。10年以上前には彼女だという女もいたくらいなのだから。


――  昔を懐かしむようになったら、年をとった証拠だって誰かが言ってたな。ふんっ。


 雅人は想い出に蓋をして、1階に戻る。


「いい匂いだな」

「お、すっきりしてきたか?」


 カウンターには、白髪頭の男性が既にお酒を飲み始めていた。


大和やまとさん、すみません。また借りてます」


 大和やまとと呼ばれた男こそが、このお店のオーナーなのである。大和やまとは目を細めて嬉しそうに雅人に話しかける。


「いつでもいいぞ。っちゃん、洗濯してあげてよ」

「え、いいですよ。後でコインランドリー行きますから」


 遠慮するな! と雅人から洗い物が入った紙袋を奪い、倫子みちこに渡した。倫子みちこも嬉しそうに紙袋を受け取る。


「また洗って置いておくから、ちゃんとシャワーくらい浴びに帰ってきなさいよ」

「あ…。すみません」

「いいのよ」


 大和やまと倫子みちこも嬉しそうにしている。ここでは雅人も、まだまだ子どものように振舞える、貴重な場所なのだ。


 雅人も風呂上りのビールと倫子みちこの料理に舌鼓をうつ。うまいのだ。


「くぅ~。最高っすね」

「ふふふ。そうでしょ?」


 金曜日の夜だというのに、客がいないというのも不安ではあるが、もともと大和やまとが食事をするために作った店のようなものなので、特に二人とも客のすくなさを気にかけていないようだった。


「そういえば~、先日海斗かいとくんが珍しく若い男の子をつれて来てくれたの。えっと~名前は…」

「鳥山ですか?」


 あぁ~そうそう。といい倫子みちこは雅人の前に肉じゃがを用意した。この肉じゃがも最高にうまいのだ。


大路おおじちゃんところにも、若い子がついたんでしょ? 今度連れてきてよ」


 倫子みちこが楽しそうに話すから、雅人も「そのうちに」なんて曖昧に答えてみた。若い梨香子りかことここに並んで座るなんて、想像がつかない。


「でも~大路おおじちゃん、気を付けなさいよ。海斗かいとくんもまんざらじゃなさそうだったわよ。今回は本気なんじゃないかしら? その子いい娘っぽいじゃない?」

「そうなのか? じゃ~まずは私に紹介してもらわないとな。雅人今度連れてこいや」


 二人はまるで雅人の両親のように、満面の笑みを浮かべて他人事のようにニヤついている。雅人は面白くなさそうに肉じゃがのジャガイモに箸をのばした。


「ま~そのうちに。あいつは、根性だけはありそうですよ。可愛げはまったくないけど」

「また~。本当は可愛がってるんでしょ? 大路おおじちゃんの下で3ヶ月も頑張れた新人はいないじゃない(笑)」


 倫子みちこは、大和やまとにお酒を注ぐ。そしてお手製のきゅうりの糠漬ぬかづけを大和やまとと雅人の前に置く。そろそろお酒はやめて〆にしたら? という倫子みちこからの合図だ。


 雅人はきゅうりをつまみながら、残りのビールを飲み干す。


「あいつは、変わり者なんですよ。もしかしたらドMなのかも?」

「こらこら、変わり者のお前にそんな風に言われたら、その子かわいそうじゃないか」

「そうよ~。大路おおじちゃんもいいお年なんだから、この機会を逃しちゃだめ! 私たちは断然! 大路おおじちゃんを応援してるからね」


――  なんだか既に、俺があいつを狙ってるような話になってないか?


 倫子みちこにかかったら、雅人はタジタジだ。田舎の母親に言われているかのような、くすぐったい気持ちになる。


「そのうち、連れてきますよ」

「いいわね。私が大路おおじちゃんに相応しい娘か、しっかり見てあげるから、安心して!」


 雅人には雅人の都合ってもんがあるんだから…、と倫子みちこ大和やまとにたしなめられている。この二人を見ていると、夫婦という形を取らずとも幸せなのではないか? と雅人はいつも思っていた。


 それを見透かしたように、大和やまとが雅人の肩を抱き呟く。だいぶお酒がまわっているようだ。


「雅人、よく聞け! 逃した獲物は大きいと言うぞ。他の奴に取られる前に、突き進むのみ! 自分の心に素直になるんだぞ!」

「も~大和やまとさん、今夜は大路おおじちゃんとここに泊まります?」


――  やれやれ…、俺は女なんて要らないけどな。


 雅人は二人のやりとりを見ながら、スマホが気になりメッセージを確認する。そこには梨香子りかこからのメッセージが入っていた。


 真面目で、頑張り屋で、正面切って自分の意見を言ってくる梨香子りかこの顔が頭に浮かんだ。


大路おおじちゃん、何ニヤついてるの? さては…」

「ち、違いますよ」

「ふぅ~ん」


 この日、眠り込んでしまった大和やまとと一緒に、bar 倫子みちこ に泊まった雅人。倫子みちこが用意してくれた布団の上で久しぶりに人間らしい眠りにありつけたのだった。


――  海斗かいとと俺じゃ、勝敗は決まってるじゃないか。

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