初めてのキス!?

「おはよ~。あれ?青木さん…。徹夜したの?」


 爽やかに出社してきたのは、同期の直樹なおきだった。梨香子りかこは目覚めのコーヒーを飲みながら不満たっぷりの顔で直樹なおきに挨拶する。


「おはよ~。鳥山くん。顔もボロボロだし、なによりお風呂に入りたい…。臭かったらごめんね」

「えっ? 臭くなんてないけど。何で徹夜なんかしてるの? 大路おおじさんも一緒?」


 直樹なおき梨香子りかこの向かい側の席に座る。そこが彼の定位置。


「う~ん。一緒といえば一緒だけど、あそこで寝てるんだよね。人にやらせて自分は寝るって、どう思う?」


 梨香子りかこがプリプリするのを直樹なおきは面白い物でも見る様な顔で見ている。


「でも僕にとっては、青木さんの方がうらやましいな」

「え? 徹夜してるのが羨ましいの? 鳥山くん変わってるね」


 梨香子りかこは雅人を起こしにいくかどうか迷ったが、ほっておくことにした。どうせ起こしても起きないだろう。


「いや、そうじゃなくてさ。仕事を任されてるってことでしょ? 僕なんて、まだドキュメントの整理と雑用くらいだよ。青木さんには差をつけられちゃってると思うな」

「いやいや…。そんなことないよ。高橋さん優しそうじゃない? いろいろ教えてくれるしさ~。私からしたら、鳥山くんの方が断然羨ましいよ。大切にされてるっていうかさ」


 隣の芝生は青々としているものだ。そんな話をしていると、 海斗かいとがオフィスに入ってきた。噂をすればなんとやらだ。相変わらず素敵な大人って感じがする。


「お、朝から元気だね」

「「おはようございます!」」

「おや?青木さん…。徹夜したの?」


  海斗かいとが自席に座りながら、するどく梨香子りかこの服装をチェックする。こんな化粧の崩れた顔を見られたくない。


「あ、えっと」

「雅人に頼まれたのかな? そっちは納期近いからね~。でも朝早く来て対応することだってできるんだから、無理しない方がいいよ。雅人の時間軸に付き合わされると、体がもたないよ」


  海斗かいとが爽やかな顔でアドバイスをくれた。なんていい人なんだろう。雅人とは大違いだ。


――  雅人めーーーーーっ。高橋さんの爪の垢でも煎じて飲んどけーーーっ。

 

 梨香子りかこ海斗かいとにお礼を言って、またテストを続けることにした。平常心、平常心。それが大事なのだ。

 普通にテストをしていても面白くないから、デバック用にところどころメッセージを仕込む。


『テストだよぉ~ん』


 なんだかテストが楽しくなってきた。さすがに『ばぁ~か』の文字は消したけど、自己採点は良い感じ。後は変人に確認してもらえば終了。問題がなさそうだったら(まーあるだろうけど)、早めに帰らせてもらおう。


 しばらくして、雅人が眠そうな顔で戻ってきた。頭をガシガシ掻きながら、大きな欠伸あくびをしている。


「弟子1号、できたのか?」

「あ、おはようございます。はい。完璧です!」


――  挨拶もなしなんかい!? 失礼しちゃうなーっ。


「よろしい。じゃ~後で俺が確認するから、マニュアル作成頼むわ。明日までドラフト作って見せて」

「えっ? 明日までですか?」

「そう、明日の午前中までね」


 ありえない…。今日依頼して明日出せなんて。梨香子りかこは呆然とする。


「青木さん、今日も徹夜かもねー」


 直樹なおきがうれしそうにニヤニヤしている。

 二徹なんてぜったい無理! 梨香子りかこは途方にくれる。そんな梨香子りかこの気持ちもしらずに、雅人はぶつぶつパソコンに語りかけながら、他のプロジェクトの火消し作業を開始していた。




 時間はあっという間に過ぎていく。


「青木さん。お先! ほどほどにね」


  海斗かいと直樹なおきも揃ってオフィスを出て行ってしまった。残っているスタッフも数が少なく、奥の方のエリアはすでに消灯されている。


――  置いてかないで~~~っ。私も帰りたい…。


 時間は無情に過ぎていく。


「眠い…」


 梨香子りかこは今まさに、睡魔と戦っている。集中力なんてすでに皆無だ。


 隣では雅人が猛スピードでキーボードを叩いている。何か作っているようだけど。ぶつぶつ独り言を言っている。


「う~ん。そう来ましたか。ではこれでどうですか?」


―― 嘘でしょ? パソコンと会話してる? あはははウケる(笑)


 雅人は仮眠をとっているのだから、眠くなくても当たり前。昼夜が、逆転している生活ってどうなの?っと思わずにはいられない。


 梨香子りかこはすでに完徹をして延長戦に突入している。


―― あぁ~隣にいるのが高橋さんだったらいいのにな~。仕事の進め方もスマートだし…。見てるだけで幸せな気分になれるし、絶対仕事がはかどると思うのに。


「青木さん、頑張ってるね」


―― えっ? た、高橋さん?


 帰ったはずの 海斗かいとがオフィスに現れ、梨香子りかこの向かい側の席で爽やかな笑顔を梨香子りかこに向けていた。


「えっ? 高橋さん? どうして?」

「あ、忘れ物をね」

「忘れ物?」


 うん。そう、と言いながらも何か照れたようなはにかんだ顔をしている。


「いや、本当は君が心配でさ…」

「えっ? 高橋さん…」


 何々? 梨香子りかこの心臓はバクバクしている。徹夜してよかったぁ~とさえ思えるから不思議だ。


海斗かいとって呼んでよ」


 いつの間にか側にいる 海斗かいとの暖かい手が、梨香子りかこの手を包み込む。


――  海斗かいと…さん。 素敵すぎる~!! 


「大好きだよ。梨香子りかこ

「あ…私も」


 梨香子りかこはそっと目を閉じる。こんなシチュエーション、二度とないかもしれない!  海斗かいとからのキスを待つように目を閉じる。ドキドキドキドキ。



 ピピピピピピピピピピっ


「えっ? 何?」


 梨香子りかこのパソコンが悲鳴をあげた。慌ててディスプレイを見てみると、画面に表示されているのは全て「あ」。


 あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ


 壊れたファイルのように、画面一面に「あ」が表示されているのだ。


 もちろん、 海斗かいとの姿はない。


 や、やばい。寝落ちしてたんだ…。梨香子りかこは表示された「あ」をDeleteする。どこまでも「あ」が続いている。どこでセーブしたかも分からない。「あ」を削除している間も睡魔が襲ってくる。


『ねぇ~寝ちゃいなよ。いいじゃん~。変人雅人くんだって寝てたんだしさ~』


 幻聴だ。梨香子りかこの限界が見えてきた。身体が梨香子りかこの意思に反してボイコットを起こしている。


「おい」

「…」

「おい!」


「えっ?」

「おい、弟子1号。寝てこい」


 梨香子りかこの異変に気付いた雅人が声をかけてきた。全然やさしくない声で。でも梨香子りかこには反発する気力も頑張る気力も残っていなかった。


―― 寝るの。私。寝る…。


「寝ます」

「おい。そこで寝るな。あっちにソファーがあるから、寝るならそこで寝ろ。パーテーションもあるから」


 雅人がいつも寝てるところだ。同じところで寝るなんてイヤだと思う気持ちよりも眠気が勝っていた。何も考えられない。ただ寝たいだけ。


 とぼとぼとソファーまで歩いた記憶はあるが、梨香子りかこはソファーに座ったとたん眠りに落ちた。まさに寝落ちだ。


 どのくらい時間が経ったのだろう? 梨香子りかこの寝ている側に人の気配を感じ、梨香子りかこはうっすらと目を開ける。そこには雅人が立っているようだ。立っているだけで何をしているかはわからない。


 寝ているところに男性が自分を見下ろしている。そんなシチュエーションに恐怖や恥じらいを感じても良いはずだが、梨香子りかこはそれどころではなかった。眠気に支配され、起きることも身体を動かすこともできない。


―― まさか…ここで寝たいと思ってるとかないよね。でも、もう…どうでもいいか。


 フワっと、何かが身体に掛けられたような気がした。でも何も言えず確かめることもできず梨香子りかこはさらに深い眠りへと落ちて行った。

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