それ、アウトです

梨香子りかこ!今日ご飯食べて帰ろう~♪」


 同期の湯川ゆかわ 奈緒子なおこが元気に話しかけてきた。社会人になって、同期と一緒にお酒を飲む夕食は最高のご褒美だ。梨香子りかこの答えはもちろんYesだ。


奈緒なお~、いいね~。行こう!」

「どっか希望ある~?」

「う~ん。予約なしで行けるとこで、そうだな~。イタリアン希望かな」

「おっけ~。探しておくね。LINEするから、チェックしてよ」


 学生時代、学校の先生を目指して日々奮闘していた梨香子りかこ。でも子どもの数が減り資格を取れたとしても就職は非常に厳しいことを悟り、早々に学校の先生になる夢を諦め、老若男女問わず使いやすいシステムを構築することを夢見てシステム会社を選んだのだ。


 まぁ~もともと…、人の名前と顔を関連付けて覚えることが極端に不得意だった梨香子りかこ、頑張ったとしても教職には就けなかったと思うんですけどね。


 理系女子が少ない中、奈緒子なおこは数少ない同期の女子で、学生の時からの友人でもある。たまたま受けた会社が一緒で、たまたま二人とも内定をもらったのだ。

 しかも奈緒子なおこは、同期の中でも一番人気。美人で頭が良くて、梨香子りかこにとって自慢の同期なのだ。


 毎日が楽しい筈なのに、梨香子りかこにはちょっと困ったことが起きていた。


 そう、それは…とっても癖のある先輩とペアリングされたこと。すごく仕事が出来る人なのだが、性格に難あり。彼の下で長続きした者はいないと言う、いわくつきの先輩なのだ。


「弟子1号。よく聞け!俺たちが新入社員の時はな~」


 始まった…。朝から先輩が少し不機嫌だ。


 先輩の名前は大路おおじ 雅人。35歳独身。この会社の住人である。その先輩の部下として配属されたのが梨香子りかこだった。


 梨香子りかこは雅人の隣の席で、仕事のノウハウを叩き込まれていた。俺の背中を見て盗め! それが雅人のモットーだそうだ。いつの時代の話をしているんだ?


 もはやアンモナイト級、大昔の化石、天然記念物。


 そんな雅人は会社の中でも一目置かれる変人で、火消しのプロ中のプロなのだ。システム屋なのだからトラブルは付きものなのだが、いろいろなプロジェクトでトラブルが起こっては、その火消しを担当するつわものだ。それも好んで火消し役を買って出るらしい。だから会社からも重宝がられているし、尊敬に値する人…なんだと思う。


 難をいえば、口が悪く彼とうまく仕事をやり遂げられた人はいないという。根っからの一匹狼なのだ。


 なんで梨香子りかこが配属されたのか!? というと、単に人当りが良くて誰とでもうまくやれそうだから。そんなことが理由だったらしい、と後々知らされることになる。


 先輩が話し始めたら、まずは目を見て話を聞け。ですよね? 知ってます。だから梨香子りかこはメールをチェックするのをやめて、雅人の方に身体を向けて頷く。


「一番下っ端は誰よりも早く出社して、先輩たちの机の上を拭くものだ。言われなくても俺たちはやってきたことなんだぞ」


 え? 今この人何って言ったのかな? 梨香子りかこに机の上を整理して拭いて欲しいって言ってるのかな? うん? わからないぞ? いったいいつの頃の話をしてます?

 しかも、ここに住んでる変人より先に出社するなんて不可能です!

 

 梨香子りかこは心の中でいろいろ考えてみる。

 でもどう返事をしていいか本当にわからない。誰か助けて~。周りを見渡しても助け船を出してくれる人は一人もいない。


「それにな、コーヒーが飲みたいと言わなくても、自分が買う時にはとりあえずお伺いをたてるものだ。コーヒー買いにいきますけど、何かいりますか? ってな」


 う~ん。それってコーヒーが飲みたいってことなのか? …わからない。

 確かに梨香子りかこは朝に飲み物を買ってから出社をしていたけれど…。それは毎朝のルーティーンだ。


「弟子1号、何とか言ったらどうだ?」

「あ、いえ。なんとお答えしていいか分からず。すみません」


 とりあえず謝ってみる。こんなこと言ってるから誰も近寄らないんじゃないか? と梨香子りかこは内心思っていた。


―― こんな人が白馬の王子様なんてことは絶対に無いっ! ロバに乗った意地悪魔法使い。ボロボロの服を着て、いや服なんて良いモノも着ていない、布を巻いてるだけの意地悪爺さんだぁぁ!!! 完全にパワハラだっ!


 梨香子りかこは、心の中であっかんべーをする。出来ることならもう関わり合いたくない人物、ダントツ1位だ。


 雅人の机の上はめちゃくちゃ汚い。お菓子の食べかけもあるし、これは捨てていいのか? って悩むし、参考資料とか紙で印刷した資料とかも山積みになってる。ペーパレスって言葉を知らないんじゃないかな?


 ま〜。お菓子のお裾分けをしてくれるのだから、たまにはいい人なのかもしれないけど…。なんて梨香子りかこは考える。


 梨香子りかこすでに餌付けされていた。自覚はないようだけど…。


「弟子1号、コーヒー買いにいくぞ。ついてこい」

「あ、えっ? はいっ」


 仕事も何から手をつけていいか分からない新入社員は、先輩に従うのが正解だと思った梨香子りかこは、財布を持って慌ててついていく。本当はコーヒーなんて…と思いつつ。


「好きなもの選べよ。おごってやる」

「えっ? 良いのですか!? う~ん」


 まいった。雅人は本日のコーヒーを頼んでいて、私はブラックよりカフェラテが飲みたい。おごってくれる先輩のコーヒーより値段の高い物を選んでいいのだろうか…、と真剣に悩む。


 これは梨香子りかこの問題だけれど、ついつい忖度をして「同じもので」と言ってしまう。なんともモヤモヤしながらゴチになる。


「ごちそうさまです!」


 雅人はなんだか嬉しそうにしているから、この選択は正解だったんだと思う。よかったよかった。気を使いすぎて、朝からどっと疲れる梨香子りかこなのである。


―― はぁ…。新しい出会いってなんだろう。私の王子様、どこにいるの? ホント、早く迎えに来てぇ~。

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