第6話 伯父

 夜の十時を廻って暖簾を降ろしたところでバイト上がりだ。ランチタイムの終わりからディナータイムが始まるまでの休憩時間に夕食の賄いにお好み焼きを二枚焼き、ぺろりと平らげる。決まってミックス焼きを二枚だ。具材が多いので栄養をとった気になれる。ランチタイム時はいつもより混みあっていたことも有って、沙織は早めに来てくれて助かったと労ってくれ、一枚を焼きそばが入ったモダン焼きに変えてくれた。(俺はこれを広島焼きだと思っていたが別物だと関西出身の同期に叱られた)しかも豚を多めに焼いて。表向き貧乏学生の俺にとってこういう好意は有難い。

 更にもう一枚、夜食にと豚玉を焼いて貰い家路に着く。都心部へと電車に乗って更に大学方面へと乗り換えてアパートに帰る。仕事帰りのサラリーマンやOL、どこかでひっかけた帰りの酔っ払いに交じって乗りこむ。運よく座席を確保できた。バイトの間は殆ど立ち仕事なので足がだるい。


 家に着いたのは十一時を過ぎたところだった。まだ仄かに温かいお好み焼きを皿に取り出して電子レンジに入れる。ベッドの上に放った鞄の中で携帯が震える音がした。こんな時間に誰だろうと画面を見ると伯父の名前が目に入る。俺はすぐに電話に出た。


「もしもし」

「ん…ああ、純か?」

「うん。どうかした?」

「家か?」

「そうだよ。今帰ったところ」伯父は優し気な声で「そうか」と呟き追って「お疲れさん」と労った。

「それよりどうしたの」

「いや、特に用事ってわけではないけれどな。ナースステーションでお前を見たって看護師長が教えてくれたから、ご機嫌でも伺おうかなと」

「元気だよ。学校もバイトも変わらず行ってるし。今日も昼からバイトしてたからくたくただけれどね」


 伯父は相槌を打っている。首を上下に動かしている姿が目に浮かんだ。

 親のぬくもりというものを俺は伯父から与えられていたと思う。育ての親である祖父は厳しい人で、母親を失った俺に対して甘やかすことはなかった。日々の生活を淡々とこなし、力の使い方を教え込むことだけは熱心だった。そんな生活は窮屈でたまらなかった。子供の拙い言葉で必死に甘えたいことを訴えても祖父は突っぱねるだけでなく、酷く𠮟りつけた。「そんな体たらくでは生きてはいけぬぞ」

 おかげで諦めを覚えた妙に冷めた子供だった。そんな俺を見かねたのか憐れんだのか、伯父はキッズ携帯をこっそり渡してくれた。俺は嬉しくて、そして寂しくて離れて暮らす伯父に毎晩自室から電話をかけてはその日あったことを話した。寝たきりの母親の代わりを務めてくれていたのかもしれない。今も当時も忙しかったであろう伯父はそんな俺を邪見にすることはなかった。

 大学を決めるときも伯父が経営する病院が近くにあることが決定打となった。田舎の病院から伯父の病院に入院させる話も快く引き受けてくれ、俺は故郷を離れる決意をしたのである。田舎を出ることを祖父は良い顔をしなかったが、大学を卒業したら帰ってくることを条件に許しが出た———今のところそんなつもりはない。


「一つ確認したいことがあるんだけれど」


 伯父は一通り俺の話を聞いて終わると、一呼吸おいてから切り出した。


「容態の悪い患者が急に改善したと報告があってね、心当たり、あるかい」


 確信があるといった風に語る。俺には「君の仕業だね」と聞こえた。母の血縁者である伯父が、そういった事例をみれば俺の力が関与していると考えるのが普通だ。


「うん、まあ…」隠し立てする必要もなく頷く。

「そうか」

「なんかまずい事でもあった?」

「そんなことはないさ。医者は不思議がってはいたけれど、稀に人智の及ばない事柄も起こるから」

「患者から何か言われたの?俺のこと、とか」

「それもないよ。薬がよく効いたとか、先生のおかげだとか喜んでいたそうだ」


 ほっと肩を撫でおろす。俺の力のことは口外しないと約束はしていた。だからと言って守られるとは限らない———口外されたところで誰も信じないだろうから心配は杞憂だ———それでも念を押すことに越したことはない。いけ好かないじじいだったが、意外と律儀なんだなと感心した。


「その患者、そのまま退院するの?」

「恐らくね。暫くは通院してもらって経過観察ってところだろう」


 佐渡がその後どうなろうが知ったことではない。それでも何事もない方があと腐れもない。これ以上関わり合いにならなければ良い。


「充分分かってはいるだろうけれど、無闇に力を使うんじゃないぞ」

「わかっているよ。今回だって仕方なくだったんだ」


 言い訳のように吐き捨てると伯父は「純」と窘めるように呟く。俺はもう一度「分かっているから」と付け加えた。


「困ったら相談に来なさい。どうにかしてやれることもあるだろうし」

「はい」


 どうにかしてくれるなら、力を受け継いでもらうか、いっそ力を失くして欲しいと思ったが口にはしない。伯父は力こそ受け継がなかったが、この苦しみを理解してくれている。


「そういえば、さ、伯父さんは」ふと昼間のことを思い出して問いかけた。「子供が怪我をしたときのおまじないって知ってる?」

「痛いの痛いのとんでいけってやつか?」

「そうそう」彼女とのやりとりをかいつまんで伝えた。「母さんはなんて言ってたのかなって」


 冷静でいるつもりだったのに、声が上擦って語尾までしっかり言えなかった。伯父に悟られないように「どうだったかな」と付け加えた。伯父はゆっくりと柔らかな声でそう言った。まるで母親の真似をしているように。


———いたいの、いたいの、とんでいけえ。純ちゃんからママのところにとんでこおい。


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