第4話 再会

 午後の授業がない日は決まってバイトに向かう。学費と生活費を稼ぐ為である。父親や祖父が出してくれない学費を伯父が払うと言ってくれていたのを断っていた。今にして思えばそんな強がりを言わなければ良かったと後悔している。二年前の俺は独りでやっていける根拠のない底なしの自信があったし、誰にも頼らず独り立ちしたい心意気が強すぎたのだ。それは半年もしないうちに悔やまれることとなる。学業とバイトの両立は不器用な俺には容易なことではなかった。一人暮らしを初めて二年目になると、生活のリズムが整い去年程の苦しさはない。それでも出来ればもう少し自堕落な生活を送れる余裕が欲しいと心の片隅で叫んでいる。

 とはいえ先日貰った大金には手を付けていない。それを使えば暫くは必死にバイトする必要もないが、病気をうつす力特殊能力で得た金に手を付ける勇気がない。一先ず下宿先の押し入れ奥に隠しておいた。


 ズボンの後ろポケットからスマホを取り出して時間を確認する。十時二十分。二限が急遽休みになったおかげで時間に余裕がある。今日のバイトが始まるまでまだ二時間以上の隙間があった。病院に寄ってどこか適当な場所でランチをとるか、早めにお好み焼き屋へ赴き賄いをいただくか悩んだ。昼食の時間にしてはまだ早い。それほど空腹を感じていないので、生協を横目に学校を出て駅へと向かうことにする。


 学校の近くには学生向けの食事処が多くひしめいていた。学友があれは美味しい、ここは安いとあれこれ教えてくれるので知識だけは豊富だ。知識を役立てられないのは利用する回数が少ないからである。少ない生活費を無駄には出来ない。昼食は主に生協の弁当を買う。ひとつ四百円前後でスタミナがつきそうな弁当が俺の生命線だ。それ以外はバイト先の賄いに依存していた。


 駅に着くと丁度入れ違いに降りてくる同世代の人間———恐らく同じ学校の生徒だろう、午後からの授業に向かうのか、サークル活動か、気怠そうな若者の波に押されそうになった。

 もうすぐ発車しそうな電車に乗りこんだ。乗客の数は数えるほどだった。選び放題の席のうち丸々一列空いた席の真ん中より少し右寄りの席を陣取った。意識してそこに座ったわけではない。なんとなく心身の置き場が丁度良いと感じたのである。

 都市部の駅で降りバイト先がある電車に乗り換える。こちらも通勤通学から外れた時間は乗車率が低い。

 乗客の少ない電車に乗ると、発車を待って座っていた小柄な女性と目があい、どちらからともなく「あ」と息を吐くような声が漏れた。俺の低い声と彼女の高い声が和音となって耳に届く。


「あの時の」


 彼女がそう言って俺は軽く会釈をする。沢山の席が空いているのにどこに座ればいいのか悩んでしまった。特に知り合いでもないのに隣に座るのは意識していると思われるのか、かといってこの挨拶を無視して別の席に座るには、あまりにも不躾な気がする。それにあまりにも空きすぎてあからさまに避けていると思われるのも本意ではない。電車が空いていて困ることなんて初めてだった。


「先日はありがとうございました」


 一度しか会っていないので、その礼がその日の事柄だとわかったが、一体何に対しての礼かは理解が出来なかった。俺の疑問を察したのか彼女は「マスクの件で諭してくださって助かりました」と付け加える。諭した覚えはないけれど、礼を言う位には彼女にとって重要な出来事だったのかと推察する。


「別に何もしてませんよ」


 顔色変えずに淡々と答えると彼女は肯定も否定もせず眉をさげる。話しかけてくれたおかげか、もしくはそのせいで俺は彼女の隣に座る羽目になった。


「いつもこの電車に乗られてるんですか」

「まあ…バイト先がこっち方面なんで」

「学生さん?」

「まあ…そうっすね」

「どこの大学?」

「……」


 随分無遠慮に踏み込んでくるな。面倒くさくなって答えるのをやめる。暫しの沈黙が居た堪れなくなる。早く降りたい。


「…も」

「え?」


 沈黙に耐えられなくなったのは俺の方だった。


「貴方もこの電車はよく使うんですか?」

「あ、はい。ボランティア先がこの辺りなので」

「へえ…?ボランティア」


 なるほど、おせっかいで人の好さそうなタイプなわけだ。


「立派ですね」

「そんなことないですよ」

「立派でしょう。人の為に何かしようだなんて、しかも無償で」


 俺には考えられない。ただ働きで誰かの為に身を削るなんて、絶対にやりたくない。彼女は恥ずかしそうに身をすくめて視線を降ろしていた。

 ひとつひとつ到着する駅を景色と共に流していく。あと二駅、一駅とカウントダウンが短くなる度にゆっくりと時間が流れた。

 車内アナウンスが到着駅名を知らせる。俺は「此処で降りますので」と立ち上がると彼女も同じように立った。すっかり忘れていたが、前回も此処で降りていたっけ。


「偶然、ですね」

「そうですね」


 ここでさよならと言うわけにもいかず、共に降りてホームを潜った。どこかで別れる時がくるだろうと並んで歩く。しかしいつまでも同じ道を歩き続けた。


「もしかして、病院に行くんですか?」


 中央病院前と言う駅名だ。当然駅から徒歩三分程の距離―――実際はもっと短いのかもしれない———に大きな病院がある。


「はあ…そうですね」

「目的地が同じなんて奇遇ですね」そう言ってはにかんだ。

「ボランティアって何するんスか」

「ええ。入院してる子供たちに本を読んだり、一緒に遊んだりしているんです」

「へえ…」


 何度もこの病院に足を運んでいるが、病棟が違うせいか気にしたことがなかった。


「えっと…あなたはお見舞いですか?」少し困ったように間を開けて質問を返して来た。

「そんなところです」


 具体的な答えを返す必要もないだろうと気の抜けた返事をする。彼女はそうですかと鳩のように小さく頭を揺らし呟いた。


 突然子供の泣き声が響いた。一際目立つ泣き声に誰もがそちらへ視線をやる。俺もそうした。泣き声の主はうつ伏せになったまま顔だけを正面に向けている。まだ五歳、いや四歳くらいだろうか。転んでむき出しの膝小僧を擦りむいたようだ。そこに誰よりも早く駆け寄ったのは若い女———母親で間違いないだろう。「しょうちゃん」と声をかけ慌てて近づいていった。その母親よりも先に駆けだしそうになっていたのは隣にいた彼女だった。泣き声をかけっこの合図のように駆け出そうとしていたのである。すぐに母親らしい姿を見てその足を止めた。

 母親はしょうちゃんのところへ行くと身体を起こし、身体、とりわけ膝小僧についた砂利を優しく丁寧に払っていた。


「痛かったねえ」


 母親の優し気な声にも拘わらずしょうちゃんはわんわん泣き続けた。


「いたいのいたいのとんでけー。ママのところへとんでこーい」


 しょうちゃんの膝小僧を優しく撫でてから自分の胸へと当てる。何度かおまじないをかけてやると、しょうちゃんはすっかりご機嫌になったのか、すんすんと鼻を啜ってから母親の魔法の手を掴み歩き出した。母親が「泣きやんでえらいねえ」と甘い声をかけてやると、しょうちゃんも「強いもん」と泣きべそのまま胸をはる。


「小さくても男の子ですね。さっきまでわんわんないてたのが嘘みたい」


 彼女は眉をㇵの字にした。母親と手をつないですっかりご機嫌になったしょうちゃんに安堵の眼差しを向けていた。しょうちゃんの無事を見届けてから、俺たちはまた歩き出す。


「そういえば、さっきのママのところへとんでこーいって時代ですかね?それとも地域差?」彼女が急に問いかける。俺は「さあ」と興味のないふりをした。


「私も同じおまじないをかけて貰っていたけど『向こうのお山へ飛んで行け』だったんですよ。どうですか?同じですか?」

「さあ…どうだろうな」


 彼女がなにか言いたげにしていたのを無視して歩みを速める。とにかくすぐにでもなんでも知りたがりそうな彼女から離れたい。


「俺、時間がないので行きます」


 適当な言い訳が思いつかなかずわざとらしい理由をついた。会釈をして更に足を速めた。後ろで彼女が慌ててさようならの代わりに「はい」と寄越した返事が物悲しそうに聞こえた。

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