第6話 また千葉ラボへ
千葉ラボに入ると、一番大きなデスクに年配の男性が座っていた。
「ん? ひょっとして警察の方ですか?」
その男性は丁寧な口調で尋ねた。
「ええ、T県警の香崎です」
「磯田です」
「村田です」
「私はここのラボの主催者で、千葉と申します。さっき増田くんから聞きました。アームストロングくんが亡くなったそうですね。ま、どうぞかけて下さい」
千葉さんは私たちのためにパイプ椅子を集めてデスクの前に並べた。
「いきなりで申し訳ありませんが、5月13日ですが、どちらにいましたか?」
「ああ、一日中、ここで研究していましたよ」
千葉さんは増田さんをふっと見ながら言った。
「私も、同じです」
真中さんが申し訳なさそうに言った。
「失礼ですが、それを証明できるものはありませんか? 職場の同僚同士の証言では、ちょっと……」
私が言うと、千葉さんは立ち上がって、デスクトップパソコンをくるりと回して私たちの方へ向けた。
「大学院のパソコンですが、全員に貸与されてまして、ログイン時に指紋認証が求められます。研究不正を防ぐために、30分操作が止まるとロックがかかるようになってます。例えば、食事に行ったりすると、ロックがかかって、ログインする度に指紋認証しなければなりません。ですので、ログイン記録を調べてもらえば、わかると思います」
「なるほど、デービスラボでも同じなのでしょうか?」
「はい、同じです」
「ナターリエ、えーと、しゅじゅつさんはー、どうなんですかー?」
「京子、しゅじゅつじゃなくて、シュルツ」
私は京子に囁いた。真中さんはくすっと笑った。
「ん、ドイツ人か?」
係長は聞き返した。その時、部屋の入り口が開いて、長身細身の金髪美女が颯爽と入室してきた。
「ああ、フラウ・シュルツ。ちょうど君のことを訊かれてたんだ」
千葉さんに言われて、シュルツさんは少し首を傾げた。
「……美しい……」
係長は思わずボソッと呟いた。それを京子は目を細めて見返した。
「彼女は日本語があまり得意ではないのです」
「えっと、では普段はどうやって会話を……」
「英語ですよ」
「えー!? 小春ー、どうやって事情聴くのよー」
私と京子は英語に疎いので、どうしたらいいのかわからなかった。しかし突然、ピンチを救うヒーローのようにかっこ良く英語でシュルツさんに話しかける人物がいた。私と京子は驚いた。
「えー!? 係長、英語ぺらぺらー!」
「係長、そんな特技が……」
係長が流暢な英語でシュルツさんとコミュニケーションを取り始めたのだった。私と京子はしばらく唖然としていた。途中から英語ではないような言葉で会話しているのに気づいた。
「こちらのフラウ・シュルツも、5月13日はここに午後からずっといたと言っている。パソコンのログイン記録を調べてほしいそうだ」
係長はカッコつけることもなく自然に振る舞っていた。
「あの、係長、今の英語でしたでしょうか?」
「とても綺麗なドイツ語ですね」
千葉教授が感心しながら言った。
「係長、ドイツ語もお話しになるのですか?」
「係長ー、フラウ? って何ですかー?」
「おう、英語のミズとかミセスに当たるドイツ語だ」
「へー、そうなんですかー、何だか今日はカッコいいー」
「何だよ、磯田、いつもカッコいいだろが」
「前言撤回しまーす」
「おいおい」
「さすがー、帝王大学卒ですよねー」
「えっ、帝王大学なんですか?」
真中さんが驚いた。
「はい、これでもキャリアなので」
係長は満面の笑みでカッコつけながら真中さんへ振り向いた。
「キモいー」
私も京子と同じく気持ち悪いと思ったが、真中さんの係長に対する態度が変わったようだった。
「記録は、たぶんですが、事務の、電子記録課だったと思いますが、そちらで調べてもらえばいいはずです」
千葉さんが言ってる間、係長はシュルツさんに話しかけていた。
「じゃあ、小春ー、記録を調べましょー」
「そうね」
私と京子はラボから出ようとした。まさにその時、鋭い音が耳をついた。
パシーン!
私は驚きながら振り返った。そこでは、係長が痛そうに頬を押さえていた。
「えっ? ビンタされたんですかー、係長ー」
「えっ、公務執行妨害では……」
私が駆け寄ろうとした瞬間、係長は手のひらをこちらに向けて制止した。
「大丈夫だ、心配ない。少し口説きすぎた……」
意外な言葉に、私たちは唖然とした。
「係長ー、セクハラ相談窓口に通報ですねー」
係長は悲痛な表情で私の方へ寄って来た。千葉さんも増田さんも笑いをこらえていた。真中さんは係長のことを心配しているように見えた。
私たちはT県警の恥を晒しながら、千葉ラボを後にした。
大学の電子記録課で千葉ラボとデービスラボの関係者全員のログイン記録を調べてもらい、全員にアリバイがあることを確認した。
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