第9話 大史を除いた話し合い

 どれくらい経ったのだろう……。


 目が覚めるとベッドの上にいた。以前は俺が美佳と当たり前のように使っていたベッド。

 いつからか俺は使う事が許され無くなっていたベッド。

 いつから使わなくなったんだっけ?


 それよりも何故、今ベッドの上で横になっているのだろうか。どうやって家に帰って来た?


「確か美佳を探して、でも見つけたら逃げて倒れて……」


 そこからの記憶がない。

 でも道端に倒れた後、最近ずっと感じていた恐怖に似た胸が苦しくなる感じと懐かしい温もりを感じさせる心地良い感覚が心の中にあった。けど思い出せない。


「とにかくリビングに行こう」


 誰かに声を掛けた訳ではなく自分の身体を動かす為に喝を入れようと小さく呟いた。でも——


 ——ダメだった。この部屋に居れば心が落ち着くような気がして、逆にこの部屋から出れば心が乱れてしまうそんな気がした。

 だからだろう扉を開けてもただ身体を縮こませるだけで部屋の外に踏み出せない。


 出るべきだ、出てみようという思考と出なくて良い、ここは安全というストッパーが決意を揺さぶって来る。



 あれ? リビングの方から声がする。




 ◆◆◆


「大史! 大丈夫? 返事はない……でも心臓は動いてるし、息はあるみたい」


 触るべきでは無いとは思いつつも大史の肩を抱いて家に戻ってしまった。



 大史の肩を抱き家に帰って来た時には椎名は居なかった。ただ置き手紙がテーブルの上にあった。大史をベッドに寝かせてから読む事に決めてまずは大史を寝室まで運んだ。


「大史……ごめん。病院に連れ帰すべきだし、私はそばにいるべきでは無いって分かってるけど我儘でごめんなさい」


 寝てるのかな?

 目を瞑って起きる気配のない大史の頭をそっと撫でてみる。


「んんっ……」


 大史の顔が少し歪んだ気がした。


「ご、ごめん。大史……」


 大史をそっとベッドで寝かせてリビングに戻った。


『ごめんなさい。一度帰ります。でも償わせてください 椎名』


 私は償うとかどうでも良かった。ただ大史が回復して幸せになってくれれば、それとあわよくばまた愛を育みたいと言ってくれたら……なんて私にはそんな資格は無いか。

 大史がこれから幸せになって欲しい。私は今それだけを望んでいる。


 椎名という元友人への怒りと失望、大史へ自分がやってしまった事に関する自分への怒りと後悔から手紙を何度も破ってしまった。


「お母さん達を呼ばないと……」




 ◇◇◇

 一日が経過した。


「……ごめんなさい」


 私は両親と大史のお母さんとお姉さんを読んで事の説明をした。それ以降は謝罪するしか無かった。何か言い訳を付け足すでも無くシンプルにごめんなさい、と。


「全部美佳がやったんでしょ? 許せることでは無いわよ!」

「お前を育ててきた事を後悔しそうだよ」

「美佳さん、こればっかりは美佳さんに失望したわよ。……すぐに大史を病院に連れて行かないと」

「理由はまだしっかりわからないですが流石に許せることでは無いですね」


 大史の今の状態を説明した時、責められた。当然の事だと思っていたし、自分は悪くないなんて言う気も全く無かった。


「あんなに大切にしていた写真も全て無くなって……」


 お義母さん……。

 今まで写真を飾っていた所を見つめたまま動こうとしない。

 お義母さんは『二人の写真が世界で一番好きな写真』っていつも言ってくれてたなぁ。


「私がやったんだ……」


 私が全て壊した。大史の身体も心も、大史の家族との関係も、お母さんとお父さんの信頼も全て……。



 私が全部全部全部…………。死ねば良いのに。



 起きてる大史と話はしたいけど、私は必要とされて無いもんね……。


 でも、自分が死ぬのは大史が幸せになる土台が完成してからが良い。大史の笑顔を生で見てから私は死にたいから……。



 ピンポーン


 空気感が重い部屋にインターホンの音が鳴り響いた。

 私はモニターで誰が来たのかを確認する。


『話をしに来ました』




 ◇◇◇


「……なるほど、信じ難い話ですが洗脳していた、と」


「……」


 私は何も言わなかった。というより椎名が来た事により両家家族の怒りの矛先が定まらなくなったこの状況で声を出すべきでは無いと思ったから。


「は、はい。ですから——」


「何故そんな事をしたのか教えてもらっても良いかしら」


「それはわたしの——」


「洗脳がどれくらい効くものなのか分からないけどそれだったら本当に許せないんだけど」


 椎名は話をしようとしても直ぐに遮られる、かといって強く主張できないこの状況に息が詰まってるように見える。


「は、話をさせて下さい」


「「「「「……」」」」」


 私を含めた全員が椎名の話を聞く態勢になった。


「……わたしは自分の夫が不倫した事による八つ当たりでこんな最低な事をしました。幸せそうな二人が羨ましかったからほんの出来心で……。でもこんな事になるなんて思って無かった。」


 私と大史をくっつけてくれた二人だったからお似合いだと思ってたし、別れる事になるなんて思って無かった。驚いた。

 でももう友達だなんて思ってないからどうでも良い。そもそも相談しなかったって事は椎名の方が友達と思って無かったって事? でも温泉旅行は楽しかったし……。


 私の人生の優先順位で最も高い大史が傷ついた。私も大史が加害を被った一因ではあるけど被害者の一員でもある。

 でも椎名は加害者でしか無い。


「大史のご家族の皆さん。美佳ちゃんを訴えたりしないでください。悪いのは全部わたしです。……元々幸せそうな二人を見るのはわたしにとっても幸せな事でした。でも自分も結婚して美佳ちゃん達みたいになれるって思ってからは幸せはわたし中心な考えになって……」


 もしかすると私たちは夫婦揃って自分たちの世界に入り過ぎていて周りをちゃんと見ていなかったのかもしれない。


「籍を入れて数ヶ月した頃には不倫をされた。結婚式も周りの友達にも結婚した事を大きく言わなかった理由が後になって分かった。でも既にお腹の中に子どもが出来ちゃってて両親に相談したら堕ろせって強制されて断れなかった……。お金は潤沢になったけど愛を感じる事なんて無くなれば良いって思ってしまった。だから頻繁に温泉に誘って美佳ちゃんを大史さんから遠ざけてこんな事を……しました」


 椎名が温泉旅行に誘ってくれて温泉が好きになった。でも椎名は楽しむ為に誘ったんじゃ無くて私と大史の愛を冷ますため?


 私たちはいつから友達じゃなくなってたの?


「わたしはもう人生の目的もゴールも失った。恋なんてしたく無いし子どもだって殺した。もう育てる資格もない。欲しいものも無いししたい事だって無い。唯一目的を持って行っていた事でこんな事になるって思って無かった。ただ喧嘩してる所にわたしが仲裁に入って仲直り。ヒビの入らない愛を少し欠けさせたかった。でも結果は違った……。許してなんて言いません。でもわたしはお金と時間と命を全て二人に捧げさせて下さい」


 話し終えた頃椎名は目から涙を流している何も関わらず固い表情があまり崩れていなかった。

 椎名が流した涙は許しを請う為のものでは無いような気がした。自身の人生を振り返り、嫌な事を思い出して乗り切ろうと頑張ったような。


 だからなのか私は迷ってしまった。

 私を、大史を傷つけた椎名に償うチャンスを与えようなどと考えてしまった。

 私も大史が幸せになる土台が出来た時に大史の前から去るから? 大史の役に立ってくれるなら構わない?


 大史は人生リスタート。私と椎名はあの世で友情リスタート、それで良いんじゃ無いかな?


 好きな人と結ばれて幸せな生活を送り、生涯を終えるチャンスを貰えたのに台無しにした私には相応の報いじゃない? アハハハハ。




「な、なんで皆んなここにいるの」


 同室にいる皆が声のする方を見た。

 そこには壁に手をつきながら佇んでいる大史の姿があった。


 私は目が開いた状態の大史と久々に至近距離で顔を合わせた。だけど、私がいつも見ていた、私の王子様であった大史と違ってどこか怖かった……。

 それとも私の目がおかしくなった?

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