第7話 病院を抜け出す夫/全てを知った妻

「寝れない……」


 美佳に会えてないから?

 寝ている時も殴られると身体が無意識に恐怖を感じているから?

 病室内は静かなのに寝られる気がしなかった。



 若林が自殺をする可能性も自傷する可能性も無いと熱弁してくれたからなのか、それとも診断の結果によってなのか、俺が入院している病室は普通の病室と然程変わらなかった。

 精神病棟は全ての荷物が凶器と見なされるなんて聞いた事もあったが俺は体験しなかった。

 スマホを触る事も出来たし、じーっと監視されているとも感じなかった。

 だからだろう。

 外傷は酷かったが病院で過ごしていて精神的に苦しく感じる事はなかった。

 精神病棟は気が狂う場所だ、なんてのもよく聞くが俺は微塵も思わなかった。


「入院の手続きってどうしたんだっけ」


 美佳に愛してると言いたい一心だった事もあり、入院の手続きはよく覚えていない。

 恐らく若林がうまい事手を回してくれたのだろう。

 仕事を詰め込み過ぎて睡眠不足が続いた結果、階段から落ちて手が変な方に曲がったって俺も言い訳してたっけ。

 若林も疑ってなかったよな。確かにとか言って納得してたし。 

 母さんにも連絡した気がするけど……なんて言ったかな。覚えてない。



「あ、美佳に愛してるって言わないと……ってスマホの充電、切れてる。充電器もない」


 俺には美佳の洗脳を解く使命がある。

 美佳に愛してるって言わないと……。美佳の目を覚まさないと。美佳と離れて気づいた。殴られたのは俺が悪かったからだと。理由が無くても殴られる俺が悪いのだと。


 窓から見える景色は暗く、病院内も静まり返っている。


「美佳……」


 上半身は不自由ながらベッドから身体を起こす。

 暗い病院内、俺の病室の周りには誰もいなかったので簡単に移動を開始出来た。


「えっと、エレベーターはどっちの方面だっけ? 階段の方がいいのか? どっちなんだ……」


 容姿を見れば明らかに異常だと分かる人が病院内を駆けるという構図は幸か不幸か他人の目に入る事はなかった。

 ナースステーションの前を横切る際も見られる事はなかった。中に人が居たのかも分からないが。


 結局エレベーターに乗って一階まで降りる事にした。


「美佳……美佳……愛してるから……」


 身体が何故か震えていた。

 もしかして美佳と会うのが怖い?

 いや、そんなわけ……ないだろ? だって好きな人だぞ? 俺のおひ、おひ? お姫様……だぞ?


 そうこう考えている内に1階に着いた。

 まるで強盗がでも成し遂げたかのようにコソコソと出口へ足を進める。


「この病院って最寄りの病院だよな? 家ってどっちの方にあるんだ? 家の近くに何があったっけ?」


 あれ?




 ◇◇◇

 美佳視点


「椎名……私何か気持ち悪いんだけど。大史を殴ってストレス発散を……」


 何でそんな事するの? 大史を殴る? そんな事するわけないよね。


「って椎名、そういえば何で椎名がそのアルバム持ってるの? 私、旅行から帰ってきてから何してたっけ……」


「あ、えっと、いや、それは…………」


 椎名が青ざめた顔をして言葉を詰まらせてる。何で? 泣いてないで何があったかちゃんと教えてよ……。


「美佳ちゃん。落ち着いてこのアルバムをゆっくり見てほしい……」


「え、あぁうん。わかった」


 椎名が震える手でアルバムを前に突き出し、お納めくださいと言っているように感じるほど頭を下げている。


 これは私のアルバム。私の思い出が詰まったアルバム……。

 ゆっくりページを捲る。


「大史、大史、大史……大史!」


 捲る毎に現れる大史と私の笑顔。慣れない自撮り、ぎこちない笑顔が捲る度様になっている所を見てよく分からない感情が胸にジワジワと広がっていくのを感じた。


 一呼吸置いてから家の中を見回す。


「な、ない」


 椎名に自分が言った言葉を思い出してしまい胸がざわめく。面と向かって真実を聞きたくないので背を向けた状態で椎名に尋ねてみる。


「私たちの写真知らない? 結婚前の付き合った周年記念日とかのやつもあっちの棚に置いてあったんだけど」


「ええっと、あっちの袋の中に……」


「そ、そんなぁ……」


 私は理解しても信じたくはなかった。

 袋の中にはちゃんと綺麗なまま写真が入ってるって信じたかった。だから急いで袋に駆け寄った。でも……。


「私がやったんだ。全部、全部。宝物を壊した」


「美佳ちゃん! 本当にごめんなさい。本当はこんなつもりじゃ。ただちょっと——」


 椎名が何か言ってる。でも胸が苦しくて、耳がキーンと鳴って、私にはよく聞こえなかった。


「……って事は今、大史は」


 恐る恐る大史とのメッセージのやり取りを見返す。


「そんなあぁぁぁ……イヤだイヤだイヤだイヤだぁ」


『あた、してる』というメッセージと包帯でグルグルになった手が写る写真が送られてきていた。『愛してる』というメッセージの時もあったので『あた、してる』の意味も自ずと理解できた。


「待ってて、大史。でも、私のせいでこんな風になったんだよね。どうしよう、会いたいよぉ。でもでも……」


 夜中だと言うのに何も持たずに最寄りの病院まで行く事に決めた。


「大史……」


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