第2話 妻が帰ってきた、変わった日

 今日は旅行から美佳が帰って来る。


「遂に今日から俺も子作りか。いやー楽しみだなぁ。美佳に似た娘がパパ大好きなんて言って来たらどうしよう」


 俺は子どもが生まれる前から親バカかよ。なんて自分に対するツッコミをしてしまうほどテンションが上がっている。


「でも、その前に美佳が無事に帰って来てくれるのを願うのが先だな」


 俺は笑顔で『楽しかったぁ!』なんて言って来る美佳を想像しながら美佳の大好物である俺特製のカレーを作ってワクワク帰宅を待っていた。


「ただいまー」


 美佳の声が玄関の方から聞こえた。しかし、いつもより1オクターブも2オクターブも低い。

 何か嫌な事があったのだろうか、もうしばらく旅行出来ないと言ったらキレられたとか?

 それとも俺に言えないようなことが?


 想像とは違ったテンションだと感じた俺は居ても立っても居られず玄関へ向かうことにした。


「おかえり! 無事に帰って来てくれて良かったよ」


 あまり余計な事は言わない為に最低限の言葉数で美佳を出迎えた。


 テンションが下がっている雰囲気を言葉から感じたので美佳が話し出すまでは『楽しかった?』なんて聞くのも『何かあった?』と聞くのも辞めた。


「カバン、中に運ぶね」


 美佳は何も言わず、家の中に上がって来ようとしない。ならば、と行動を起こして美佳が喋りやすいようにしようとカバンに手を掛けようとしたのだが……。


「触らないで!!」


「え……?」


 何を言っているのかが理解できなかった。

 美佳が今日まで旅行で使っていたカバンを触るのを拒否された。


「あんたみたいなキモい奴に触られたくないんだけど」


 俺が誕生日プレゼントとして付き合って一年目に美佳に送ったカバン。それに触れるのを禁じられた。俺がキモイ奴……。


「え、俺が誕生日にあげた……やつ、でしょ?」


「はぁ……ネチネチうるさいな。あげたやつって、今は私が持ってるんだから私の所有物でしょ? それとも何? 返して欲しいの? じゃあとっとと受け取れよ!」


 ため息を吐き、美佳は眉間に皺を寄せてカバンを思いっきり顔目掛けて投げて来た。

 動揺していた俺にとって、飛んでくるカバンは想定外で避ける事も出来ずもろに喰らってしまう。


「なんで……」


 俺は楽しかったと言いながら嬉しそうな顔で帰って来る美佳を想像して待っていただけなのに。

 美佳とご飯を食べながら談笑しようと張り切ってご飯作ってたのに……。


 涙が目からこぼれそうになる。しかし涙はまだ流していない……はずなのに頬に液体が流れる感触があった。

 俺は不思議に思いながら手でその部分をなぞる。


「血……」


 運の悪いことにカバンの金具の部分が顔を擦ってしまい血が出たらしい。


「あはははは。汚い顔に綺麗な赤色が付いたね! 良かったじゃん」


 俺は俺だけでなく、普段、俺の事をカッコいいと言ってくれる美佳をも否定された気分になった。


 いつも俺の全てを褒めてくれる美佳。もちろんその中に顔も含まれてる。

 でも今の美佳は明らかにおかしい。俺の全てを否定して来る。


「な、なぁ美佳。どうした? 旅行先で何かあったのか? 今回の旅行で最後にするって言ったから椎名さん達に怒られちゃったのか? だから俺に当たってる? それならまだ旅行に行っても良いからさ。俺は大丈夫だから」


「勘違いしてんじゃねえぞこのブタ! 旅行はお前みたいな奴が居なかったからホントに楽しかったよ。てか、私の親友の名前勝手に呼ぶなよキモいな。『俺に当たってる?』何言ってんの。この家に帰って来ること自体が嫌だったんだよ。何お前が——」


「この、ブタ……」


 俺はもう何も聞きたく無かったので必死に耳を塞いだ。


『あなた』とか『大史』ではなく冷たく【お前】と言われる事がまず辛い。


 それに、愛して愛してずっと想ってきた美佳の姿でひたすら罵倒されるのは俺には辛すぎた。


 この人は誰?

 俺の美佳だとは思えない。甘い表情をいつも見せてくれる美佳は何処に行ったんだ……。

 これじゃあ、まるで美佳が昔から俺の事を実は心の底から嫌いみたいじゃないか。


「おい、お前カレー作ってたのか?」


 耳を塞いでいた手を耳から離すのを待っていたのか離してすぐに美佳はイラつきを含めて聞いてきた。


「う、うん。美佳の大好物のカレーを作っ——」


「捨てろ。今すぐ全部捨てろ!」


「え、でも美佳に喜んでもらう為に玉ねぎを長い間しっかり炒めたり、長時間かけて作ったんだよ? いつも美味しいって言ってくれるから今日も張り切って。だから一口ぐらい食べてくれても……」


「お前みたいな奴が作ったカレーとか金輪際二度と食べたくない。それに私の好物はすき焼きだ。好物も分からない癖に夫面するなよ。気持ち悪い」


 美佳の好物がすき焼き? 確かに好きとは言っていたけど俺のカレーにはどの料理も敵わないって言ってくれてたのに……。どうして。どうして……。


「あーもう。イライラする。……おい! 大史。お前のお腹、一回殴らせろ」


 名前を覚えている。つまり、人違いで俺の事を嫌っている訳ではないという事が確定した。


 俺はもう、生きる喜びを、幸せを、努力する糧を無くしたかも知れない。



 ◇◇◇

 翌日、手紙が届いた。


 その手紙は随分と妙だった。まるで美佳が突然変貌したのと同じように妙な。


 だからなのか、救いの手かも知れないと俺はその手紙に希望を抱いた……抱いてしまった。

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