15. パン屋の店員さんが応援にきてくれた話⑤


「おそいぞはじめ君、この程度の階段でへばるなんて、その足はいったいなんのために鍛えてあるんだ」

「その成果をさっき出し尽くしたとこなんだけどなぁ……」


 軽々とまえをいく背中からそんな罵倒をうけつつ、階段を駆けあがる。

 スタンド席にもどると、すでに奥山おくきた応援団は結成されていた。

 

 メインスタンド正面左寄り、トラック寄りの一角に、紺色のジャージ集団がいる。

 それぞれ白、水色、黄色などなどあかるい色合いのシャツに身をつつみ、そろって部活の白キャップをかぶっている。応援するときは紺の長ズボンが正装のはずだが、この暑さのため何人かは半ズボンだ。

 人数はあわせて6人。試合の準備アップや学校で補習をうけている人をかんがみれば、まあまあ集まったほうだろう。


 現在のうちの部員数は総勢16名。

 1年生9人。2年生4人。夏前までは3年生は5人いたが、いまも部活にきているのは3人だけだ。

 その三大勢力の一角(べつになにか強大な力を有しているわけではない、みなとてもおだやかで善良な先輩たちだ)の引退試合となれば、応援したくなるのはもはや必然的。

 運動部にありがちな縦社会というやつではなく、ひとえに積みあげた努力への敬意と誠意だ。


 そんなおおげさなものでなくとも、人間 “さいご” という言葉には弱いもの。それが身内ともなればなおさらである。

 ……がっつり忘れていた俺たちには、耳も心も痛いはなしだが。


「──あれ。おかえりサキちゃん、近江くん」


 下段に1年生ズ。それを監督するように、ひとつ上段にすわっていた2年生の女の子。

 息をきらして近づく早乙女と俺に気づいたのか、数メートル手前くらいでこちらをふりむいた。


「すまない唯葉、おそくなった。どっかのはじめくんがもたもたしていたせいで」

「そもそもの原因であることは認める。が、あのロスはどっかの早乙女のせいでもあると俺は抗議したい」

「おっと、けんかはいかんぜよ~。わるくちをいうと幸せがひとつ逃げていくんだからね」


 あらの押し付けあいをはじめる俺と早乙女をたしなめるように、むっ、と顔をひきしめる少女。

 おそくなった件もあり、なにも言い返せない俺たち(本音をいうと、幸せが逃げるくだりに関してツッコミたい部分はあった)に、しかし彼女は追及することなく、むしろ元気づけるようにこう言った。


「応援のほうは大丈夫だよ。ふたりがいないぶん、わたしがばっちし応援しといたからねいっ」


 みろやこのきんにく~、とシャツの袖をまくってちからこぶをつくる少女。ほわほわと気のぬけるようなえがお付き。

 目もくらむようなその尊さかがやきに、俺と早乙女は塵になった。



 天使…………ちがった。加藤かとう ゆい。2年生。マネージャー。

 素朴な見た目の女の子。長船おさふね以上、早乙女さおとめよりすこし低い身長。ふわっとした黒髪のおかっぱ。目元や口元はデフォルトでゆるみがち。

 ゆるふわっとした性格にゆるふわっとしたオーラを放つ、ゆるふわの権化──

動物でたとえるならば、シマエナガである。


 だがしかし、仕事に関してはまじめに取りくむ働き者でもある。

 ひとつうえの学年にはマネージャーがいないため、去年はたったひとりで部のあれやこれやを切り盛りしてくれていた。

 練習のときのお茶の準備やタイムの計測、そのほか雑用や申込系の書類仕事など、彼女の支えあっての陸上部といっても過言でない。


 そういう意味でいうと彼女こそ本物の天使だ。

 ゆるふわでがんばり屋さんとか、もうかしづくしかない。部長とかいう特権にあぐらを欠き、悪戯ばかりして楽しむだれかさんとは大違いだ。


「──なにか言いたそうな顔だな、うん?」

「早乙女さんマジ天使」

「許そう」

「ふふっ、あいかわらず通じ合ってるね~」


 早乙女からニッコリと、加藤からニコニコとしたスマイルをいただく。ちょっと擬音がちがうだけでこうも温度差があるとは。


 ともかく、ずっと立っていても邪魔なので俺たちも詰めるようにして座席にすわる。

 早乙女と俺が席におちついたのを見計らい、加藤は足もとに置いてあったクーラーボックスをあけ、中から氷のはいったビニール袋をふたつ取り出した。

 それを薄手のタオルにくるみ、こちらにむけてはい、と差しだす。


「これ氷嚢ひょうのうね。ちょくだと冷たいからタオルに包んだりして頭のウラにあてるといいよ。とくに近江くん、さっきレースおわったばかりでつかれてるでしょう? 外もこんなにあっちっちだもんね」


 ご自愛めせ~、とほほえむ加藤。


「……おれ、おまえの幸せは何があっても守るから」

「いきなりプロポーズですかっ!? ちょっと、そういうの、かんたんに言うのダメなんだぞっ! ……わたしたちはともかく、入ったばかりの子たちにはなんだからねっ」

「いや、はじめ君はただしい。ユイの幸せ、なにより大事」

「ええぇ……? サキちゃんもそっち……?」


 おもわず空いた手で顔をおおう。よこではうんうんとうなずく気配がした。

 彼女のしあわせを護ることは我が部における最重要にして最優先事項だ。縦社会とかマネージャーへの恩義とかじゃない。ことわりである。


「もし不用意に言い寄ってくる輩がいたら言ってくれ。話つけてくるから」

「やから」

「私も同行しよう。忘れず連絡したまえ」

「承知」

「……えーっと、それで言うと、あのー、さっきの近江くんのはオーケーなのかな……?」

「ちょっと死んでくる」

「きぇぇ」


 とすとすとす、と脇腹に刺突してくる早乙女を無言で受け入れる。俺は許されざる罪を背負った。それをおろおろしながら加藤が見ている。


「……やめろおまえら、唯葉がこまってんだろ」


 茶番をくり広げていると、声とともにいきなり手刀が脳天にふってきた。

 わりと手加減のない一撃に涙目になりつつ、俺と早乙女はふりかえる。そこには声の主──するどい目つきをした同期の少女が立っている。


「む、おかえりさとみ。どこに行ってたんだい?」

「それはこっちのセリフだけどな。──もってきた飲みもんぜんぶ干しちまってよ、しゃあなし1階の自販機に。……ほんっとあちいよな。どうにかなんないのか、これ」

「もうっ、いってよさとちゃん! わたしのドリンクあげたのに!」


 頬をふくらましてぱかぱかクーラーボックスのふたを開けたり閉じたりする加藤。

 開け閉めのたびに冷気がもれるのか、まえにすわっている1年生の男の子が

“うぉう” ってなってる。


 うしろにあらわれた彼女は、高瀬たかせ 里美さとみ。2年生。種目は短距離と跳躍。

 一見するとこわそうな見た目の少女。鋭い目つきの三白眼。茶髪でポニーテール。けだるげな口調と表情がよりいっそう、周囲の人を遠ざけている。


 というのは見た目の話。実をいうと、俺たち2年生のなかではいちばんまともな性格の持ち主である(俺と早乙女は異議ありしたが、加藤の『常識人? うーん、さとちゃんかなぁ』というセリフですべてがきまった)。

 意外とかわいいもの好き──という話をするともれなく冷酷な視線か、場合によってはハイキックを食らうことになるので注意が必要(1年生の俺の体験談より)。

 動物イメージはすなおにオオカミで。


「まったく、里美はいつもそうだ。堅物というか頑固というか、なかなか他人をたよろうとしない」

「おまえに言われる筋合いはねーよ。一匹狼って話じゃどっこいどっこいじゃねえか」

「いーや、私はそこのところちゃっかりしているからな。君とユイとはじめくんには甘えっぱなしだ」

「誇らしげに言うことかよ、それ」

「……ユイ、なんだか里美がつめたい」

「サキちゃんおいで~」

「いく~」

「……よそでやれよ」


 心底あきれた表情の高瀬はさておき。場は一瞬で和気あいあいとした空気になった。

 女子トークのはじまりだ。こうなってはもう俺が口をひらくタイミングはない。一年越しの付き合いとはいえ、流石にここに入っていけるほど肝は座ってなかった。


 高瀬は俺たちの座席のうしろ、手すりをつかんで立ったまま。この炎天下で立ちっぱなしというのもあれだ。二人とだってしゃべりにくいだろう。

 ……ここは席をゆずるがきちとみた。


 そういうわけで席を立つ。

 高瀬にアイコンタクトをおくる。

 舌打ちが返ってくる。

 俺は死んだ。


「……恨みでもあるんすか」

「なっ、いや、べつにそうじゃねえけど……近江がわざわざ席たつほどでもねえだろって話」

「それで舌打ちってガラわるくない?」

「う……まあ、それはそうかもしんねーけど……」

「まあはじめ君だしな」

「まあ近江くんだもんねー」

「ちょっと女子」


 おもわぬ反撃にあった。

 そう、これが現実。男女比、1対3。当方、圧倒的不利。


 まあ世の不平等あるあるにいちいち文句をつけていても仕方あるまい。心のなかでため息をつきつつ、立ち上がってひとつとなりに座った。これで端から加藤→早乙女→

空席(高瀬)→俺、の順番になる。


 これでいいすか、と視線をおくる。高瀬は地味にくやしげな表情でだまりこんだあと、結局「……ありがと」といって素直に空いた席へとすわった。


「もう、恥ずかしがり屋さんなんだから」

「──ころすぞ」

「すみませんでした」

「…………にしても遅かったじゃん、あんたら。“近江がおそいから連れてくる”って言ったのサキだったでしょ? 30分もなにしてたのよ」

「む……まあ、ちょっとしたハプニングがあってね。連行するのに少し手間取ってしまったのさ」

「トリップしてた、の間違いだろ」


 ぼそり、とこぼす。

 あの奇行を“ちょっとハプニング”におさえるのは無理がある。ちょっとに失礼だ。ちょっとに失礼ってなんだ。


「そうだ。さとみ、ユイ、じつはさっきとっておきの情報を入手したんだけど」

「まじ、さお、おっま、まじ」

「ん? なになにー?」

「……おもしろいもん?」

「保証する。今季……いや今年度ベストアワード受賞といっても過言じゃない」


 そういってものすごく意地の悪い笑顔でこちらを見やる早乙女。

 あの野郎……じゃなくてあの乙女……、なんてことしやがる。じゃなくてしようとしやがる。


「早乙女、交渉しよう」

「ほーう。賭け金ベットは?」

「あー……うー……えー……」


 いたって真面目に、しごく必死に、脳内の歯車をフル回転させる。

 身内に恋バナ(真偽不明)がバレるとかどんな恥だ。しかも女子。うち1名は要注意人物。

 なにを犠牲にしても、この話はここでせき止めておきたい。


 早乙女がほしがるもの、早乙女がほしがるもの、早乙女がほしがるもの……。


「…………こんど、あいつのパン屋のパン、買ってくる、とか」

「──ふぅ。そこで彼女自身を天秤に乗せないあたり、はじめ君だよね」

「……最低限の礼儀だろうよ」

「漢気だ、ともとらえるけどね、私は」


 嘆息たんそくし、どこかあきらめたように笑う早乙女。


「しょうがない、君はそこんところメーター振り切ってるからな。自己評価低めマシマシなはじめ君に免じて、今回は勘弁してあげるとしよう」

「低いのか高いのかいまいちわからん表現だなそれ。……そんな言うほどか?」

「もうね、壊滅的」


 ちらりと高瀬の方を見る。ふいと視線を外された。

 ほんとに恥ずかしがり屋さんだな、まったく。


「──えーっと……それで、話のつづきは? たぶんだけど、近江くんにも春がきたって話だよね?」

「む」

「ふぉ」

「……はぁ」


 額にしわを寄せて停止する早乙女。

 奇声をあげる俺。

 ため息をつく高瀬。


 三者三様の反応を受け流し、加藤はわくわくした顔で『ねえ、そうなんでしょう』と詰め寄ってくる。

 そんな興味津々にならなくても。わざわざ迂回してとなりの席こなくても。


「その“あいつさん”ってパン屋さんなの? お二人はどういうご関係? もしかしてさっき遅れてたのってそれが理由だったりする? え、じゃあここにも来てるの?」

「いや……その……いや……ちょ、その……」

「おもしろいくらい為すすべ無しだな」


 ……ひだり、ひだりからの圧がすごい。

 とまらない質問と物理的にせばまる加藤との距離にたじたじになる。要注意人物……彼女のスイッチがはいってしまう話題は現在3つほど確認されているが、その1つが“恋バナ”である。


 雰囲気からしても、ふだん受けているサポートからしても、彼女には強くでられない俺だ。こうなってしまった以上、もうどうにも止めることはできない。アーメン。


 ……でも早乙女に言われんのはなんかしゃくだな。


「……はぁ。ほら唯葉、先輩の応援」

「わふ」


 にっちもさっちもいかなくなった俺の姿に、最初に助け舟をだしたのは高瀬だった。

 呆れたふうに息をつき、せまりつづける加藤の両頬を片手でむぎゅ、とつかむ。おかげでようやく追及の嵐がとまった。


「決勝はじまるみたい。ユリさんでてきたぞ」


 高瀬の言葉につられて正面、トラックの方をむくと、ちょうど8名の選手が幅跳びのコースに並んでいるところだった。


 並んでいるのはすべて女性(種目が“女子走り幅跳び”なのであたりまえだが)、余裕の笑みをみせる者、集中するように瞳を閉じる者、表情はばらばらだが、みな堂々としていて貫禄かんろくがある。

 予選を勝ち抜いた人たちだ。これから順に名前を呼ばれ、記録の浅かったものから競技を行っていく。


『──3番、山梨ユリさん、奥山北高校』


 わあっ、と拍手をおくる。

 右から三番目の位置に立っていた先輩はまっすぐ手を挙げ、優雅に一礼して観客の喝采かっさいに応えた。

 いつもどおりの落ち着いた仕草。高校最後の試合であろうと、競技に臨む姿勢は変わらないらしい。


 先輩はそうしてこちらの応援にいつもの笑顔で手を振り返し、

 ──俺と早乙女をみて、ふと、ものすごく寂しそうな顔をしてうつむいた。


「……予選のこと、根に持ってるようだね」

「……これからの応援で挽回できるとおもうか?」

「む……。あれは……一週間コースじゃないか?」

「遅くなったあんたらがわるい。言っとくけど、あたしは知らないからね」


 直属の後輩ということもあり、辛らつだ。高瀬の言葉をうけ、俺と早乙女はそろってため息をついた。


「……せいぜい、誠意をみせるしかないっすよね」


 後悔先に立たずというか。過去を悔やんでも仕方ない。

 予選の不在を帳消しにして余りあるくらい、ここは精一杯応援することで汚名を返上させていただこう。


「──ね、近江くん」

「ん?」


 ひとしれず決意を新たにしたところで、よこから加藤。

 みれば、真剣な表情で口元に両手メガホンをつくっている。あまり聞かれたくない話らしい。メガホンからもれるひそひそ声を聞き取ろうと、そちらに首をかたむける。


「──それでさっきの話なんだけどさ」

「あ、つづける感じなんだ」


 うずうずして止まんなかったらしい。

 せんぱいのおうえんもだいじなのに……という罪悪感が声量にでてる。


「それで、二人の馴れ初めは? どこまで進んでるの? おんなじ学校の子? ひょっとしてわたしも知ってるひとだったりする?」

「いや、加藤、それはまたこんどに……」

 

 目が。きらきらして、拒みづれえ。

 

 おもわず助けをもとめて隣に視線をなげるも、高瀬はもうあきらめたらしい。早乙女は試合に夢中で気づいてすらいない。マジ早乙女。



 ──と、いった感じで。

 その後、俺は一日中加藤から“あいつさん”について根ほり葉ほり訊かれることになったし、高瀬からはなぜかすれ違うたびに足蹴られたし、早乙女はなんか関係なさそうな表情かおで『はじめ君もたいへんだなぁ』とか言ってやがったし、試合から帰ってきたユリ先輩には泣かれた。


 俺はその夜、寝る前にはじめて胃薬を飲んだ。

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