14. パン屋の店員さんが応援にきてくれた話④


「長船様ファンクラブNoナンバー.3、通称オサファン四天王の一角を担うこの私の前で」


 早乙女さおとめサキはクールな顔つきでそう告げた。南極もかくやというクールさだ。どうクールかと言われると具体的な形容は伏せるが、まあ夏の怪談的にクールな感じだとおもってほしい。


 おもわず息をのむ。体のふるえを片手でおさえながら、一歩、二歩と後ずさる。

 メインスタンドの怨霊、サキ子をまえにして俺はひどく戦慄せんりつしていた。


「……うそだろ…………実在してたのかよ」

「喧嘩うってるのか君は」


 友人へんたいから聞かされていた件のファンクラブ。『またおおげさな……』なんて冗談半分に聞きながし、どうせ彼の空想上の宗教団体かなんかだとタカをくくっていたのだが……まさかほんとうに存在していたとはおもわなかった。


 しかもその影響は、あろうことか俺がもっとも信頼しているといっても過言ではない人物にまで波及はきゅうしていたのだ。

 他人の趣味しゅみ嗜好しこうにクチをだす気はさらさらないが、身内がそんなバカみたいな団体に加わっていたとなると話は変わってくる「おい、君いまなにかいろんな方向に失礼なこと考えてるだろ」受け入れがたい事実をまえに、思考回路がフリーズしかける。


 一方、それをきいた長船おさふねは難解な表情をしてだまりこんだ。

 ……無理もない。いちおうの知識がある俺ですら、ちょっとうけつけない感じのセリフだ。だまってしばらく考えていたものの、すべてを理解するにはおよばなかったらしい。

 それでも、とりあえず重要な部分だけはのみこめたのか。ほっと気の抜けたような顔と声で、


「そっちか……よかったぁ」


 なんてつぶやいた。なにもよくない。


「────ああ、すまない。急調な事態にすこし取り乱していたみたいだ。もう落ち着いたから大丈夫、安心してくれ」

「お、おう」

「だいじょうぶだ。ここじゃひとの目がおおすぎるし。だからダイジョウブ」

「待ってくれ、安心できなくなった」


 むしろドキドキしてきた。なんだろう、これは、恋?(現実逃避)


 うつろな目をしてうつむきがちにつぶやく早乙女。どうやらまだ理性はお戻りでないらしい。このままではがでる可能性がある。早々の復帰がのぞまれるところだ。


「とりあえず事情を整理しよう。長船様はこのモブと親しくされているということで……?」

「モ……」

「親しく、といいますか、それ以上といいますか」

まてウェイまてウェイまてウェイ


 なんか焦りすぎて英語がでた。前世はアメリカ人だったのだろう。(現実逃避)


 少し考えるような素振りでかえした長船。この状況でなぜつっこんでいけるのか理解に苦しむ。

 あれかな、イノシシだから曲がれないのかな(※:イノシシは曲がれます)。

 せめてとまれよ。


「それとあの、その呼び方はやめてもらっていいですか。私、後輩ですし……できればもっとフランクに呼んでいただけた方が」

「──ああ、すまない。……その気持ちは、わたしもわかっていたはずなのにな」


 次いで、ちょっと困ったような顔をする長船。ふだん学校中から羨望せんぼうの視線をあびる彼女にしても、面とむかってそういった呼び方をされるのはやはり慣れないらしい。


 それをみて早乙女は一瞬、きょをつかれたような顔をし、それからどこか自嘲じちょうめいた悲しげな笑みをうかべた。

 “奥山おくきたのプリンス”とよばれる彼女にしても思い当たるがあったようだ。すっと落ち着きを取りもどし、すまない、と律儀に頭をさげる。


「じゃあ長船さん……いや、カナさんって呼んでもいいかな」

「……まだ少し違和感がありますけど、それでお願いします」

「ありがとう、ではそう呼ばせてもらうよ。──それじゃあカナさん、せっかくだし、連絡先を交換してもらえるだろうか。あと念のため、いっしょに写真を撮ってもらえたりするとうれしい。これはついでだけど、私を身の回りのお世話係に任命する気はないかい?」

「距離のつめ方下手エグいなこいつ」

「ありがとうございます。ご好意はうれしいのですが、先輩みたいなかっこいい女性にお世話されるなんて私も困ってしまいますよ」

「──っとぉ、ラグナロクぅ」

「どういう反応だよそれ」


 両目を閉じ、天をあおぐ早乙女。なにかを悟ったような、おだやかな顔をしているところが腹立つ。もう部長としての威厳も原型もねえわ。


 一方、長船は学校での優等生モードに切り替わっている。

 目の前におなじ学校の人間がいるのだから当たり前なのだろう。それも一学年うえの有名な先輩(と聞かされていた人物)である。普段どおりの……いや、それ以上に気をつかっていてもおかしくない。


(……ただでさえ、応援でつかれてるだろうに)


 脳裏に浮かんだのは、先ほどまでの元気のない長船の姿。

 ここは早めに自由にしてあげた方がいいのかもしれない。


「カ──長船、おまえさきに戻ってていいぞ。この調子だといつもより面倒そうだし、早乙女こいつの戯言に付きあってやる必要は──」

「は? もどりませんけど」

「えぇ……なんでキレてんの……」


 つつましやかな優等生から一転、一瞬でキレッキレになった。

 目がマジ怒りだ。またなんか地雷踏んだか、俺。


「──ずいぶんと親密なご様子だね。これはあくまで参考程度に聞いておきたいのだけど、ふたりの馴れ初めと関係性はどういった感じで?」

「参考にとどまらない気迫と視線を感じるが。……俺がよく行く近所のパン屋で働いてたんだよ。そっから……あーなんというか、何度も行ってるうちに親しくなった、みたいな……」

「は? うらやましすぎるんだが」

「いやこわい、かお近づけんな」


 早乙女の顔が縮地しゅくちしてくる。距離がミリだ。血走った目とひくついた笑みが眼前に迫る様子を想像してほしい。心中はギャン泣きである。


「ほら離れろ。だいたい親しいからって良いことばかりってわけでも……」


 肩をつかんで引き離す。それからいちおうの説得を試みようと口をひらいたが……ひだりからきゅっと引っ張られる感じがして、言葉が中断された。


 振り返ってみると、長船がびみょーな顔をしてそっぽを向いている。

 もう知りません、みたいな感じで。どこか子供っぽく。

 しかし、目はすばやく俺と早乙女のかおをしている。体はあちらを向いているのに、右手はがっしりとこちらの袖をつかんでいる。


 ……いや。そういうのじゃないだろ、どう見ても。


「たまらないな……」

「なにが」


 なにが。


 つぶやく早乙女は、なんかこう──え、これなんだろう? 歓喜と興奮いりまじった、いまにも天に召されそうな至福の表情をしている。

 ちょっと他人には見せられない感じのやつだ。いちおう、部の長として拝しているこちら側としてはやめてほしい感じのやつである。


「……これが皮一重ってやつか」

「む。なにがだい」

「いや、おまえがそこまでこいつに入れ込んでるとはって。意外というかなんというか、おまえはアイドルとかそういうのハマったりしないやつだとばかり」

「ちょっとはじめ君、アイドルなどといっしょにしないでくれ。彼女は天使だ、人じゃない」

「人だよ」

「ちょっと先輩、だれがですか。妻に訂正してください」

「妻じゃねえよ」


 まえとよこ、二手にわかれて飛来するボケを打ち返していく。長船が二人にふえたみたいだ。いや、早乙女がふたりに増えたのか。どちらにせよ、めんどくさいことには変わりない。

 厄介なのはどちらもボケだとおもってないことだ。二人とも“納得いかない”みたいな顔しやがっていらっしゃる。いちばん労力に見合っなっとくしてないの、俺だからね?


「言っておくけどな、私は入学式の日から彼女のファンなんだぞ。私服ジャージに着替えたラグビー部の駒井こまい先輩を体育教師とみまちがえ、『おはようございますっ!』と礼儀正しくあいさつする彼女の姿をみたときからな!」

「っ…………」

「あ、やめたげて。けっこうダメージはいってるみたい」


 早乙女のカミングアウトをくらい、長船は顔を真っ赤にしてうつむいた。

 こちらの肘のあたりをつかみながら、ぷるぷる、ぷるぷるしている。こんにゃくゼリー再誕か。


 まあ運動部の三年生とかガタイいいからな。服とかちがうと見間違えちゃうよな。そういう部活はいってないならなおさら、な。……元気だしな?


「ちなみに。その場に居合わせた私、ラグビー部の駒井タケシ先輩、図書委員の倉敷ユミ先輩、園芸部の平泉マキ先輩がファンクラブを立ち上げた始まりの4人だ」

「……」


 うわぁ、どうでもいい。


 どうやら相当に白けた目をしていたらしい。こちらをみて早乙女はまるで信じられないとでもいうように頭を、声を低めて俺を糾弾きゅうだんしはじめる。


「自分がどれだけ幸福な立ち位置にいるのか、まだ理解できていないのか。よく見てみるんだ、となりに寄り添う彼女の姿を。少女らしい華奢きゃしゃなシルエット、ちょうど頭ひとつぶんくらい下の小柄な背丈。楚々そそとして丁重な佇まいに表情、そこにときおり現れる、あどけなさの残滓ざんし。そして、普段は落ち着いた聖母のような微笑みを浮かべる彼女が、いまは不安そうにして君の袖をつかんでいる。その仕草ときたら──やっべおい、たまんねんな」

「急にオヤジだすのやめてくれない? その顔で出されるともう脳がバグるなんてレベルじゃないんだけど」

「あのなぁ君、ものを愛でるのは人間の義務だぞ、義務。可愛いものを“かわいいっ!”といってなにがわるい。好きなものを“ああもうっ、すきっ!”といってなにがわるい。いやほんと、ひかえめに言って家にお持ち帰りしたいくらいかわいいなぁおい!」

「最後のは犯罪だろ」

「ごめんなさい……そういった提案は先輩をとおしてからじゃないとダメなんです」

「はじめ君、ちょっとツラ貸せ」

「勘弁してくれまじで」


 あれ、なんかしれっと売り飛ばされたんだが。


 早乙女の呼吸にも慣れてきたのか、なんか長船に余裕がでてきた気がする。不安そうな顔をしつつも、チャンスがきたら嬉々として俺にキラーパスよこしてきやがる。てかチャンスってなんだ。なんでみんなして俺のこと倒そうとしてんの。


 らんらんと目を輝かせる(断言しよう、かわいい感じのやつではけっしてない)早乙女から顔を背ける俺。この女、ツラ借りる気満々である。

 どこに話を落とそうか迷っていると、よこから長船が口をはさんできた。


「そういうことなら場所はうちのパン屋さんでどうですか。なかにカフェスペースもありますから、わたしもかん……じゃなくて、おしゃべりするにはもってこいかと」

「──決まりだな」

「きまってねえよ。明日も大会だし、あんまりムダなことしてる時間はない──」

「棄権したまえ」

「おい部長」

「じゃあこうする。部長命令だ。今日はパン屋さんにいく、はじめ君は明日大会も走る。以上」

「なんつー横暴をてめえ……。断固拒否だ、独裁は認めん」

「やだ」

「こっの」


 くそ野郎──は野郎じゃないからちがう。くそ乙女……はなんか名前もあって言いにくいな。こっの。


「……えっと、これで、どうですか?」

「感無量の極み。感謝奉り申し上げ候」


 俺が葛藤している間に、いつのまにか女子二人の間で話がまとまっていたらしい。

 ぴこん、と友達追加の着信音がして、長船はなぜかうれしそうな笑みを浮かべて携帯をはなした。早乙女はなんか変な顔をして地に突っ伏している。


 ……手遅れ感は否めないが、さすがにちょっと心配だ。とりあえずとなりに戻ってきた長船に声をかける。


「……おい、よかったのか? と交換して。たぶん、あいつ女子高生の皮かぶった変態だぞ?」

「先輩って気を許した人には辛辣ですよね……。話した感じ、わるい人じゃなさそうですし、先輩のお友達だからだいじょうぶですよ。それに私からもいろいろ聞きたい話とかありましたから──はっ、いまの、もしかしてジェラシーですか!?」

「……」

「はい、わたしのけいたい、どうぞっ! あ、じゃなくて、抱っこしますか!?」

「……」


 あたふたと携帯をつきだし、つづいて両腕をひろげて“えいっ”みたいな表情になる長船。

 ……なんか、気にした俺がバカみたいだ。


「……ん。てか長船、おまえ時間は? たしか夕方からバイトだったんじゃないか?」

「──はっ! そうでした、私もう帰らないと!」


 長船は左手につけた腕時計を確認してあわあわしだした。

 もともとシフトがはいっていたところを、交渉して夕方まで自由にしてもらった……という経緯を先日俺は目にしている。というかその元凶が俺なので、遅れさせるわけにはいかない、みたいな責任感があった。


「公園の入り口に15分ごとに送迎バスがきてるから、いまから行けばちょうど次のに乗れるとおもう。そこまで送るよ」

「いえ、来た時とおなじなので大丈夫です。……それより、先輩の方こそ忙しかったのでは……?」

「……山梨やまなし先輩の幅跳び」

「っ! しまった、私としたことがつい夢中に──っ」


 首をかしげた長船の言葉に、呆然とする俺と跳ね起きる早乙女。

 いろいろありすぎてすっかり忘れてしまっていた。会話の裏では三年生の引退試合が行われている真っ最中である。


「もうこんな時間──まずいな、完全に遅刻だ。これはもう予選もおわってるかもしれない……」

「……とりあえず、スタンドもどるか。決勝のコールに間に合えば大丈夫なんじゃないか?」

「いや。さみしがり屋なユリ先輩のことだから、だれがいるいないは把握してるはずだ」

「んなターミネーターみたいな……」

「とくに君と私はロックオンされてるぞ」

「……そいつは光栄だ」


 なんにせよ、早く戻るに越したことはないらしい。


 あらためてありがとうな、と長船の方をむく俺。またぜひきてほしい、とやさしい声で早乙女。

 長船はうれしそうにほほえみながらうなずき、ぺこりと小さく頭をさげた。


「それではまたのちほど。お店で待ってますね、早乙女先輩、近江先輩」

「ぁふ、もう私ここで死んでもいい……」

「ほかの人の迷惑だからやめてくれ」


 地面に崩れ落ちていく早乙女の左手をつかむ。変態といえど外見は乙女、あまりどろどろになるのもよくないだろう。

 なんていうこちらの気遣いなどつゆ知らず、早乙女はしあわせそうな顔でみょーんと伸びてる。……こいつ。


「……せんぱい」

「ん?」


 一連の行動を見ていた長船が、ちょいちょい、と俺に向けて手招く。

 耳を貸してください、との意味コトらしい。早乙女を支えつつ、頭だけ彼女の方に寄せる。


 そうして、彼女は俺の耳元へと口をちかづけ──、



「────ほかの女性ひとに浮気したりしちゃ、ダメですからね」


「……は」


 なにかいうより先に、長船の頭突きが胸にささる。

 右下から、斜め上に突き刺すように。

 ただ、ずつきといっても、ぽすっ、という擬音がでるくらいのやさしいやつだ。


 固まる俺の手前、彼女は数秒ほどぐりぐり頭を押し付けた。押しつけたあと、耳のあたりを真っ赤にしながら、ばっと離れて駆け去っていった。


 …………は。


「…………ぇ。……いまの、なん……」


「はっ!! いま、なにかすごいものが私の近くで起こった気がする!!」


 左側で奇声。

 恍惚こうこつとした表情でトんでいた早乙女がよみがえった。


「なぁはじめくん、きみ、いまカナ様にすんごいことされなかったか!? そんな気配を感じたんだが!」

「けはい」


 ……なんだろう。気功術の一種かな。


「おい、はじめ君! どうなんだいはじめ君!」

「……まあとりあえず、スタンドもどろうぜ」


 わいわいとさわぐ早乙女に、俺はなんとか、そう返した。

 ぎゃいぎゃいとごねる早乙女を背に、くるりと体の向きをかえる。うぉううぉうとほえる早乙女を伴い、スタンド2階への階段をあがりはじめた。


 ……いやいや。

 ……いやいやいや。


 説明しろといわれたって。むり。

 しょうじき自分でもいまなにが起きたのかちゃんと把握できてないしなにされたのかとか胸にあたる感触とかなんかいい匂いしたなとかべつにおもってないというかおもってもそれはそれでしかたがないばあいもあるというかだっていきなりあれはないだろうというかこころのじゅんびとかそもそもあれはいったいぜんたいどういういとがあって──。


「……はじめ君? おーい、ちょっとはじめくん、いったいどこへ行くんだい──」


 うしろでなにか聞こえた気がしたが、とうぜん気にする余裕はなく。


 あとから聞いた話によると。俺はその後、神妙な顔をしたまますたすたと歩き続けたらしい。

 止めようとついてきてくれた早乙女と一緒にメインスタンドから芝生スタンド、バックスタンドをとおってメインスタンド……とトラックをかこむようにぐるりと一周まわったらしい。

 まったくもって身に覚えがなかった。





「しかし──そうか」

「ん?」

「いいや。きみがあれだけ順位にこだわっていた理由がわかったからね」

「……ん、理由って?」

「あれでバレないと本気でおもってるの?」

「……」

「……」

「…………なんかわるいかよ」

「べぇつにぃ~? 私からいうべきことはなにも~? そうだなぁ、君はさっき『おまえがアイドルにハマるなんて、どうちゃらこうちゃら~』と言っていたけど。私に言わせれば、『どっちが~?』って話だけどね」

「……べつに、顔見知りの後輩のまえですこしがんばるくらい、男子ならふつうだろ」

「君が平均フツーの男子だとしたら、の話だよね、それ」

「早乙女さん、ノータイムで返されるとさすがに辛いんだけど」

「誉め言葉だよ」

「……」

「まあそんな生真面目で頑張り屋で自分の中に絶対の基準をもって走りに打ち込むだれかさんが、“かっこわるい姿だけは見せたくない”なんて青春丸出しの理由で自身の最高を上回る結果を残したことについて、とてもとても思うところはあるけどね。まあべつに、それについて私が言うべきことなんてなにもないさ。なにもね」

「…………」


 げてとすとはこのことか。

 こちらを振り返る早乙女の顔には、地獄の鬼くらい底意地のわるい笑みが浮かんでいる。


「ほらほら~口ではああいっておきながら、ほんとはきみもぞっこんなんだろー?」

「……わりと気づいてはいたが、おまえって心に悪魔を一匹飼ってるよな。いたずら好きで性悪なやつ。飼い主はペットに似るときいた」

「エントロピー増大の法則だね」

「だれが覆水の話をしたよ」

「あぁ、それはそれとして、この件は里美と唯葉にも報告しないとな」

「天使だとおもう。早乙女まじ天使。こんなに慈悲深い女性は見たことない」

「言った言葉はくつがえらない……覆水盆にかえらずとは、まさにこのことだよね」

「……過去は顧みない主義なんだ。反省して未来に活かした方が、より生産的だと思わないか?」

「ふーん、そのこころは?」

「誠意をみせます。馬車馬のように働きます。どうかお見逃しください」

「──ふふ、そんなに焦ったきみを見るのも面白いな」


 ……やっぱ悪魔じゃねえか。



 芝生を歩きながら言葉をかわす。どうでもいい雑談をまじえながら、気づくと視線はあちらを向いてしまう。

 恋する乙女でもあるまいに。


 そうして5回目の無意識のあと、となりで早乙女がこのうえないニマニマ顔をしているのを見て、俺はようやく意識をレースへと向けた。

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