9. パン屋の店員さんといっしょに帰る話


「気づけばもう7月ですか……早いものですね」


 夕日に染まった住宅街をならんで歩いていると、長船おさふねがしんみりとした口調でそう言い出した。


「もういくつ寝ると夏休みですよ、先輩。どうしましょう」

「どうしましょうって、べつにどうもしなくていいだろ」

「なに言ってるんですか。高校生の夏休みは人生に一回しかないんですよ。しっかり堪能するために今のうちに計画たてておかないと」

「きみにはちゃんと三回のこってるから安心してくれ」


 これからはじまる長い休暇に心をおどらせ、きらきらと目を輝かせながら軽い足取りで歩道をすすむ長船。

 元気だなぁ、とおもう。部活おわりで疲労がたまっているせいか、余計にそう感じる。


 放課後。学生という職業に課せられた一日の授業ノルマと部活を終え、俺と長船は自宅へ帰っている途中である。

 いつかのデートのときとおなじく、俺たちが歩いているのは学校から北側の住宅エリアだ。正門から南北にのびる大通りを北上し、駅方面につづく交差点を右に折れ、まっすぐ進めば長船の働くパン屋さん、もう少し進めば俺の家がある。

 ただ彼女の家が北側にあるということで、交差点を折れずに直進し、大きく迂回して帰るコースを取った。たいして遅くなるわけでもなし、別にそこに不満はない。


 だがまあ、その前に。


「なんで当然のように一緒に帰ってるんだろうか」


 俺はじとっとした目を長船に向けた。

 帰宅部である彼女と部活帰りの俺とでは、もちろん下校時間が同じになることはない。


「きっと先輩のフェロモンにひかれてしまったんですね。ついつい体が引き寄せられて」

「そこら中に体臭ふりまいてるみたいな言い方すんのやめろ。ばっちり校門前でスタンバってたじゃねえか」


 部活が終わり、校門で仲間たちとわかれて帰路についたところ、『おつかれさまです先輩』となに食わぬ顔で長船さん合流。現在にいたる。


 電柱のかげからニコニコしながらあらわれたときにはほんとにビビった。

 暗くなりかけてるときだったから、特に。


「ちょっとなんですかそれ。せっかくかわいい後輩が待っててあげたというのに。そのニュアンスだと“嬉”より“恐”がまさってるみたいじゃないですか」

「いや、実際あれは怖かった。あのビジュアルだったし、通学路も下校時間も特定されてるってふつうにホラーだからな」


 ストーカーってほんとうに怖いんだな、とあらためて感じた瞬間である。

 相手が長船でよかった。よかったってなんだ。


「というか、あの時間まで待ってたのか。まさか学校が終わってからずっとあの電柱にかくれてたわけじゃないよな」

「うちの学校の図書室ってグラウンド向きじゃないですか。窓側の座席からだと、勉強しながらでも外の様子とか見られるんですよね」

「つまり監視していたと」

「失敬な。応援パワーをおくってたんです」

「……」

「お礼はハグでいいですよ」


 さあ、と照れくさそうにしながら両手をひらく長船。こいつ人生楽しそうだな。


 チカチカと点滅をはじめた信号の前で立ち止まる。

 自家用車が1台、2台と通り過ぎるのを見送って、長船がふたたび口を開いた。


「それで夏休みの予定の話ですけど、どこ行きます? やっぱり海ですか。海、いっちゃいますか」

「海か……苦手なんだよな」

「陸上部ですもんね」


 そういうことじゃねえよ。


「単純に人がたくさんいるのが苦手っていうか。プールとか遊園地とか、ああいうのも苦手」

「ああ、そういう。先輩、他人と接するの上手なくせにあまり好きではなさそうですもんね」

「上手でもないけどな」

「またまた」


 長船は、ん-、とあごに指をあてて考え込むふりをし、満足げな顔をして両手を合わせた。


「ようするに、私の水着姿を独占したいってことですね」

「いやちが……あーうん、そうね」


 もう返事をするのもめんどうになってきた。そういうことにしておこう。


 彼女の顔から視線をはずし、くらく色づく空を見上げた。ぼんやりとした月を眺めながら、この夏の予定について考えてみる。

 あまり外出するタイプではないし、予定といっても盆の帰省と、リョウタと遊びにいく約束をしているだけだ。そもそも部活にはいっている連中であれば、この時期は大会にむけた追い込みで忙しくしている頃だろう。

 とすると、意外と自由な時間はないわけか。早いうちに予定を決めておくのはかしこいのかもしれない。


 ……そもそも彼女とどこかへ出かける前提なのが、おかしい気もするが。


「……ん。カナ?」


 そういえば、先ほどから長船が静かになっている気がする。

 気になってそちらを向くと、彼女は表情をかくすようにしてうつむいていた。


「どうした?」

「いや、べつに、なんでも、ないですけど」


 片手をこちらにむけて『おかまいなく』のポーズ。よくよく見ると耳が真っ赤だ。


 ──俺か。

 たぶんタイミング的にそうだな。さっきなに言ったんだっけ。


 数秒前の会話をおもいだそうと頭をひねっているうちに、長船の方はどうやら気持ちが落ち着いたらしい。

 まだいくらか赤味を帯びた顔をあげ、いかにも残念そうにちいさくため息をついた。


「わかりました。では第3回ドキドキ水着お披露目ひろめ会は先輩のおうちのなかで、ということで」

「そんな会は存在しないし存在したこともないんだよ」

「存在しない……って、なんだか寂しいですね」

「ちょっと悲しげな雰囲気だしてもダメだからな」


 よくすらすらと言葉が出るもんだ。その語彙力と度胸をわけてほしい。


 ふたたび赤信号につかまった。ほかに人も車も通らないさびれた交差点で立ち止まり、ライトが青へと切り替わるのを二人で律儀に待つ。

 ほどなくして信号が青に変わり、俺と長船はならんで道路をわたりきった。


「──ところで」


 つぶやき、足を止める。長船がすこし眉をあげてこちらを振り返った。


「おまえ、どこまでついてくる気?」

「先輩のおうちまで」

「いやそんな『当然じゃないですか』みたいな顔されても」


 きょとんとした様子で首をかしげる長船。こいつの中では決定事項だったらしい。

 俺の家うちまでもうすぐといった距離だ。どうしてここに来るまでに気づけなかったんだろう。


「もう付き合いも長いですし、そろそろ先輩のお父様とお母様にごあいさつしておかないと」

「なんて言うつもりだよ」

「自己紹介と、『末永くよろしくお願いします』と」

「めちゃくちゃ面倒なことになるからやめて」


 嬉々ききとして長船をもてなす光景が目に浮かぶ。

 落ち着いた性格の父はまだしも、うちの母は長船と同じでふだんは常識人なくせにネジがはずれると厄介なタイプだ。『初・息子が家に女の子つれてくる』イベントを前に理性が働いてくれるとは思えない。

 おまけにこの容姿だ。ハイテンションな質問ぜめに付き合う体力は、もうない。


「ほら」

「わ、わわ、ちょ」


 少女の手首をつかみ、しずかに引いて道を左に折れる。うしろから焦ったような声とともに、たたっとリズミカルな足音がした。

 一拍おくれて長船の頭がとなりにあらわれる。すこし強引だったせいか、瞳には不機嫌そうな光がうかんでいる。口元はゆるんでいる。なんでだ。


「家の前まで送る。適当なとこで別れたら、その後こっそり着いて来られかねんし」

「先輩……」


 長船はおどろいたように目を見開いた。そこまで親切にしてくれるとは、とか思ってるのかもしれない。

 親切というか、はやく家かえって休みたいからだけど。何のストレスもない平和な時間に戻りたいからだけど。


「そんな、私の両親にご挨拶なんて、気が早すぎますよ。でもうれしいです。先輩の方がそこまで想ってくれていたなんて」

「ねえ俺つかれてるんだけどぉ……」


 俺は両目を閉じて空をあおいだ。この後輩、元気すぎる。


「大丈夫です! 先輩ならきっと父も母も気に入ってくれるはずです!」

「そんな心配してねぇわ」

「やだ……かっこいい……」

「そういう意味じゃねえよ」


 となりで目をきらきらさせる彼女を横目に、俺は重たいため息を落とした。

 まあ元気なことはいいことか、と現実から逃避する。じっとりとした暑さをぬぐいさるようにして、夕暮れの涼やかな風が肌をなでていった。

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