8. パン屋の店員さんにちょっとお願いされる話(後)



「ほかの女の子のことは、名前で呼ばないじゃないですか」

「……え、うん。そりゃまあ」


 いきなり何の話だ?

 いや、言ってる意味はわかる。長船は俺に、その、下の名前を呼ばれたいとおっしゃっていて。

 で、その理由が“特別感がほしい”。ほかの女の子のことは名前で呼ばないから、と。


 特別もなにも、俺に、その、告白する物好きなんて彼女くらいだろうし。おなじ部活のメンバーはともかく、そう親しく話す女子だっていないのだが。

 よくわからないまま俺は首をかしげた。長船のジト目がつき刺さる。


「私は特別になりたいんです」

「これだけ話す時点でじゅうぶん特別だと思うんだが」


 はぁぁぁ、とながいため息。


「それじゃあ言わせてもらいますけど。──先輩、ふつうに女子と仲いいじゃないですか」

「ん? おれが?」


 いや、さすがにそれはないと思う。クラスでは基本リョウタとしか話していない俺だ。

 率直にいって“陰キャ”、もうすこしソフトにして“根暗”、おしゃれにいうなら

“愛想がインドアライク”というやつである。


 話すのが苦手というわけではないが、必要がなければ自分から話しに行くことはしない。話したいこともないし、時間つぶしという意味ならリョウタがいれば十分。

 そんな灰色グレー寄り思考の俺をつかまえて“なかよし”もなにもないだろう。


 ひとちがいでは? といぶかしげな視線をおくる。

 ひとちがいじゃないです、と怒り気味な視線がかえってくる。

 ……なんか、数日前にもこんな展開があった気がする。


「証拠があります」

「ほう、聞こう」

「今朝の休み時間に、うしろの席の女子から話しかけられていたのを見ました」

「ノートとれなかったから見せてほしいってやつか。まあそれくらいしゃべるだろ」

「先日は学級委員長さんとも話してましたよね」

「もう片方が病欠だったときの話な。あの量のプリントをひとりで運ぶのはきついかなと思って」

「じゃあゴミ捨てにクラスの女子と二人で向かったのはなんだったんですか」

「俺が行くって言ったら“ひとりで行かせるのは申し訳ないから”って言ってついてきてくれたんだよ。掃除のときの話だし、べつに普通だろ?」

「ふ・つ・う、じゃねえ!!」


 いきなり長船はシャウトした。鈴を転がしたような透きとおった声が空き教室にひびきわたる。


「陰キャなめてるんですか! そういう人は気安くノート見せたり事情を察して助けるイケメンムーブしたりいちゃいちゃお掃除デートだってしないんですよ!!」

「お掃除デート、ってなに」


 がるるる、と牙をむきだしにしてうなる(イメージである)長船。

 かと思うと、いきなり声のトーンが下がり気味になり、ひとりで感傷に浸るようにつぶやきはじめた。


「そういうタイプ、そういうタイプかぁ……。まあ違和感みたいなものはあったんですよね、『あれ、この人私の目ふつうにみて話すなぁ』みたいな。……ストーカーしておいてなんで気づけなかったんだろう、私」


 両手で顔をおおい、深く落ち込んだようにうつむく。ここまでの消沈しょうちんぶりは見たことがない。そんなにショックなことなのか。

 てかこいつ今ストーカーって言ったな。やっぱ自覚あったのかよ。


「まあ話すといっても用事があるときだけだし、そうそうあるわけじゃないぞ? 多少話せるからってあまり問題は──」

「大・アリ・です!!」


 長船はがばっと顔をあげた。その目には先ほどまでの怒りがよみがえっている。


「先輩は女子をわかっていないんです。いいですか、先輩はたしかに見た目はいまいちですが──」

「おお、急に刺してくるな」

「女子というのは時間をかけて男性を好きになっていくものなんです。はじめは『ふっ、こいつはモブね。顔も印象もぱっとしない量産型だわ』と思っていても、『あれ? 内面は意外と紳士的かも……』となっていき、しまいには『はぁ───すき』ってなる生き物なんです!」

「ザクっておもわれてるのやだなぁ……あとさすがに誇張しすぎだろ」

「体験談です!」

「たいけ……え?」


 なんかすごいことを言われた気がする。

 が、長船は自分が言ったことなど気にも留めず、ものすごい剣幕で抗議をつづけている。


「いまのうちにマーキングしておかないとダメなんです! 手をつけられてからじゃ遅いんですよ!?」

「俺はエサかなんかか」


 そんな動物の習性みたいな……。

 一瞬“モズのはやにえ”という言葉が思い浮かんだ。エサの量が少なくなる冬に向け、捕らえた獲物を木の枝や股に刺しておくというあれだ。


 ──あ、さっき刺したのってそういう?


「カナってよんでください」

「いや、だから流石にそれは──」

「カナって! よ・ん・で! く・だ・さ・い!」


 両腕をぶんぶん振り回し、地団太をふんで怒ってる。いつにないキレを見せる少女の姿に鬼気迫るものを感じた。


 彼女の中では、、ということらしい。

 自分がその他大勢の異性とおなじ立ち位置にいるということ(断じてそんなことはない。いろんな意味で)に焦燥しょうそうをいだき、今回のような強行きょうこう(凶行ともいう)にでたというわけである。


 はない。ない、と、思うが……あれだけ本気で怒ったり落ち込んだりする姿を見せられては、どうにも自信がない。


 これは──言うことを聞いてあげるべきなのだろうか。





「……おまえ、まだ固まってたのか」

「──お、お? おお、は、ハジメか」


 教室に戻ると、数分前とまったく同じ姿勢のままリョウタが扉の前で直立していた。

 俺の言葉でようやく硬直がとけたのか、まだぼうっとした面持ちでこちらに向き直る。


「いやーなんかものすごい幻覚を見てな。目の前にいきなり長船さ──

 イリュージョンッッッ!!」


 俺のうしろから現れた少女の姿を見て、リョウタは奇声を発しながら大きくのけ反った。

 直立から上体反らし、ついで立ちブリッジをきめ、地面を強く押して体をおこしてくる。

 この間わずか1秒。体操部かよ。


「おおおおお、おまおまおまえ、おまえおま」

「変な呪文となえるのやめろ。それよりその奇行なんとかしないと、女神さまの前でとんでもない醜態しゅうたいをさらすことになるぞ」


 もう半分手遅れだが。

 

 しかし、その言葉にリョウタは正気を取り戻したらしい。

 全神経を集中。ありとあらゆる手法で精神を統一し(ているように見えた)、目前におわす崇敬すうけいの対象となる少女に向け、片手を胸にやって深くお辞儀をする。


「おは、お初にお目にかかります。長船様ファンクラブ会員ナンバー13、敦賀リョウタと申します!」

「初めまして、長船カナと申し……おさ……ふぁんくらぶ?」

「知らないのか……あーいや、知らないならいい、てか知らない方がいい」


 あまり耳にしないワードが気になってしまったらしい。律儀に礼を返していたところから疑問符を浮かべてそっと頭をあげる長船。

 え、先輩のお友達なんじゃ──とものいたげな視線をこちらに向けられたので、気にするなとばかりに手をぺいぺいした。


「ま、てまてまて。おま、なん、ハマグリ──」

「おまえなんで普通にしゃべれてるの、ってところか」


 その様子にさすがの彼も気が付いたらしい。ぱくぱくぱくと口を開いたり閉じたりしながら、俺と長船を交互に見ている。


「あ、それは──」

「いいよ」


 長船が口を開きかけたのを片手でさえぎり、一歩前にでた。

 たぶん話にならないだろうし、なにより彼女に言わせておくとロクなことを口走りかねない。


「まああれだ、こいつとはちょっとした知り合いなんだよ」


 ぱくぱくぱく。


「いや、恋愛とかそういう関係じゃない。だいたいおまえだって、俺がそういう役じゃないのわかってるだろ」

「なんで会話成立してるんですか……?」


 横で長船がちょっと引いたような目をしている。ノリだよ。


「まえに話したことあると思うけど、部活の帰りによくパン屋に寄るってやつ。そのパン屋の店員さんだよ。何度か顔だしてるうちにちょっと話すようになったというわけ」

「おま、なんつーうらやましいことを平然と、こらぁ……」


 話を聞くうちにだんだん調子が戻ってきたのか。げんなりとした顔で力なくこちらをにらみつけている。


「おもうところがないでもない……いやほんとはめっちゃあるけど、ま、ハジメだからいっか」

「だろ」

「たぶん誇らしげにする場面じゃないです、先輩」


 満足げにうなずくリョウタと、不満そうにジト目でこちらを見上げる長船。

 ともかく、この場はなにごともなく収まりそうだ。


「じゃああれか。おまえと、お、長船様は、単なる友人関係でしかない──いやそれもうらやましいぃぃぃっけど、そういうことなんだな?」

「そんな感じ。程度の先輩と後輩、ってのが一番近いんじゃないか? 俺にとってはカナ──」

「はい先輩ちょっとこっちきましょうええいますぐに」


 言い終わるか終わらないか、くらいのタイミングだった。


 とつぜんがしりと首根っこをつかまれる。そのままなすすべもなく、ものすごい力で後ろ向きに引きずられていく。俺はいま長船に連れていかれているらしい。

 いきなりのことに何も言えず、俺はぽかんとした顔で引きずられていき、おなじくぽかんとした顔のリョウタが離れていくのをただ見ていた。



 その後、例の空き教室にて怒れる後輩にこんこんと説教された。


「どういうことですか。あれだけしぶっておきながら人前でふつうに呼び始めるってどういうことですか」

「え、いや、だってそう呼ぶ約束だし。あれだけ怒るくらいだから、やっぱり悪いことしてたのかな、と」

「クソ真面目ですか。融通ゆうづう利かないクソ石頭ですか。説明しようとしたら遮られたから、『あ、みんなには内緒で──ってそういう感じかな』とかおもって退いた私がバカみたいじゃないですか。隠す気まったくないんですか」

「いや、そこは俺なりにかくすつもりで──」

「モロバレですから。普段から『女の子に興味ないです』みたいな顔した先輩がそう呼んだ時点で即、アウトですから。それにこういうのは二人のときとかタイミングあるでしょうが。デリカシーとかないんですか」

「お、おう」


 いちばん前の席に座らされ、机をはさんで向かい合うかたちで説教される。

 床を、机をしながら怒る長船。素行がよろしいとはいえないし、あまりうるさくしすぎるのも良くないかなとは思ったが、彼女の怒気に圧倒され、俺は結局ひとことも反論することができなかった。


 その後も「いきなりでびっくりしました」とか「小学校高学年くらいからTPOを学び直してきてください」とか「ほんとにデリカシーとか女心とかわかってない人ですね」とか「さっきはよく聞こえませんでしたもういっかい呼んでください」とか怒られたり呆れられたりした。



 ようするに、俺にはデリカシーというものがないらしい。


 あんまりそういう話題に興味をもってこなかったからなのだろうか。

 恋愛関係の話とか、女子の気持ちとか、そういうことにはめっぽううといというのが長船カナさんによる総評であった。


 相手を傷つけないよう、できるだけ気持ちに寄り添って話そうと心がけていた俺である。

 さりげなく発覚した新事実に、まじめに……わりとまじめに落ちこむ俺の目の前では、淡々と長船が俺をしかりつづけ。やっと解放され、教室に帰った頃には昼休みはもう終わりかけであった。


 デリカシーのない男なので自信はないけども。

 怒っているときの長船の表情が、なぜか少しだけうれしそうに見えたのは、やっぱり俺の気のせいなんだと思う。




ーーー


モズのはやにえ:

『冬に向けた保存食』という理由に加え、『繁殖』や『なわばり』、『満腹のときに残しておく』等の仮説もある。実態についてはまだ検証が不十分らしい。


デリカシー:

感覚・感情などの細やかさ。心配りなどの繊細さ。

「──に欠ける振る舞い」「──のない人」

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