7. パン屋の店員さんにちょっとお願いされる話


「それまで話したこともなかった女の子に好意を持たれるなんてこと、あると思うか?」

「どういうことか説明しろ」


 そう言うと、奴は血走った眼をこちらに向けた。

 猟犬もかくやという、獲物をほふらんとする意志に満ち満ちた獣のそれである。


「……人選ミスったかなぁ」

「どういうことだハジメ、おい、説明しろ」


 両肩をがっしりとつかまれ、前へうしろへ揺さぶられる。ぐらぐらと回転する世界に、俺はうつろな目をして数秒前の自分の行動を悔やんだ。



 我らが母校、私立奥山おくきた高校はちょうどお昼休みに入った頃だ。


 午前中の授業を乗り切り、気だるげな静けさに包まれていた校内がいっせいに活気を取り戻す。こうして廊下を歩いている間にも、教室からはがたがたと机を引きよせる音や、友達同士でおしゃべりする声が聞こえてくる。

 そんな喧騒に少し乗り遅れるかたちで、日直として後片付けを終えた化学実験室から俺と付き添いのリョウタは教室へもどろうとしていた。


 一緒にいるのはクラスメイトの敦賀つるが 亮太りょうた。高校で知り合った友人。一年生で同じクラスになり、なんとなく話すようになり、いつの間にか仲良くなっていた男子である。

 身長は俺より少し高め。目は少し垂れ目。髪はちょっとくせ毛で、普段はのほほんとした表情を浮かべているヤサ男だ。

 部活も趣味も違うし、性格も似ているとは思えない。が、人の話はちゃんと聞いてくれるやつだし、マイペースなところもあるが悪人ではない。友人としてそれなりに信頼できる人物だ。


 そんな信頼できる友人──ほんの数秒前まで俺を食い殺すような目つきと気迫とをもってせまっていた──敦賀リョウタ氏は、いくらか落ち着きを取り戻した様子でふむふむとうなずいた。


「要するに────何度か顔をあわせたことはあるがちゃんと話したことはなく、関係は店員と客のようなもので、相手にとっては有象無象オトコのうちの一人。ひとめぼれされるような見た目でも、好感度が上がるような特別なことをした覚えもなく……。そんなヤツがとつぜん女の子に好かれ、告白されるような理由、と」

「おう」

「なるほど、わからんな」

「──」


 んんん、とその場に立ち止まって考え出すリョウタ。

 を、置き去りにして歩みを進める。あの目つきを見るに彼もそういう話とは縁のない人間らしい。そもそも男子に聞こうとした時点で間違いだったみたいだ。


(こんどあたりにでも聞いてみるか……)


 中庭に視線を投げていると、うしろからリョウタが駆け足で戻ってきた。俺の横に収まり、気を取り直したふうにこう告げる。


「まああれだな、尻のかたちが好みだったとかじゃないか?」

「おっさんかよ。──じっさいあると思うか? そんなこと」

「ないな、超のつくイケメンか超のつくお人よしでもない限り。もしくはウソコクを疑う」

「確信はないけど、そういうことする子じゃないよあれは」

「ほーん。で、これだれの話なん」

「俺……っていったところで、信じますか?」

「ああかわいそうに。夏の大会の追い込みで疲れてるんだな」


 夢オチかぁやれやれ、と頭を振る悪友。

 予想通りの反応をありがとう。あとで青汁あげるな。部活で押し付けられたやつ。


「朝練に午後練、休日も昼まで走ってるんだろ? 部活もいいけど、なんか息抜きが必要なんだよ。気分転換になるような、癒しになるような……うむちょうどいい。きみも入会するんだ、我らがファンクラブへとっ!!」

「おまえ二言目にはそれだよな」


 げんなりとした目つきでそちらをにらむ。あちらはキラキラした目でこちらを見つめ返す。視線は合っても焦点は合ってないんだろうなあというのがわかる。


「あーなんだっけ、“長船教”だっけ。あいつを教祖様に仕立て上げたヤベー宗教団体だろ?」

「ノンノンノン、“長船様ファンクラブ”だ。容姿・精神ともに優美なあのお方を敬愛し、全力で推し奉る崇高なファンクラブなのだ。教祖様じゃない。女神様だ」

「目がガチなのやばいな」


 聞いた感じ、どちらもたいした差がないように思える。なんなら目の前の男のせいでファンクラブとやらの方がヤバいと思っている。


「そうキモがるなよ。校内でもかなりの生徒が入会してるんだぞ。詳しくはおれも知らないが……構成人数は数十人とも数百人とも、数千人ともいわれている」

「全校生徒の数こえたな」

「推し活はいいぞぉ、生活が輝いていくからな」

「それ自体を否定する気はないよ。けど、対象がアイドルとか俳優とかじゃない手の届く等身大の女子ってのがさ。当人にはかなりストレスだと思うんだが」

「そこは安心してほしい。我がファンクラブは強引に彼女の周囲をにぎやかすのではなく、あくまで陰からひっそりと応援するタイプのものだ。直接かかわりに行くことはしない」

「……ふーん」


 そこじゃないというか。大多数の身近な人々からそういう対象として見られつづけるって、いいことばかりじゃないような気もするのだが……。


 まあでも、あえて近づかないようにしているのはちょっと見直した。

 ファンクラブというくらいだから、彼ら彼女らの長船への愛は本物だろう。本物というか、当人たちを見るにいくらか常軌じょうきいっしたもののように感じる。参考資料:となりの友人。

 この手の団体は当人に配慮せず、行き過ぎた善意の押し付けをやってしまうものだと思っていた。特に自制の利かない高校生とくれば、なおさらだ。


 偏見を嫌いつつ、ついそれで考えてしまう自分を戒める。

 己の浅慮せんりょを恥じながらも、最低限のプライバシーはまもられてんのかな、などと保護者めいた気持ちで視線を前にやった。


「そもそも話す勇気がないからな」

「ヘタレかよ」


 そっちか。

 いや、迷惑かけない点で言えばそっちの方がいいのかもしれないけど。なんかがっかりだよ。ちょっと見直して損したわ。


 おもわず口をついて出たセリフに若干遠い目をしていたリョウタは息を吹きかえし、弁明するようにこぶしを振った。


「あの光輝を見てみろ。近づくことができると思うか? 直視すれば目はつぶれるし、近づけば身体が溶け去りかねん」

「太陽かよ」

「おま──いいこといったハジメ、おまえ今いいこといった」

「やめろやめろ、肩たたくな。そのノリついてくの大変なんだって……」

「いやー実際、あれは太陽か、それに匹敵する神々しさだぞ。おまえだって本人を目の前にしたら話すことなんてできなくなり、鍋でボイルされたハマグリのように口をつぐむはずだ。うむ、間違いない」

「そんなことないですよ。熱心に口説かれてたりしますし」

「鍋でボイルされたハマグリはたぶん口開いちゃってるし、熱心に口説(くど)いたこともねえよ。適当なこと言わないでくれ」

「ハジメが女性を口説くとこなんて想像つかねえなぁ……」

「意外と情熱的です」

「だ、れ、が。おい、嘘つくのもいい加減に──ん?」


 ちょうど教室にたどり着き、ドアに手をかけたところであった。

 俺たちの会話に合いの手を入れるようにいつの間にか加わっていた第三者の声。それに気づいて振り向くと、そこには──


「こんにちは、先輩」


 話題の人物、長船カナその人がいた。


 高校の夏服に身を包んだ彼女を見るのは新鮮……というか、これが初めてな気がする。

 清楚で華奢なシルエット。それを補完するよう、強調するように、夏服の白さがより一層彼女の魅力を引き出している。

 日焼けを知らない肌、すらりと伸びた手足と、はっとするようなきれいな黒髪。ぱっちりとした二つの黒瞳が俺をのぞきこみ、ふっと緩んだ。


 あまり馴染みのない、人気者モードの長船である。

 不意の出来事におもわず黙り込んだ俺と、天変地異レベルの驚愕と衝撃で石像になったリョウタ。

 女神さまは二つの顔を交互に見比べ、にこりと微笑みながら口を開いた。


「すこし、近江先輩をお借りしてもよろしいですか?」





「学校で声かけて来るなんてめずらしい──っていや、そういえばストーカーしてたんだっけ」

「そんな無粋な言葉使わないでください。ストーカーなんかじゃありません、ドキドキ愛の追走劇です」

「それ、される側はドキドキどころじゃねえのよ。バクバク恐怖の逃走劇なのよ」


 クラスから離れ、連れてこられたのは校舎隅の空き教室。トイレをはさんだ北側に位置しており、昼休みの喧騒から隔離された空間である。

 うす暗く、もの寂しく、おまけに机や椅子は古い。授業や部活など特別な理由がない限りめったに人が近寄ることはない。

 つまりは、誰かと二人で話すのに最適な場所であるともいえる。


「で、なにか用か?」

「──用がないと、来ちゃダメですか?」

「あーいや、だめってことはないが……」

「ジョークです。ちゃんと用事があってお呼びしました」


 おっけい。落ち着こう。


「先輩に、ちょっとしたお願いをしたくて」


 そう言って、長船はぐっと体を近づけた。迷いのないまっすぐな瞳で机ひとつぶん空いた位置に立つ俺の顔を見上げる。


「……」


 こういうところが彼女の武器だ、と思うことがある。

 いたずら気に笑いながら俺をからかうときのでも、学校中に振りまく人気者としてのそれでもない。まっすぐで、強情で、嘘のない目。彼女が本気で意志を通そうとするときに見せる表情だ。


 これがギャップというやつなのか。普段の女神様オモテ小悪魔ウラを知っているぶん、こういうときの彼女には弱い。そう簡単に言うことは聞くまいと思いつつ、つい話に耳を貸してしまいたくなる。


「──わかった。聞くだけは聞く」

「ありがとうございます。まあその、ほんとにたいした内容でもないんですけど。ちょっとこう、まわりにも聞かせづらくて」


 彼女にしてはやけに歯切れが悪い。そんなに難しいお願いなのだろうか。


「“ちょっとした”お願いなんだよな? なんでもとは言えないけど、俺にできる範囲のことならたいていは請け負うぞ」

「え、ちょっといい人すぎません? 先輩ほんとは私のこと好きですよね」

「帰る」

「う、うそです冗談です。先輩を好きなのは私でした」

「帰る」


 言い出しやすいようフォローしてやるか、とか思ってたらこれだよ。教室かえっていいか、昼飯食いたいんだけど。


 興味をなくして帰ろうとする俺と、その袖をつかんで必死に引き留める長船との戦いは、かろうじて長船が勝利した。

 おらさっさと言えや、とばかりの鋭い眼光を向けられた長船は若干びくつきながらも息を吸い込み、じゅうぶん気を落ち着けてから神妙な面持ちでこう言った。


「私を下の名前で、って呼んでください」


 ハードルたっっっか。


 女の子の? したの名前を? 呼べと。

 え、なに。そういう感じのお願い? もうちょっとこう、「週末のバイト手伝ってくれませんか?」みたいなソフトなやつじゃないの。それ、俺にはけっこう覚悟を持って挑まなきゃいけないレベルのお願いなんですけども。


 ……ああでも、人によってはそう難しい話じゃないのか、も? たまにいるもんな、なんの抵抗もなく異性の下の名前呼べちゃうひと。

 いや期待を裏切るようでほんとうに申し訳ないけども。ここ数日で話すようになった仲の女の子を気安く名前で呼べるほどのコミュ力は、小生しょうせい持ちあわせていないんですのよ。


「……またずいぶんと急な」

「やるべきことは後回しにしないタイプです」

「……うん。それは偉いけども」

「やったぜ」


 とりあえず褒めてみると、長船は小さくガッツポーズを返してきた。思考が追い付いていないせいかあまり腹立たしさも感じない。


「が、できればお断りしたい内容ですね」

「嫌です。呼んでください」

「拒否権もないのね」


 いま俺のなかでの“ちょっとお願い”の概念が崩れかけてる。


「だいたい理由は?」

「……だって、特別感がほしくて」

「とくべつ……?」


 途端にしおらしくなってうつむく長船。うつむきながらも、ちらちらとこちらを見ている。

 そう見られたって、こちらとしてはなにがなんだか分からない状態だ。“特別”と彼女は言うが、今の状況を特別と言わずなんと言うのだろう。


 意図がわからず考え込む俺に、彼女はすこし諦めたように小さなため息をついた。


「──まあ、ようするに」


 そう言ってうつむきがちだった顔を上げ、真正面からこちらを見据える。

 まっすぐ射貫くような視線。瞳からは気持ちを伝えるという意志に加え、『よーし言ってやるぞこんにゃろう』みたいなやけっぱちな色が見て取れる。


 これは少し──怒っている?


「先輩、女の子のことは名前で呼ばないじゃないですか」


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