6. パン屋の店員さんとデートする話(後)



「先輩の好きな人ってどんな人ですか?」


 デートの帰り道。

 なんてことないといった口ぶりで、長船はそんなことを聞いてきた。


 時刻は夕暮れ時だ。西の空は真っ赤な夕焼けに色づき、東からは紫と藍と黒をごちゃまぜにしたような夜がせまって、あたりに暗いとばりをおろしている。ぽつぽつと街灯が点きはじめ、一戸建ての建ちならぶ住宅街のみちを淡く照らしていた。

 夏も近づく八十八夜──からもう数十歩ほど歩みを進めた六月中旬。徐々に日がのび、夕暮れに入る時間はいまがもっとも遅い頃だ。それでこの暗さなのだから、気づかぬうちにすっかり時間を使ってしまったらしい。


 デートはわりと楽しかった。

 映画館で待ち合わせたあと、開場までの時間をショッピングモールの下の階でつぶすことにした俺と長船。ぴょこぴょこと跳ね回る──イメージ映像である──長船に袖を引かれつつ、よくわからない服を見たり、よくわからない雑貨を見たり、本屋で小説や漫画を見たり。

 それから二人で映画をみて──意外と感動系だった。俺と長船はしっかり泣いた──すこしカフェで休憩し、こうして帰路についているというわけである。


 そんな折の爆弾発言。

 作中で散ったミーアキャットのジョナサンに想いをせていた俺の意識は、一瞬で現実に引き戻された。


「それはどういう意味で?」

「ふつうの意味で、です。とうぜん気になるところですし」


 くりっとした目でこちらを見上げる長船。真摯しんしな瞳にからかうような色は見えない。おそらく、純粋な興味で聞いているのだろう。


 とはいえ。


「俺の趣味に合わせる──みたいなの、やめてくれよ。嫌とかじゃないけど、申し訳なさで胃が凍る」

「安心してください。私が染まるのではなく、タイプの人たちを排除するだけですから」

「冗談ですよね?」


 ちらりと横目で顔色をうかがう。だってこいつならやりかねない。


「──冗談ではありますけど。警戒はしますよ」


 彼女にしてはやけに小さな返事。

 ちょっとおどろいてそちらを向くと、長船はすねた子供のように顔を背けた。


「パン屋で私が言った言葉、先輩はもうお忘れですか」

「……お忘れになれるとお思いですか」


 なんて返しつつ、内心ではやらかした自分を殴りたい気持ちだ。

 疑われればそれなりに傷つく。ましてやそれが好意を伝えてきた相手からのものだったとすれば、心痛も倍だろう。

 生意気な後輩だったとしても相手は一人の少女。それは変わらない。


「わるかった。無粋なこと言って」

「──はい」


 謝罪の言葉を、彼女はすんなりと受け入れてくれた。

 まだかすかに頬がふくらんでいるような気もするが、瞳には先ほどまでの元気がよみがえっている。なんにせよ、引きずるほどのものじゃなかったようで何よりだ。


 ほっと息をつく俺の横で、彼女はこう続けた。


「じゃあ答えてくれますよね」

「……くっそ」


 ──うん。まあそりゃ言わないとダメだわな。


 だって傷つけたし。ここは誠意を見せて質問のひとつやふたつ、答えてあげないといけないわな。それがどれほど答えづらい内容であったとしても。


「好きなタイプ、好きなタイプねぇ」

「性格とか容姿とか。容姿でいえば髪型とか、キレイ系、かわいい系とかあるじゃないですか」

「容姿……かみがた、か」

「あ、いまの私の髪型が好きなのは知ってるんで、それ以外で。男のひとなら『女の子にこの髪型してほしい……!』みたいなの、あるんじゃないですか? ちょっと私で想像してみてくださいよ、カモン」

「といわれてもなぁ」


 容姿に関しては俺の恥じらいとかプライドとかいう事情に関係なく、純粋に“よくわからない”という点でうまく答えられる気がしない。

 髪型にしたって、そもそもどれがどれだかわかっていない。“ボブ”とか“ポニーテール”とか“シュシュ”とか。同じ名前でもいろいろな種類があったりなかったり──していた気がする。

 目の前に女性を連れてこられて「この髪型なーんだ」と言われても、「黒髪」とか「ショートカット」とかしか答えられないのが俺だ。ちなみにショートカット以上の長さを“なにカット”というのかは知らない。この話をすると、友人はきまってこの世の終わりみたいな顔をするので、たぶん俺が異常なんだということは気づいている。


 容姿で他人を語るのが嫌い、という点もあるのだろうが、そもそもの話。

 で女の子を見たことがあるか、という時点で……。


「あんまり興味もってみたことないしなぁ」

「1ポイント加算です」

「なにが足された? ねえ、いまなにが足されたんだろうか。めっちゃ怖いんだけど」


 長船はうれしそうな笑みを浮かべている。余計、こわい。


 彼女の奇怪きっかいな笑みを視界から外し、目線を上げてふたたび考えこむ。

 なにをもって“好きな人”というのかは正直不明だが、長く付き合いを持ちたい人、という意味でいうならば……。


「しいていうなら……考える人、かな」

「……は」


 想定外、というように彼女は固まった。

 ぎぎぎ、と金属音をさせ──イメージである──て首を回し、大きく目を見開いてこう言った。


「ロダン、ですか?」

「ちげえよ」


 好きな人……あれ人か?

 まあ人(を模している)か。だがこの話の流れで彫像を持ってくるやつはいないと思う。

 あの苦悩をたたえたブロンズの瞳に魅了されて……とか言い出すやつがいたら、間違いなく距離を取るだろう。……一周まわって面白いやつな気もしてきた。


「その……なんというか。偏見とか、他人から聞いた噂とか、そういう表面的な部分で人を見てしまうのが嫌いなんだ。そりゃ俺だって人間だから、偏見やうわさで人を判断してしまうときもある。よく考えずにものを言ったり、それで相手を傷つけたり、とかさ」


 さっきみたいに、と視線を向ける。長船は困ったように首をかしげ、小さくうなずいた。

 茶化すような仕草は消え、真剣に俺の話を聞こうとしているのを感じる。


 こういうところは律儀なんだな、と、少しおかしな気持ちになった。


「“こいつはこうだ”って決めつける前に、ちゃんと考えたい。よく見て、よく話して、時間をかけながらよく考えて──まあ人間なんていろんな一面があるだろうし、それだけ考えるのも時間の無駄かもしれないけど。……やっぱり、傷つけたくないし」


 小学生の頃、心無い言葉でクラスの女の子を泣かせてしまったことがある。

 口喧嘩していたときのことだったし、俺だってその子から散々な言葉をぶつけられた後だったけど。衝撃に開かれた目と、ほどなくして流れ落ちた涙のしずくを、たぶん俺は忘れないだろう。


 誰かを傷つけるのは辛い。喧嘩の相手だったとしても、泣かれるのはやっぱり、辛い。

 話す相手のことをよく見るようになったのは、その時からかもしれない。正しい言葉を探して、ぐるぐる思考の旅に出かけるようになったのは、幼い頃のトラウマがそうさせたのか。


 つくづく不器用な人間だ。

 そんな俺に、誰かを選ぶ権利があるとはあまり思えないけれど。


「だからまあ、そんな考えるのにいちいち時間をかけてしまう俺に付き合って、一緒に考えてくれる人。一緒に考えて、答えを見つけてくれる人。もしも違ってたら気づかせてくれる人。そういう人と付き合えたらいいなと思うし、大事にさせてほしい、と、おも、う」


 ……って。なんか恥ずかしくなってきた。


 まわりの空気を散らすように手を振る。顔の火照りを気取られぬよう、俺はわざと明るめの声を出した。


「まああれだ。俺はこういう、めんどくさい人間だよって話だ。実際、話すたびにいちいち考え込むやつなんて一緒にいても楽しくないだろうし、場の雰囲気こわしちゃうだろうしな。そういうところを参考に、今後の付き合いをぜひとも見直してみて──」

「そんなことないです」


 逃げ出すような俺の言葉は、少女の芯のある声に遮られた。


 口に出しかけた言葉尻を飲み込む。引き寄せられるように、視線が彼女の顔へと吸い寄せられる。


「先輩らしいですね」


 彼女は微笑んでいた。


 ふっと瞳が優しく細まる。唇がやわらかく弧を描く。ショッピングモールで見せていたいたずらげな笑みとは違う、いつくしむような表情。

 その光景に一瞬、目をうばわれた。


 長船はすっと俺の前に体を寄せた。一度目を閉じ、ぱっと開いて俺を見上げる。

 先ほどの表情は消え、なんらかの自信に満ちあふれた顔がそこにはあった。


「喜んでください。ぴったりの相手が──ここにいます」

「いやおまえ正反対のタイプだろ」

「なんでですか!!」


 聖母のごとく開いた両腕を閉じ、ぐっと縮めてこぶしをつくる長船。

 俺は脱力したように、力のない目でそちらを見つめた。


「考えるより先に動くタイプじゃない? あなた」

「そんなことはないですとはいいませんけど!」

「おお、正直で偉い」

「しょうっ……え、あ、はい、ありがとうございます、えへへ……ってちがうんですよ!」


 ころころと喜怒哀楽を行き来する。こんなに感情を暴走させているこいつを見るのは初めてかもしれない。


「ぜったい好きって言わせてやる……!」


 うつむきがちに呪いの言葉をつぶやいている。鬼気迫る勢いだ。なんでこんなに元気が残ってるんだろう。


「惚れさせてやる……夢中にさせてやる……骨抜きにして依存させて、私なしでは生きられない体にしてやる……っ!!」

「最後がなければ健全だったな」


 なんらかの決意を固めている少女の横、俺はすっかり暗くなった夜空を見上げた。


 いつの間にか星が出はじめている。澄み切った空の下、月と星と街灯が照らす夜道を二人で歩く。

 はじめは『一人で帰すわけにもいかないよな』という一学年下の女子への保護者めいた考えと、「一人で帰すわけありませんよね」という後輩の挑発めいた発言に煽られ、半ば自発的に、半ば強引にきまった帰り道。


 どういうわけだかわからない。どういうわけだかわからない、が。

 無性に、この帰り道がつづけばいいと思う自分がいた。


「それじゃあ先輩。次のデートはいつにします?」


 ふふふ、と謎の微笑を浮かべ、こちらを振り返る長船。

 その言葉に、少しだけ乗り気な自分がいることに気づく。


(──結局、俺も男子ってことか)


 言いようのない敗北感と、改めて突き付けられたじぶんの単純さへの落胆と、胸にはなんだかふわふわとした気持ちが渦巻いている。

 疲れ切った顔で目の前の少女のはつらつとした笑顔を眺め、俺はまた小さくため息をついた。

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