8話 コルア・感謝の品
僕はコルア邸の前で一人佇む。今日は王都への出立にあたり、お別れの挨拶に来た。
僕は嫌だと言ったけど、ミリダに”礼儀はきちんとしておきなさい”ときつく言われて、説得された。領主の許可がないと、決して王都に行くことなど叶わないことなので、ちゃんと感謝するようにと、口を酸っぱくして何度も言われた。手には持参品のとして、ミリダお手製の青苺のジャムが大きな瓶一杯に詰まっている。
せめて、一緒に付いてきてと頼んだけど、あんたはもう子供じゃないんだから、一人で行きなさいと突き放された。ミリダもきっと行きたくないんだ。大人を理由にして逃げたと思う。
僕は意を決して、ドアをノックする。
しばらくすると、執事が出てくる。
「あの、コルアは居るかしら?お別れの挨拶に来たんだけど」
今日は特に予約をして来たわけではない。心の中で居ないことを願ってしまう。
「そうですか、トリアさんにしては殊勝な心がけですね。しばらくお待ちください」
一言余計だ。
「忙しかったら別にいいのよ、私なんかのために時間を割かなくても。このジャムさえ渡してくれたら」
僕は籠に入った大きな瓶を見せる。
「このジャムはとても美味しいのよ。私なんか滅多に食べられないんだから。私は多過ぎるんじゃないかって言ったんだけど、これでも少ないくらだってミリダに言われたのよ。家じゅうを探して一番大きな瓶を見つけて、口いっぱいまで詰め込んできたのよ。おかげて、我が家のジャムが半分に減ってしまったわ」
僕は嬉々として話すけど、何だか執事の視線は冷たい。
「とても貴重なジャムなのですね、さぞ、コルア様も喜びになられますでしょう。是非、自分の手で渡して差し上げて下さい。どうぞこちらです」
玄関先で渡して、さようならとはいかないようだ。
僕は屋敷に入り、調度品が飾られている一室に通される。
広い部屋を見渡すと、壁に所々崩れたところがある。修理しないのだろうか。修理するお金もないくらい困っているのか。
そんなことを考えていると、突然ドアが開きコルアが入ってくる。さっきの執事も一緒だ。
「トリアか、良く来たな。まあ、座るがよい」
「これどうぞ、母が作ったジャムなの、とても美味しいわよ。貴重な品だからちょっとずつ食べてね」
僕はコルアに籠ごと押し付ける。
「ミリダの作ったジャムか、また、奮発して沢山持ってきたのだな」
「そうよ、家にあった一番大きな瓶に詰めてきのよ」
「毎日、少しずつ味わうとするか」
コルアは、僕が押し付けた籠を執事に渡す。
「それじゃあね、コルア!今までありがとう、王都に行っても頑張ってくるわね」
ジャムも渡せたことだし、僕はそそくさと立ち去ろうとする。
「まあ、待つのだトリアよ。ソファに座るがよい」
僕の用事は済んだけど、コルアにはまだ何かあるようだ。僕を叱るつもりじゃないだろうな。心当たりがいっぱいありすぎる。
僕は促されるままソファに座る。
コルアは座らずに壁を指差す。
「トリアよ、この壁の崩れを覚えているか」
よく見ると、こぶし大に丸く崩れている。
「なにかしら?フフ・・・誰かが殴って付けたのかしら」
僕は笑いながら冗談を言う。我ながら面白いことが言えたと思う。
「そうだな、その者は凶暴で、曲がったことが嫌いで、自分の我を押し通そうとする、そんな者が付けた傷痕だ」
なんだか僕のことを言っている気がする。面白い冗談が言えたと思った自分が恥ずかしい。
トリアの記憶は曖昧なので、細かいことはよく覚えていない。税のことで、文句を言いにコルア邸に行ったことはあるけど、そこで何をどうしたかまでは覚えていない。たぶん、この部屋で暴れたのだろう。
「この傷は、修理せずにおいてある。自分への戒めと領民に対する怒りを忘れぬためだ」
「ふ~ん、領主っていうのも簡単な仕事じゃないのね」
簡単な仕事にさせていない原因の一人が、この部屋でふてぶてしく話をしている。なんだか申し訳ない。そろそろ、帰ってもいいだろうか。
「儂は、決して良い領主ではない。自分の懐を肥やすために領民をこき使い重税を課している。今まで暴動が起きなかったのが不思議なくらいだ。ひょっとしたら、お前が定期的に暴れるから、領民のいいガス抜きになっていたのかもしれんな」
「そんなことある訳ないじゃない。私は私のために暴れていたのよ、それがみんなのためになっているはずないわ。急にどうしたの?コルアらしくないわね」
コルアはもっと横暴で偏屈なイメージがあるけど、今日のコルアは何だかしおらしい。
コルアも勢いよくソファに座り、僕を見つめる。
「マルス王子から、今後の農奴の扱いや税の徴収について指示があったのだ。お前がもし、我が領土にいたなら、どのようにしていたかと思ってな・・・。いや、いいのだ、お前には関係のないことだ」
なんだか難しい話だ、農奴の僕にはどうすることも出来ない話だろう。コルアも僕に言い聞かせている感じではなく、自分に言い聞かせてるように感じる。
執事がコルアと僕にお茶を用意してくれる。コルアはそのお茶をすすりながら一息つく。僕も出されたお茶を一気に飲み干す。
「何このお茶、とても美味しいわね。こんな高価な物を私が飲んでいいの?」
「大した茶ではない、お前は毎日一体何を飲んでおるのだ」
「そりゃ、近所に生えている草を乾燥させて、煎じて飲んでいるのよ。みんなだいたいそんな感じよ」
「そうか、儂は領主でありながら、そんなことも知らんのだな」
「別に、私達のご飯のことまで知る必要は無いんじゃない。そんなの面倒くさいわ」
「お前はそう言ってくれるか・・・しかし、マルス王子はだな、簡単に言うと、お前たちの食事が豪華になることを望んでいる」
「豪華になったら嬉しいけど、別に今のままで十分だわ。それより、今よりも少し量が増えた方が嬉しいかもね」
ミリダの豆料理は美味しいけど少ない。ちょっとお代わりしたら直ぐになくなる。
すると、突然コルアが大声で笑いだす。
「そうか、お前はそう考えるか。お前は粗暴な女だが、得てして核心をつくところがある。儂も見習わんとな」
どんな核心をついたか分からないけど、コルアの機嫌がいいのは喜ばしいことだ。
コルアは深呼吸して息を整える。
「お前は、もっと若いうちにこの村を出て行くと思っていたよ。お前を閉じ込めておくには、この村は狭すぎる。しかしだ、いっこうに出て行こうとせん。お前であったなら、この村を飛び出して、道を切り開くこともできたであろうに」
僕は少し考え込む。トリアが、どう日々を過ごしていたか考える。
「それはただの買い被りよ。私はこんな性格だから、外に出られないと思ったのよ。日々の生活の糧を得て、自分の身の回りのことだけで精一杯だったの」
「ではなぜ、今出て行こうと思ったのだ。お前はもういい大人だ、この村で骨を埋めると勝手に思っていたよ」
「この年になって、やっとやりたいことが見つかったのよ。ただ、それだけのことよ。私は単純にできているから、そう思ったら堪えきれなくなったのよ」
「なるほどな、お前らしい理由ではあるな」
僕の拙い説明に納得したのか、コルアは何度も頷く。たぶん、僕が言った以上の何かを汲みとっているのだろう。
コルアは後ろにいる執事に合図を送る。
「これは儂からの餞別だ、受け取れ」
コルアから、ずっしりと重い皮の袋を手渡される。
中身を確認すると、金貨が数枚入っていた。
「こんな大金受け取れないわ。私は耕作した対価を受け取ってきたわ」
僕は返そうとするけど、コルアがそれを遮る。
「王都では色々と物入りになる。これはお前のためではない。我が領民を外に出す儂のただの見栄だ。儂自身の名誉と誇りを保つためだ。王都に行っても、ちゃんと生活をするのだぞ。決して、その辺に生えている草を食べたり、煎じて飲んではならぬぞ、わかったな」
ミリダみたいなことを言う。
僕はコルアと執事を交互に見る。執事もうんうんと頷いている。受け取るのが礼儀なのだろう。
「ありがとうコルア、とても助かるわ。あなたは良い領主ね。今まで私は少し勘違いしていたようだけど、見直したわ」
「いや、これは儂のただの気まぐれだ。今までの儂のイメージで構わんよ、それこそが正しい儂だ」
「わかったわ、コルアは強欲で傲慢で、そして、ちょっと気まぐれなところがある領主様ってことね」
僕は感謝の意味を込めて、コルアにありったけの笑顔を送る。そんなコルアは気まずそうに笑う。
「お前には、昔も今もさんざん苦労を掛けさせられるな。いい大人になって夢が見つかり、しかも理性を得るとは・・・、本当に行ってしまうのだな」
なんだか名残惜しそうに聞こえるけど、コルアなりの気配りなのだろう。大人の社交辞令というやつか、僕も見習わないといけない。
「また、いつの日か戻ってくるわ。だって、ここが私の故郷だからね」
僕は立ち上がり別れを告げる。ごく単純な決まり文句をたどたどしく述べる。
そんな僕を、コルアが優しくあしらう。
ドアを出ようとする僕をコルアが呼び止める。
「王都では、今、王位継承争いが激化していると聞く。お前には関係のないことだろうが、くれぐれも気を付けるのだぞ」
「わかってるわ、私はただのメイドなんだし、変な事には首を突っ込まないわ」
「そうであれば良いが、トラブルとは、力ある者の所に近づいて来るものだ」
僕は金貨の入った皮袋を握りしめ、コルア邸を後にする。
この金貨はミリダに渡してあげよう。今まで親孝行なんてしたことがなかった。
これだけのお金があれば、生活には当分困らないだろう。
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