第1章メイド編 第1話 英雄譚

一年中分厚い雲に覆われて、めったに日が差し込むことのない漆黒地域。

A級冒険者でもたどり着くことが難しい、その山奥にある広大な屋敷。

その外観は崩れたところが多くあり、大部分は蔦に巻き付かれて廃墟といった感じだ。

内部は僕の保存魔法により比較的きれいに保たれている。


仄暗いとても広い空間、そこが僕の生活スペースだ。

周りには生活に似合わない高級な骨董品や魔道具が無造作に置かれ、古文書の山が連なる。

その艶やかな骨董品に映る僕の姿は、髪がだらしなく伸び、青白く痩せこけた病的な姿だ。

自分の姿が嫌になる。その眼差しには生気が宿っていない。これが自分なのかと疑ってしまう。


そんな僕を映す骨董品には興味がない。

僕に魔法を使ってもらおうと、どこかの国の偉いさんが大層な護衛を引き連れて持ってきたものだ。

やれあの国に大量破壊魔法を打ち込んで欲しいだの、やれ天候魔法を行使して欲しいだの、我々に加勢して欲しいだの、国を襲う魔物を討伐して欲しいだの様々な要求をしてきた。

僕はそのすべてを断り、最近になっては訪れる人もいなくなった。

正直に言うと、外の出来事に興味が湧かなかった。無気力になっていた。人の生き死にさえもどうでもいいと思っていた。歴史を変える力があるのに、多くの命を救うことができるかもしれないのに、その役割を放棄していた。

屋敷の外の世界は自分に関係ないと・・・。それ程に閉じこもった無味乾燥な生活が、僕の心を蝕んでいた。

僕は生きることに億劫になっていた。


僕の色のない生活にとって、唯一の楽しみが読書だ。

古文書や魔導書の類ではない。娯楽用に書かれた市中に出回っている読み物だ。


今日は久しぶりに龍人族の少女が訪れることになっている。

幼馴染という程ではないけど、唯一定期的に訪れてくれる友人だ。

こんな場所まで定期的に会いに来るなんて、余程暇なのだろう。

彼女がいつも大量の書物を持ってきてくれる。そんな書物が僕の心を救ってくれる。空想に耽る時間がなければ、僕の心はとっくに壊れていただろう。彼女には感謝している。


ドドドドドドドドドッ!ガガガッ!!

突如外で轟音が鳴り響く。

A級の魔物が無残に蹂躙されているであろう音だ。

物理攻撃が硬い物を砕いているそんな音だ。

なんていう身体能力をしているんだ。

僕にもその1000分の1でも分けてくれれば良かったのに。


外が一瞬静まりかえり、なんのデリカシーもなくドアが蹴破られる。

「相変わらず建付けが悪いわね!もうちょっと何とかしなさいよ!」

蹴破って第一声がこれだ。僕は少しうんざりした表情をしながらも、心は踊っている。

「久しぶりドラコディア、今日はどんな本を持ってきてくれたの?楽しみで夜も眠れなかったよ」

正直、彼女が来てくれるのは嬉しい。彼女の笑みは幸せを付与する魔法だ。

「大げさねクラッド、こんな本なんかより、この屋敷に訪れた数々の冒険者の話の方がとても魅力的だわ」

金色のキラキラした眼で僕を見つめてくる。

「じゃあ、今日は究極魔法戦士ガナンの話はどうだい?それか、神滅機巧士アロギルの方がいいか。いやいや、天光覇者センセート=トリニティの話が面白いか」

「トリニティって女性よね、女性の話は聞きたくないわ」

「なんで・・?彼女の使う断罪スキルは凄かったよ。天使族唯一の生き残り、人族を裁き導く者、伝承の人物だよ」

少しムッとした表情になる。機嫌を損ねるような話はしていないのに。

「じゃあ、最強の第一人者:グラム=フォッフォの話を聞かせてよ。あんたが唯一負けたっていう」

「グラム戦はただ油断をしただけだ、次戦ったら必ず勝つ・・はずだ」

言い訳をしてみる。あの人の剣を打ち払うスピードは光速を超えている。正しく言えば剣先の場所が彼の先へ位置すると言った方がいい。あの人が剣を構えたら終わりだ、とても避けられるものではない。

そんな言い訳を見透かしたかのような目で、

「女性の話をするなんて意地悪を言うから、おあいこね」

何があいこなのかわからない。僕の困った顔が見たかったのか?人と話す機会の少ない僕は、コミュニケーション能力に乏しく、相手の意図が分からないことが良くある。


しばらくの間、話をする。今日は平民の学校が舞台の物語を持ってきてくれた。僕が一番好きな種類だ。何気ない日常が感情豊かに描かれている。僕の夢見た世界がそこにはある。しかし、彼女は恋愛物語ばかりを持ってくる。身分の違う恋だとか片思いだとか種族を超えた愛だとか、それはもう色々と持ってくる。面白くないと伝えると、少し寂しそうな表情をしていた。


「ありがとうドラコディア、たくさん本を持ってきてくれて。君がいなければ、退屈でとっくに死んでいただろうね」

「じゃあ、次はどんな本を持ってこようか?クラッドには長生きしてもらわないとね!」


僕は少し考え込む。

「今から魔法の講義をしようか、魔力の純度を上げるための集中と収束について教えてあげる」

「急に何よ、魔法が苦手なことを知ってて言ってるでしょ」

龍人族は魔法が苦手だ。強力なブレス攻撃があるから、魔法など必要ないと言える。

口を尖らせて頬が赤くなっている。整った顔立ちが台無しだ。

しかし、とある魔法について、どうしても話しておきたかった。


「ねぇ、大賢者バロンのことを覚えている?」

彼女は話を逸らすように語りかけてくる。彼女との出会いを思い出す懐かしい話だ。

「ああ、あのお節介爺さんの事だね」

「そうそう、ギルドにあんたの討伐依頼を出したのよね」

「まったくだ・・・たまたまこの地に訪れた大賢者様に人生相談をしたら、高額報酬の討伐依頼を出したときたもんだ。毎日毎日、S級A級冒険者が来るわ来るわ、僕は悪の大魔王になった気分だったよ」

彼女の持ってきた書物、大魔王討伐物語になぞらえて言ってみる。

「“S級冒険者でも勝てない討伐不可能な大魔王、その正体は世界を正そうとする大英雄だった“ってね」

同じ書物の内容を語り合えるのは嬉しい。

「僕は英雄ではないけれど、結果として英雄と呼ばれる人達に出会うことが出来た、貴重な経験をさせてもらえた」

そこで、ドラコディアが悪戯っぽい表情を浮かべ、ペコリと頭を下げる。

「あの時は、英雄に憧れるダメ兄貴がご迷惑をお掛けしました」

そう、ドラコディアの兄さんも龍人族の戦士として討伐に参加した。

あっけなく返り討ちにしたけど。

「でも、そのおかげで君と出会うことが出来た」

「大賢者バロンさまさまね」

「いや、いい加減、毎日冒険者が来るのがうっとうしくなったから、腹いせに、バロン爺さんの住む町だけ、天候魔法でずっと雨にしてやったんだ。そうしたら、依頼を取り下げてくれたよ」

「雨の大賢者って言われていたわね」

ドラコディアはケラケラと屈託のない笑顔で笑ってくれる。


――――――――少しの間が空く・・・・

僕はもう一度魔法の話を試みる。

「さっきの魔法の話の続きをしたいのだけど・・・」

嫌な話を聞くかのように、あからさまに不機嫌な顔をしている。

「わかったわ、上位種族の私が特別に聞いてあげるわ」

たぶん皮肉で言っているのだろう。しかし、観念したのか大人しく耳を傾けてくれている。


一呼吸して話す。

「人の寿命は、何千年と生き続ける龍人族に比べてとても短い。君たちに比べれば一瞬の命だ。故に日々を懸命に生きようとする。僕もそのうちの一人だ。その中でも僕の身体はひときわ弱くできている。おちおち外を出歩くことすら出来ない」

「あんたは強いじゃない。私の兄に勝ったんだから」

「それは魔力で強化したからだ。僕自身の肉体はか弱いものさ・・・」


真剣な顔をして言葉を振り絞る。

「もう死期が迫っている。わかるんだ・・・そこで来世に期待を寄せて転生しようと思う、そのための研究も完了し魔法式も完成している」

「クラッドにしては面白くない冗談ね。笑えないわ」

そこには今まで見たこともないような冷たい表情をしたドラコディアがいた。

これ以上この話をしても彼女を怒らすだけだろう。

何より、ドラコディアのそんな表情を見ていられなかった。


なぜだろう、誰よりも、彼女にだけはお別れを言っておきたかった。

その目的も一応叶ったと思い、自分を納得させる。


突然ドラコディアが腕を曲げ力こぶを作る。

「腕相撲してよ。全力を出すから、あんたが死にかけかどうか見てあげる。こう見えても私は純粋な力でいえば兄より上よ」

「わかった。久しぶりだな、力比べをするなんて。僕も本気でいくよ」

彼女への餞別も兼ねて、見た目は弱々しく骨ばった全身に、魔力を充満させ身体の強化を行う。

「あっ、そうだ、君が勝ったらここにある骨董品を全部あげるね。」

「じゃあ、あんたが勝ったら、そうね・・・、」

彼女は指を眉間に当て難しい表情をして考え込む。考え込むポーズが独特で愛おしさを覚える。

「そうだ!私に求婚する権利を与えるわ。こう見えて私はモテるんだから。言い寄ってくる男は多いのよ!」

自慢のつもりだろうか。いや、冗談だろう。ここはしっかりのってあげなくては。

「ははぁ、龍姫様、あり難き幸せです。例えこの細腕が折れようともその権利を頂戴したく全力を尽くします」

「苦しゅうない、存分にその力を発揮せよ」

彼女の身体が発光したように見える、ドラゴンオーラだ。龍人族特有の身体強化術だ。

自然界に存在する低位精霊の魔力を集め身に纏う、精霊との親和性が高い龍人族だからこそできる術だ。短時間ではあるけど、その身体能力は飛躍的に上昇する。

並みの人族ならその威圧で意識を保てないだろう。黄金眼のドラゴンオーラともなれば猶更だ。

しかし、僕から見たら、細やかな精霊の力を借りた身体強化術だ。

膨大な魔力を持ち、最高位の強化バフを幾重にも行える僕にとって、子供じみた能力といえる。


ドラコディアの手を握る。とても柔らかい手。触覚のない僕の手にドラコディアの温もりが伝わってくる。このままずっと握っていたいと思えるほどに。

その手はか細く少し震えている。彼女なりに何かを感じとっているのだろうか。


「それじゃあ、行くわよ!」

そんな掛け声とともに彼女は全力を右手に込める。

魔力で強化されていないテーブルだったらすぐに粉々になっていただろう。


僕も遅れて力を籠める。少なからずハンデのつもりだ。

彼女の力はとても凄まじく、大気が震えている。

しかし、彼女がいくら力を込めても僕の手は動かない。

それもそうだ、彼女と僕とでは扱っているバフの量・質がまるで違う。

ほんのちょっと腕を前に出すだけで簡単に彼女を薙ぎ倒せるだろう。

はっきり言って反則だ。

彼女は頬を赤らめ懸命に力を籠めている。


「ずるいわっ!」

突如大きな声を出し繋いだ手を振りほどく。

「あんた、勝つ気がないでしょ!全力を出すって約束したのに、嘘つき!」

「いや、違うよ。全力は出してるよ」

ただ、ほんの少し彼女と手を繋いでいる時間が欲しかっただけだ。

確かに一気に倒せないでいた。それが彼女には許せなかったのだろう。


彼女は、美しい金色の目を麗わせている。怒らせてしまった。

もともと彼女は短気だ、仕方がないと自分に言い聞かせる。

「もう、帰る!クラッドのバカ!」

捨て台詞を吐いて、入ってきた扉を完全に蹴破って出ていった。

外では再び轟音が鳴り響く。


このやり取りが彼女との最後の別れとなった。

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