負けイベントの勝利
突然のことだった。辺りが薄暗くなったのだ。さっきまで雲ひとつなかったんだけどな……。そう、影を作るものはないはずなのだ。
嫌な感じがする。圧を感じるというか、緊張感があるというか……。寒くないのに鳥肌が立っていた。振り返りたくない。けど、振り返らないままなのも怖い。冷や汗が背中を伝う。わたしは意を決してゆっくりと振り返った。
「ひぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
「ぐがああぁぁぁぁぁぁっ!」
わたしの悲鳴と、何かの唸り声。
鋭くて、黄ばんでいる牙。人を飲み込むのなんて
もしかして、ワイバーンじゃないの? 死亡フラグ立ったわ。戦闘能力ゼロのわたしが生き残れるなんて考えられないもん。これが世にいう負けイベントってやつなの? 生暖かい風が肌を撫でる。
わたしはただただ草原を逃げ惑う。でも、歩くのにようやく慣れてきた程度の下駄じゃ、速く走れない。パクっと食べられちゃうのも、最早時間の問題だ。
ホントに何なの、このバケモノ!
「ワイバーンだ」
うん、見りゃわかる。そういうことじゃなくて、なんでこんなやつがここにいるのか知りたいんだけど!? 異世界で死んじゃうのなんて絶対イヤだからね!
って、ん? 誰!? ここにはわたしとワイバーンしかいないはずなのに。
「上だ」
その声に見上げると、ワイバーンの巨体の向こうに人がいた。どうやら魔法使いみたいで、箒に乗っている。
「巫女ならプロテクトくらい使えるだろ、護っとけ」
プロテクト!? え、どうやって使うの、そんなの! 魔法、だよね。呪文を唱えればどうにかなるかな?
「プロテクト!」
パッと透明な半円状のバリアが広がった。よかった、上手くいったらしい。
「グラキエース」
わたしが防御したのを確認した人物が氷系統の魔法を放つ。ワイバーンは炎を吐いて対抗しようとしたけど、その前に氷に全身を包まれたことで凍りついて地面に落ちた。
「イエロランス」
氷の槍が空中にいくつも出現した。炎と風の属性を持つらしいワイバーンに効果的な氷系統の魔法だ。
少しすると、ビキビキと音を立てて氷が砕け始めた。自由になった瞬間を狙うつもりなんだろう。
わたしがいるところからはその人物の様子は見えないし、冷静に状況を見ている様子からはそんな感じがしないけど、多分歳は同じくらい。すごいなあ。かくいうわたしは、足手まといになってる自覚はあるけど何をしたらいいかわからない。いや、それどころか自分に何ができるのかすらわからない。
どうしよう、何かしなきゃ。あの人の魔力が尽きたら、間違いなく二人してお陀仏だ。そうじゃなくても、押され始めていた。ワイバーンが暴れる力に負けちゃってるんだ。
「トルメンタ」
吹雪が辺りを覆い尽くす。バリアが張られているおかげか、わたしはべつに寒くない。バリアに雪が当たって弾ける。視界も悪くなるし、これで戦況を巻き返せればいいんだけど……。
まあ、そう簡単にいくわけがない。ぶわりと巻き起こった風と、ワイバーンが吐き出した炎が吹雪をかき消したのだ。作戦失敗かと思ったけど、それはわたしだけの考えだった。
冷えた空気が温められて、湿った霧が広がる。そこにさらに炎が直撃したことで水蒸気爆発が起こったのだ。その威力は凄まじい。ワイバーンは再び地面に叩きつけられた。それなのに、ムクリと起き上がる。どれだけタフなの!?
あいつなんて、地獄に落ちてしまえばいいのに。そうだ、さっきみたいに呪文を唱えたらなにか起きるんじゃない? 頭の中にぼんやりと言葉が浮かんだ。それをそのまま声に出す。
「暗黒の闇よ、地獄の扉を開きなさい!
禍々しい黒い渦がワイバーンを飲み込む。それと同時に戦闘が終了し、何事もなかったかのように渦も消えた。渦があった場所に、
って、あの人は!? と思ったら、空にいた。冥土之扉が危険だと即座に判断したのか、箒に乗って空に逃げていたらしい。制御なんて通じない渦に吸い込んじゃってたらって考えると怖かった。この魔法は切り札だね。封印しとこ。
そんなことをひっそりと心に決めたタイミングでわたしの近くに降り立ったのは、わたしを助けてくれた例の魔法使いだった。彼は女性に見紛うほどに色白で
「大丈夫、ですか?」
情けなくオロオロと聞くわたしに、彼は何も答えない。答えの代わりに、回復薬だろうか、腰の小さなカバンから取り出した薄い水色の液体を飲む彼の顔は
「わたしは……レサル。助けてくれて、ありがとう。ごめんなさい、無理させちゃって……」
なんとなく、本名は言わなかった。姿がアバターだったから。名前以外は普通にお礼とお詫びを言っただけだったけど、彼は黙ったままで固まってしまった。え、わたし何か変なこと言った? それとも、単純に答える気力すらないだけ? それはそれで問題だけど。だって、原因が明確だもん。わたしが巻き込んじゃったからでしょ。
「あの、どうしたんですか?」
「いや、なんでもない。俺はフォゼだ」
わたしの問いには触れずに返された答え。きれいな青藍の瞳の奥は暗い。無理してるのかな、やっぱり。そりゃ、そうだよね。疲れないわけがない。二十発、ううん、三十発くらいは連続で魔法を唱えてたもん。
「さっきの戦い、巻き込んじゃって本当にごめんなさい。お詫び、させてください」
わずかな間の後にフォゼは答えた。
「野宿するための支度をしてくれ」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます