インヌメルムの世界

 白い光に飲み込まれたわたしは流れるそれに必死で抗う。なぜか実体のある光の川は、さらりとしているのに戻ろうとすると重くなる。もがけばもがくほど強く押し流されるのだ。わたしは暴れ続けた。動けば動くほど速く押し流されるのはとうに理解していた。だけど、暴れるのをやめることができない。本能的に逆らっているのだ。その反抗も虚しく、流れの終着点が見えてきた。

 光の川は、わたしを乗せたまま雲を突き抜けた。え、ここって空!? そのまま何もできずに風に流されて草原に降りてきた。足が地面に触れる。わたしをここまで運んできた川は、無責任に消えてしまった。


「うそ、でしょ……?」

 知らない世界に来たことは、すぐにわかった。だって、空から人が降ってくるわけないもん。いやいや、こんなのが現実なわけないじゃん。むにぃっと頬をつねってみる。痛い。それだけだった。まさか、本当に? 夢じゃないの?

 雲ひとつない青空、風になびく高い草のしげる草原。地球かも怪しい、幻想的な世界。こんな世界をどこかで見たことがある気がして首を傾げる。どこだっけ。

 そうだ、神社で最後にみた景色。スマホでみたインヌメルムに酷似してるんだ。ってことは、ここは異世界。多分、インヌメルムの舞台である、リクシネッサだ。リクシネッサっていうのは、現実世界でいうと地球。つまり、わたしはゲームの中に転移してしまったってことになる。

 え、待って待って。わたし、家に帰りたいんだけど。面倒なことはあるけど、やっぱり自分が住む世界がいいに決まってる。

 それに、父さんと母さんはわたしのこと、ちゃんと想ってくれてたんだよ。家にはほとんど居てくれなかった。でも、知ってる。わたしは大切にしてもらってた。

 どうしよう。早く、帰らなきゃ……。こんなの、酷過ぎる。いや、違う。酷いことしてるの、わたしだ。わたしの意思でここに来たわけじゃないけど、これは明らかな親不孝だもん。ごめんなさい、と心の中で謝る。

 どうやって帰ればいいの? どこかわからないこの草原で、わたしは途方に暮れることしかできない。

「とにかく、動いてみないと」

 ここがどこなのかはわからないけど、道に沿って歩いていけばどこか人がいるところにたどり着くだろう。そもそも、こんなところで突っ立っていても元の世界に戻る前に野垂れ死にしちゃうし、まずは人を探さなきゃ。というか、そのための道を探さなきゃ。

 そう思って一歩踏み出す。途端にバランスを崩した。歩きづらっ! 足元を見てみると見慣れない下駄が。神社にいくときはいつも下駄だけど、こんなに高いのは履いたことない。歩きづらくて当然だ。ん? 下駄が変わってるってことは、服もじゃないの!?

 慌てて立ち上がって見てみた。そのときにまた足元がぐらついたけど、コケなかったからスルーする。思ったとおりだった。巫女服っていうのは変わってない。だけど、服の形状は大きく異なっていた。肩は露出し、胸にはさらし。袴はふわりと広がるスカートになっている。どうして今まで気付かなかったのか不思議だ。

 うーん、鏡、ないかなぁ? まあ、大草原にあるわけないか。とりあえず姿を写せればいいよ。泉があったら水も手に入って一石二鳥なんだけど。そんな都合がいいことなんて起きないよね。異世界に来たらこういうのは大概都合よくできてるもんだけど。

 わたしは異世界系の小説を読むことが多かった。現実逃避にもってこいだったからだ。だからといって、まさか自分が転移するなんてね……。


 ああ、ここってインヌメルムなんだっけ。ゲーム世界だし、ステータスとかあるのかな? ステータスを意識した直後、脳内に映像が浮かび上がった。目を閉じてじっくりそれを読む。

 えっと、HP。いわゆる、ヒットポイント。二八三か。多いのか少ないのかわからない。なんとなく少ない気がするけど。次、MP。マジックポイント。四一七。HPと比べて、MPのほうが圧倒的に多い。職業は巫女。もしかして、入力した設定と同じ? うわ、ナイス、過去のわたし! 身長同じにしてなかったら動くのもままならないとこだったよ。

「って、動けたらなんかあるってわけじゃないか。迷子みたいなもんだし。どっちに向かおう?」

 独り言でもぼやいてないとやってられない。心細くて仕方ないのだ。わたしは慣れない下駄に戸惑いながらも歩き出した。


 しばらく歩いていくと、草原が途切れた。運よく道に出たのだ。左右に続く一本線。道があるってことは、この先に街があるんだろう。

 急がなきゃ。正直、このペースだと何日かかるかわからない。お腹も空いてきてるし、喉だって渇いた。生きるために必要なものがないのは致命的すぎる。

 この身体は疲れを知らないけれど、精神的な疲労がジリジリとわたしを蝕む。

 はあ、とため息をついたそのとき。

 ペタン、と音が聞こえた気がした。がさりと草むらが動く。

 草色がかった半透明の、大きな丸餅みたいな……。

「いや、スライムじゃん」

 草に擬態している種類なのだろう。お腹が空いてたせいか、一瞬巨大な草餅に見えたけど、フェオンスライムだね。

 スライムとはいえ魔物は魔物。インヌメルムは魔物の持つ魔石を換金してお金を得るゲームだ。倒すしかない。街を見つけても、お金ないと意味ないもんね。

「ん? 武器なくない?」

 さすがに素手では戦いたくないよっ! 下手したら溶かされちゃうって! スライムってなんか、そんなイメージあるもん。食事はその辺にあるものを溶かして飲み込む感じの。

 って思ってたら、光の粒子が集まってきて、わたしの手の中で形を変えた。

大幣おおぬさ?」

 なんで? 武器じゃなくない?

 って思ってた時期がわたしにもありました。普通に武器だったよ。試しに振ったら、どこからともなくチリンと鈴の音がしてスライムが消えたのだ。そこに残っているのは、コロリと転がった一つの小さな魔石だけ。スライムと同じ草色をした魔石は風属性のものだ。

 ちなみに、インヌメルムには魔法の七属性がある。あか色が炎、あお色が水か氷、黄色が土、緑色が風、紫色が雷、白色が光、黒色が闇だ。

 それはそれとして、大幣を装備したらステータスに武器レベルが表示されたんだけど。何これ? まあ、レベルが二しかないことはわかったけど……。


 わからないことはあるけど、とりあえず先に進むことにした。これはただのゲームじゃないのだ。これが現実になってしまったのだから、死ぬなんてもってのほか。

 迷ったけど左側に進む。

「こっちであってるといいんだけど……」

 街が近かったら楽なんだけどな。左右に広がる草原が、風に揺られてサワサワと音を立てた。

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