2 ぼくのこと
ぼくの話をしよう。ぼくはチビで間抜けな人間ではない。ぼくはノッポで薄汚い人間ではない。ぼくは道端の野良猫に餌をやるような人間ではない。ぼくは頭がいかれた人間ではない。ぼくはチビでもノッポでもなく、間抜けというには賢過ぎて、薄汚いというにはきれい過ぎて、気が向くと道端の野良猫に餌をやるような、頭がいかれてはいない人間ではない。簡単にいえば、ぼくとはそういう人間だ。
ぼくの話をしよう。ぼくは子供の頃、ぼくの母親のお腹からから生まれ出る。さらに正確に言えば赤ん坊の頃、ぼくはぼくの母親のお腹からから生まれ出る。もっと正確に言えば胎児の頃、ぼくはぼくの母親のお腹からから生まれ出る。そしてぼくには姉がいる。ぼくよりわずかに先に生まれた姉がいる。ぼくよりわずかに先に生まれた双子の姉がいる。父親にはまったく似ていないが、母親には良く似ている姉がいる。そして、やはりまったく父親には似ていないが、母親には良く似ているのは、ぼくも姉と同じだ。そして、ぼくと姉の遺伝子の共通部分は母親由来のものだけだ。ぼくと姉の遺伝子のどちらにも父親由来の遺伝子は入っていない。そしてぼくと姉はいわゆる一精子性の一卵性双生児ではない。
二精子性一卵性双生児という言葉をご存知だろうか。
あなたが少女漫画のファンならば知っているかもしれない。あなたがレディースコミックのファンならば知らないかもしれない。あなたが少年漫画のファンならば知っているかもしれない。あなたが大人向け官能マンガのファンならば知らないかもしれない。そして本当はその呼び名は間違っていると知っているなら、あなたは医療関係者か、ただのマニアだ。
説明は簡単だ。母親が短時間に複数回浮気して出来た子供がぼくと姉だ。だからぼくと姉はあんまり似ていない。でも、どちらも母親には良く似ている。二人ともどちらかといえば母親には良く似ている。そういうことだ。
母親がそのことを知っているのか、いないのか、ぼくは知らない。母親がそのことを知っているのか、いないのか、姉が知っているのか、いないのか、ぼくは知らない。父親がそのことを知っているのか、いないのか、ぼくは知らない。ぼくがそのことを知っているのか、いないのか、ということだけをぼくは知っている。
だからぼくは不思議に思う。
母親は特に美人というわけではない。母親は他人と比べてとりわけ美しいというわけではない。ぼくを身ごもったときに母親が特に美人だったわけではない。姉を身ごもったときに母親が特に美人だったわけではない。ぼくと姉を同時に身ごもったときに母親が特に美人だったわけではない。いわゆる男好きのする顔をしているとも思えない。ナイスなプロポーションをしているとも思えない。ゴージャスなプロポーションをしているとも思えない。でも母親のまわりはいつも男たちで一杯で、唯一母親に関心を示さない大人の男性が父親で、母親は浮気の/不倫の/性衝動のはけ口とする相手を大人の男たちだけには限定しない。
子供の頃と幼児の頃に、ぼくと姉は性的虐待を受けたと信じられている。証拠はない。確証はない。証拠は何処にもない。確証なんかクソ喰らえだ。誰もそれを憶えていない。ぼくもそれを憶えていない。姉がそれを憶えているかどうかをぼくは知らない。でもぼくはときどき夢の中でそのことを思い出して、夢の中で日記を探すとそれにはそのことが書いてあって、ぼくは毎回するそのときにそれをはじめて知ることになって、最後にはすっかりそれを暗記してしまうが、でも現実の世界に日記は存在しない。だからそれが本当にあったことなのかどうか、それともぼくの頭が捏造した模造記憶なのかどうか、ぼくは知らないし、ぼくにわかるわけがない。ぼくが知っているのは、ぼくの頭にあるその記憶だけで、ぼくの頭にあるその記憶は、ぼくにはとても確からしく思える。ぼくにはそれがとてもとても確からしく思える。ぼくにはそれがとてもとてもとても確からしく思える。ぼくにはそれが実は本当ではなかったときと比べてと同じくらいに確からしく思える。almost surely (a.s.) に思える。コインを二つ投げたときに出る表と裏の組み合わせが、(表・表)、(表・裏)、(裏・表)、(裏・裏)の四通りであることは、この際まったく関係ない。
ぼくの話をしよう。ぼくの父親は貧乏人ではない。ぼくの父親は裕福というわけではない。ぼくの父親は一般的な派遣社員の六、七倍の給与をもらっているからといって裕福というわけではない。貧乏人ではないというだけだ。その証拠にぼくは借家には住んでいない。ぼくは賃貸の共同住宅には住んでいない。ぼくはT川の高速道路下の掘っ立て小屋には住んではいない。その代わりにぼくは一軒家に住んでいる。都会の一軒家に住んでいる。都会の市街地ではなくて住宅住宅街に建てられた一軒家に住んでいる。ぼくとぼくの家族は都会の住宅街に建てられた一軒家に住んでいる。
ここでいうところのぼくの家族とは、ぼくと姉と父親と母親の四人の集合を指す。数年前までは父親の父親もぼくの家族の一員だったが、その父方の祖父は、現在では、ぼくとぼくの家族が住んでいる一軒家には住んでいない。ぼくとぼくの家族が住んでいる一軒家から歩いて三十分くらいのところにある、ぼくとぼくの家族の菩提寺の先祖代々の墓の下の骨壷の中に小さくなって収まっている。だから現在では、ぼくの父方の祖父は、ぼくの家族の一員ではない。そして祖父より前にすでに死んでしまった父方の祖母のことは記憶の彼方だ。
ぼくの話をしよう。ぼくは子供の頃に美しい子供だったわけではない。ぼくは子供の頃に二目と見られぬほど恐ろしい相貌をした子供だったわけではない。ぼくは子供の頃にクラスで人気のある子供だったわけではない。ぼくは子供の頃にクラス全員から忌み嫌われる子供だったわけではない。ぼくは子供の頃にクラスのごく一部の子供たちにいじめの対象に選ばれてしまった子供だったらしく、殴る蹴るの暴行を受けた記憶がいくつかある。その最初のときにどう対処したら良いのかまったくわからなくて、仕方なくヘラヘラと薄い笑いを浮かべていたら、さらに殴る蹴るの暴行を受けた記憶がある。他にももっといろいろな形で暴行を受けた記憶がある。他にももっと別の形で暴行を受けた記憶があるが、具体的にはそれは頭の表層に上ってこない。考えても、思い浮かべても、頭の表層には上ってこない。まったく頭の表層には上ってこない。全然、頭の表層には上ってこない。だからそれは本当に起こったことではなかったのかもしれない。別の可能性としては、当時クラスのごく一部の子供たちから受けた暴行の結果として、ぼくの頭の中でそれを憶えているはずの記憶細胞が壊れてしまったということも考えられる。だからぼくの記憶に遺っているのはジリジリとした皮膚感覚だけだ。そのジリジリとした皮膚感覚は大なり小なり、それに付随する痕跡でしかない感情をぼくの中に呼び覚ますので、だからぼくはいまでもそれを忘れられないでいるのかもしれない。
ぼくの話をしよう。ぼくは健全な人間ではない。ぼくはまっとうな人間ではない。ぼくは嘘ばかり付いている人間ではない。ぼくは本当のことを言い続けてすべての人類に嫌われてしまった人間ではない。ぼくは言い訳をするような人間ではない。あえていえば、ぼくは引きこもりの人間だ。その直接の原因なんてクソ喰らえだ。その直接の原因なんて憶えていない。その直接の原因なんて実はないのかもしれない。その直接の原因なんて、ぼくが自分で記憶を操作してでっち上げた模造記憶なのかもしれない。その模造記憶によると、ぼくは高校二年生のときに引きこもりになったようだ。それ以来、ぼくがどんなふうに暮らしてきたのかをあなた方に話す気はこれっぽっちもない。そしてぼくはいまでも引きこもりだが、自分の部屋のドアに鍵をかけて窓から外に出て街を徘徊する楽しみを知っている。でも近所はダメだ。近所を徘徊するのは危険過ぎる。だからぼくは知り合いがひとりもいない時間帯に最寄りではない駅から電車に乗って、あるいはバスに乗って、あるいは街に捨てられた自転車に乗って、どこまでもどこまでもどこまでも自分を遠くに運ぼうと試みる。
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