第21話 定家葛
数日後、聖良は補習後、御上に図書館で借りた本を見せた。
にこにこしながら本を手に取った御上だったが、タイトルを見て一瞬無言になる。
「藍川さん、何でこの本借りようと思ったの?」
聖良には答えようがない。
ただ、タイトルに惹かれたから、なのだ。
「題名をみて、なんとなく……」
「ふうん……。藍川さんて……いや、いいや」
いつもより歯切れの悪い御上に、聖良の方から質問する。
「先生。百人一首の恋の歌は、呪いなんですか?」
聖良は図書館であった、女生徒を思い出しながら訊く。
「え、それって、月長さんのレクチャーでも受けた? まあ、百人一首の選者の藤原定家って、人生を振り返る寂しさと、恋愛への想いが、同じような人だったからね」
御上は、つらつらと百人一首について語る。
さすが臨時的任用でも教師。
「ところで藍川さん、西校舎辺りに生えている木の名前、知ってる?」
「いえ」
「あれね、『
定家……葛?
百人一首と、何か関係があるのだろうか?
「定家葛ってね、報われなかった恋を忘れられなかった定家が、想い人であった、
し、式子内親王?
謡曲「定家」? 謡曲って、お能のことだろうか。
疑問符が浮かんだ聖良を見据えて、御上は語った。
京都を訪れた旅僧が、ある邸で雨宿りをしていると、一人の女が現れ、この邸は藤原定家の建てたものであると伝え、旅僧を式子内親王の墓に連れて行く。式子内親王に想いを寄せた定家が、二人の死後も葛となって墓に絡みついているのだと。死してなお、救われない二人を救ってくれるよう頼む女は自身が式子内親王の亡霊であった。
旅僧が読経すると、式子内親王の亡霊は成仏する。後に、墓にからみついていた葛に、「定家葛」の名が、付けられたという。
「式子内親王は、賀茂神社の斎院だった。要は神様に仕える女性でさ、僕個人としては、定家との恋愛云々は、後々の創作だと思ってるよ。ただね、成仏できない霊が、葛にまとわりつくって、ひょっとしたらあり得るんじゃないかって」
「先生は……」
聖良は思わず訊きたくなる。
「先生は、霊とかって信じる人なんですか?」
御上は笑う。
「えっ。だって古典文学には祟りとか呪いとかいっぱい出てくるよ。源氏物語なんかバンバン生霊飛んで来るし。蜻蛉日記なんて、夫に愛されないのは、前世の因縁とか書いてあるんだぜ」
なるほど、日本の古文は奥が深いと聖良は思う。
それよりも、前世という単語に、聖良はどこか焦りすら感じる。
「そうそう、式子内親王が斎院って言ったけど、皇族の女性に斎院を務めさせるようになったのって、『薬子の乱』が原因だってね」
何気なしに御上は言ったのだろう。
だが聞き取った瞬間、聖良の耳の奥には、心拍音が大きく響いたのだ。
その日も、昇降口で聖良は神野と一緒になった。
「補習終わった?」
「うん」
神野は聖良の表情を見て尋ねる。
「何かあった? なんか暗いけど」
「そ、そうかな……」
靴を履き替え外へ出ると、空は禍々しいほどの緋色になっていた。
もう、そんな時間だったろうか。
ふと、聖良は西校舎を見る。
そこには、赤く染まった校舎の前に、佇む人影があった。
視線に気付いた人影は、聖良に顔を向ける。
「月長、さん……」
一つ上の女生徒は、小枝が風に揺れるような手招きをする。
聖良は引き寄せられるように、月長へと向かう。
神野は慌てて聖良の後を追う。彼は月長の噂を聞いたことがある。
文芸部の月長詔子は、確かに美人だ。
ただし。
正真正銘のメンヘラである。
「今度は逃げないでね、藍川聖良さん」
聖良の目の前の月長は、濡れているような真紅の瞳だった。
傾国の悪女、藤原薬子の娘は、異世界に転生し妖魔と戦う 高取和生 @takatori-kazu
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