第18話 因果を越えて
◇◇◇因果を越えて◇◇◇
第二王子の婚約発表パーティは、結局曖昧に終了し、王宮周辺の復興のため、慌ただしい日々が続いていた。
セイラルの胸に武観の腕が突き立てられた時、天公の御手に包まれたため致命傷にはならなかったものの、左胸部のケガは深く、彼女はしばらくの間、療養を余儀なくされた。
その間に、父ラステック侯の葬儀は済んだ。
姉のフィーマはしばらくの間、神殿で潔斎の儀を受けるという。
清浄な心身を取り戻した後、アティリスと結婚するのだ。
二人きりになった
食事の介助はもちろん、湯あみを手伝ってもらったり、髪を梳いてもらったり、ゆるやかな時間を過ごした。
時折、ジーノスは見舞いと称して、セイラルの顔を見にやって来た。
その都度、花束やリボンなどを手土産で持ってくる。
「顔色、良くなったね」
「おかげさまで」
差し障りのない一言二言を交わすと、王宮の再整備で多忙なジーノスはすぐに帰っていく。
セイラルが化生と対峙した時の、特異な
いずれ、話をしなければならないと、セイラルは思っていたのだが。
その日もジーノスが帰っていったあとに、セイラルはうたた寝をした。
◇◇◇
「天公様とは、一体……」
セイラルは小角と会話していた。
「天公様は、仙人たちが目指す世界で、一番位が高い神じゃ。正しくは、
そんな方に、助けていただいたのか。
有難い。
いや、申し訳ない……
「何を恥じ入ることがある。桃源郷の天女様が、天公様にお頼みされたからな」
セイラルは、天女の姿を思い浮かべる。
気品があり、麗しい天女。
花と楽曲と穏やかな時の流れ。
室内に桃の香が漂う。
セイラルの意識が遠くなる。
気が付けば、花咲き誇る場所に立っていた。
琵琶の音が聞こえる。
その音に近づくと、木の枝に座り琵琶をかき鳴らす、天女の姿が見えた。
「久しいの、ひよし。おお、今はセイラルか。大儀であった」
天女は微笑む。
「いえ、いえ天女様。わたくしは、わたくしは、結局何も出来ませんでした! 天女様に、天公様に、呂尚様や小角様のお力がなければ、何も……何も!」
セイラルは跪き、深く頭を下げる。
「のう、セイラル。『ひよし』としての願は、叶えられたか?」
ひよしとしての想い。
それは、母、藤原薬子に宿った化生を滅ぼすこと。
「……それは、どうでしょう。確かに、仙人の道を外れた男性は、正されたと思いますが……」
「そもそも、なにゆえに、薬子は身の内に
それこそが、セイラルの、いやひよしの、長らくの疑問でもあった。
ひよしとしての記憶を辿れば、幼少のみぎり、母薬子はごく普通の、貴族としての母親であったはずなのだ。
「薬子の変貌は、
藤原氏の始祖、中臣鎌足の出自についての諸説はあるが、祭祀を司る一族という以外、不明な点が多い。藤原の姓になってからは、一族同士での争いもしばしば起こしているが、ほとんどが権力闘争である。
「倭国の皇位継承に、臣下が口を挟むこと能わず。その良い例が、
三方王とその妻弓削女王は、桓武天皇を呪詛したと言われている。
「桓武は呪詛を返したつもりであったろう。だが、呪いは息子である平城に、引き継がれていた」
「平城……様に……」
「そうだ。ひよしの夫君であり、薬子を寵愛した者」
その呪いと藤原家の積んだ劫が、薬子の身を蝕んだ。
「呪いを発した弓削女王とは、燭陰の化身。呪いごと、薬子に引き継がれた」
目の前で倒れた母薬子。
同じ目をした姉フィーマ。
「そういえば、燭陰という化生は、どうなりました?」
武観の額に生えた角。その角の抜けた穴から立ち昇った黒い煙。
一瞬、天女は言いよどむ。
「……捕縛され、神仙界に拘留された。ただし……」
はらり、桃の葉が散る。
「鱗一枚だ。
あやつの全身を覆っていた、たった一枚の鱗が、現世に残ったのだ」
セイラルは顔を上げる。
天女は憂いの眼差しで、落ちた葉を拾った。
「……では天女様。また、いずれかの場所で、燭陰は現れてくる、ということでしょうか」
「おそらく、な」
セイラルの瞳に新たなる光がともる。
「それを倒すことが、わたくしの使命。そう考えて良いのですね」
天女はセイラルをそっと抱いた。
桃の香の甘さが、セイラルには切なかった。
「すまぬ。そなたには、慎ましく平和な生活を、早く送らせてあげたいのだが」
「いいえ、いいえ! 天女様。今世、わたくしは前よりも、ずっと幸せでありました」
はっとして、セイラルは目を覚ました。
枕元には桃の葉が一枚、そっと置かれている。
桃の葉を手に取ったセイラルに、
◇◇◇
セイラルが回復し、歩けるようになった頃。
ジーノスが正装した姿で、邸にやって来た。
「今日は、ユーバニア王国第一王子として参った」
そう言うと、ジーノスは小さな箱をセイラルに手渡す。
「開けてくれ」
中には蒼い石がついた指輪が入っていた。
「ようやく国内も落ち着きを取り戻したし、セイラル嬢も元気になった。ここであなたと正式に、婚約を交わしたい」
ジーノスの瞳からは、熱情が漏れている。
その情に、身を任せる生き方を選ぶことが出来るなら……
「ありがたいことです。……でも」
セイラルは箱を閉じ、ジーノスに返す。
「わたくしには、やるべきことがあります」
「いや、あなたに使命があるのなら、不肖ジーノス、あなたを支え、手伝いたい!」
ジーノスはセイラルの手を握る。
セイラルはジーノスの手にもう片方の手を乗せて、ジーノスを見つめた。
「わたくしは、遠い国の、別の時代から転生してきた者。そろそろ、元の国に戻らねばなりません」
「しかし!」
「殿下には殿下の、やるべきことがございましょう。きっと殿下をお支えする方、わたくしではないどなたかが、いらっしゃるのです」
「あなたのすべきこと、それはあなたが持つ、特別な力に関係することなのか?」
ジーノスは思い出す。
医官が匙を投げた己の肉体を、完全に治したセイラルの横顔。
およそ見たこともない邪悪なモノに、怯むことなく向かっていったのもまた、セイラルだった。
「……はい。おっしゃる、とおりです」
そっと、ジーノスはセイラルを抱き寄せる。
今世では、最初の抱擁。
シャラアアアン!
シャラアアアン!
鈴の音が聞えた。
それが合図であった。
セイラルはジーノスの胸から顔をあげる。
そして、今世最後の抱擁を、手離した。
「ありがとうございました。ジーノス様。今世では叶わぬ思いだとしても……」
シャラアアアン!
シャラアアアン!
「わたくしは忘れない!」
セイラルの姿がぼやけていく。
「セイラル! 忘れない! 俺も、絶対!」
虚空に消えていくセイラルにジーノスは叫ぶ。
自分が涙を流していることに、ジーノスはしばらく、気付かなかった。
シャラン!
その後。
ユーバニア王国第一王子は、隣国と和平調停を結ぶと同時に、彼の国の皇女を妻とした。
第二王子は婚約者であったフィーマと結婚し、侯爵家を継いだ。
水の神に守られたユーバニア王国は、ながらく平和な時代が続いたという。
セイラルは、再度倭国に転生したが、転生後の彼女の行方については、明らかになっていない。
ただ。
例えば室町時代、応仁の乱を引き起こしたと言われる女性を、何度も諫めた息女。
あるいは江戸時代。三代将軍の乳母として権勢をふるった女性を、唯一抑制した、将軍の側室。
いずれも清純な外見と、鋼のような意志を併せ持つ
そして時代は昭和から平成へ。そして令和へと移っていく。
平和の恩恵を当たり前のように享受し、女性たちは窮屈な思いをすることなく、生きているのだろうか。
「傾国の悪女」が生まれ出る余地を、
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