第14話 雷光

フィーマの変貌に目を開いたまま、地面で動けなくなっていたアティリスは、ようやく這うように婚約者に近づく。


「お、お前、一体……何が。フィー……」


 フィーマであった者は、無機質な視線を第二王子に投げる。

 アティリスが見たことのない、フィーマの表情かおだ。


 そもそも第二王子として、侯爵令嬢のセイラルと婚約した時から、アティリスは不満であった。

 無表情で、会話が途切れがちなセイラルに対しては、彼は愛しさを感じなかった。

 大人は清楚と褒めたたえるが、少年には、単なる地味な少女としか映らない。


 セイラルの姉フィーマは、幼い頃から華やかで美しく、表情は豊かであった。

 どうせ婚約するなら、フィーマの方が良いとアティリスは思っていた。

 アティリスが高等学園に入学した頃には、フィーマは学園一の美女として、多くの取り巻きに囲まれていた。

 彼女は相変わらず、豊かな表情でアティリスに手を振る。アティリスはときめいた。


 なんで、フィーマが婚約者ではないのだろう。

 兄ジーノスの相手になるからか。

 いや、父上も母上も、それはないと言っていた。

 その理由は、最初は分からなかった。


 うまいことセイラルとの婚約は破棄になり、アティリスは正式にとフィーマと婚約した。

 父上も兄上も療養中である。母上はその看護で多忙の中、ヴィステラ侯のゴリ押しのような婚約だった。

 周囲の声など聞こえなかった。

 聞く気も、なかった。


 王宮で一緒に過ごすようになり、片時も離れず肌を寄せ合った。

 アティリスが見つめると、フィーマも熱を帯びた眼で見つめ返す。

 至福のひと時であった。


それが今、目の前にいる、フィーマであるはずの者の視線は、温度も匂いも、感情もない。


「お、お前……誰、だ?」



「われの名はない。悲願成就。それだけのために動く者。このフィーマとやら、長らく居心地の良い器であったぞ。

驕慢きょうまん浅慮せんりょ、何より欲深い。人を陥れ、蹴落としてでも上昇したいという渇望を抱え続けて生きている。

おかげで、能力ちからを蓄えられた」


 埃まみれのアティリスの顔が青ざめる。

 フィーマの容姿をとどめながら、淡々とフィーマを評する者は彼女を「器」と言った。

 ならば……


 中身は?

 フィーマの中身はどうしたのだ!

 だいたい、おれが愛していたのは、誰なんだ!


 王太子となったジーノスもまた、剣を持つ手が小刻みに震えていた。


 フィーマがセイラルに見せつけた映像は、周辺にいた他の者たちにも薄ら見えたのだ。

 ジーノスもまた、聞いたことがなく、当然見たことのない異国の物語を垣間見た。

 男を裏切ったという王女の顔は、どこか似ていたのである。


 セイラル!


「さて、セイラル、理解できたであろう。なぜ、われとそなたが、近しい関係でありながら、互いに憎しみを抱くようになるのか」


 セイラルの表情に、さほど変化はない。

 ただ飄々とフィーマに向かう。


「まったくもって理解できません。理解したいとも思いません。そして、わたくしは、姉を憎んでなどいない」


 じりじりと、セイラルは距離を詰めていく。


「露ほどの記憶もない過去のお話でした。人助けをしたのに、裏切られたあなたの悲憤は分かります。されど……」


 セイラルの瞳には一点の曇りもなく、凛とした声が響く。


「恨みがあるのであれば、わたくし一人を狙えばいい。どうぞ、お気の済むまで!」


 片方の眉を吊り上げたフィーマは笑い出す。

 大きく開けた真っ赤な口腔には、牙のような歯が生えている。

 その場でフィーマの哄笑を聞いた者たちは、背を走る寒気を感じた。


 ジーノスと、その部下たちは己を奮い立たせ、剣を握り直す。


 魔物である。

 あれは、最早フィーマではない。

 魔物だ!


「既に、そなた一人をどうこうする気などない。われが望むのは、人民の阿鼻叫喚と怨嗟の声!」


 フィーマの腕が伸び、茫然としているアティリスの首を掴んで持ち上げる。


「やっ! や、めろ!」


 首を絞められているアティリスは、かろうじて弱々しい声を出すが、どんどん顔面は充血していく。


「た、たすけ……」


「アティリス様! 今参ります!」


 口から、血が混じった泡を吹き始めたアティリスに、一人の騎士が駆け寄る。

 騎士の姿を見たフィーマは、笑顔のまま掌から蔓を伸ばし、騎士の首に巻き付ける。

 その騎士もまた、首を掴まれ持ち上げられていく。


 フィーマは嬉しそうに、セイラルに叫ぶ。


「さあ、どうする? このままでは二人とも、間もなく息絶えるぞ!」


 そのセリフにジーノスは走る。

 女性の姿をした人外の者に、剣を振り下ろそうとした時。


 ジーノスの目の前が暗転した。


 閃光が走る。

 続いて起こる、大きな石同士が、ぶつかり合うような音。


 風が、切り裂かれた。


 ぼとっ! ぼたり。

 地面に落ちる、女の腕、二本。


 ジーノスの前に立ちふさがり、セイラルがフィーマに攻撃をした。


「失礼いたします、殿下。しばし、下がっていてください」


「しかし!」


「わたくしなら大丈夫です。さあ、早く!」


 ジーノスは、アティリスと騎士を引きずるように、セイラルの指示に従う。


 セイラルを守るように、上空から青緑色の竜が降りてきた。

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