第13話 炎上

 庭園の隅で、息絶え絶えのラステックは妻に言う。


「逃げ、なさい……」


 妻であるグレーベンは真横に顔を振る。

 彼女はショールで夫の胸を押さえているが、滴る血は止まらない。


「これは、呪いだ。わたしはもう、もたない。そして、この国も……」


 ラステックは途切れ途切れに、グレーベンに語る。


 若き日、慰安に訪れた踊り子に惚れ、ねんごろになった。

 しかし、踊り子は東の大国の間諜であり、半ば脅されるように彼は結婚した。

 妻となった彼女はこう言った。


『あなたが裏切ったら、あなたの身体を、棘が引き裂くわ』


 その言葉で彼は、己の体内に呪いがかけられたと知った。


 彼女の指す、「裏切り」とは。


 彼女と彼女の血を引く娘以外を、愛すること。

 大国の指示に、従わないこと。


 後妻のちぞえのグレーベンは、自分には勿体ないくらいの女性だと、ラステックは思った。

 しかし、愛することを躊躇った。

 二番目の娘、セイラルの笑顔には癒された。

 ただ、セイラルにそれを告げることは出来なかった。

 

「君にも、セイラルにも、辛い思いをさせた。すべて、は、わたしが、愚か、だった……」


 閉じられていくラステックの視界に、最後に映ったのは長女であったか、それとも次女だったのだろうか。


 その長女、真っ赤な唇を亀裂のように開き、妹の前で両手を広げる。


「空を見なさい、セイラル。宴の本番はこれからよ」


 旋回していた竜は、空中停止ホバリングした。

 それは翼竜が、攻撃を行う姿勢である。


「焼き尽くせ! 国も! 人も! 何もかも!」


 フィーネが叫ぶと同時に、天空の竜は咆哮する。

 開口部にせり上がってくる、赤銅色の炎。

 微塵の躊躇もなく、竜は地上に向けて炎を吐き出す。


 恐怖に包まれて動けなくなる者。

 声をあげて逃げ惑う者。

 それを必死で誘導する騎士。


 炎より早く、熱風が襲う。

 ちりちりと、庭園の木の葉が焼け落ちる。

 放射された炎が、庭園のすべてを焼き尽くそうと迫る。


 いきなり、庭園は真っ白な霧に包まれた。


 地に伏せた者が、ふと顔を上げたが、自分の指先すら見えないほどの濃い霧に気付く。


 シュウシュウと音がする。

 水を、沸騰させる時のような。


 水?


 雨は降っていない。

 水を放射した気配もない。

 だが、この霧は……


 そう、竜より吐き出された灼熱の炎は、それを凌駕する水で、打ち消されていた。


「今だ! 撃て!」


 第一王子の声が、騎士団の士気を鼓舞する。

 火竜の危険性を、誰よりも知っているジーノスである。

 だてに重傷を負ったわけではない。同じてつを、二度踏むことはない!


 竜の体表の鱗には、通常の矢は効かない。

 されど、翼竜ならば、地上に落としてしまえば、比較的柔らかい腹を、切り裂くことが出来る。

 一度炎を吐いた火竜が、次の攻撃にうつるまでの時間は、手首の脈で二百ほど。


 最悪の事態を想定し、ジーノスは庭園の木の陰に、投石機カタパルトを数台用意していた。

 地を這う竜にも、投石機による攻撃は有効であった。

 東の大国が動くなら、竜を使役してくるだろうと予想はしていた。


 次々に投射される石を、竜は尽く避け、怒りを滲ませた咆哮をする。


 ……五、四、三、二、一!


「行けえ!!」


 霧が薄くなった庭園で、ジーノスは片手を上げた。

 投石機には、通常使用する石よりも、やや大きな黒い石が積まれている。

 竜は炎を吐き出すために、再度開口する。


 風を切って飛ぶ黒い石は、竜が大きく開けた口に飛び込んだ。


 竜の動きが、ぴたり止まった。

 その腹から、何本もの光の柱が体外へと突き出している。


 轟音。

 そして爆炎。

 爆風は地上も揺るがした。


 竜は最期の鳴き声を上げ、緑の液体を放ちながら四散した。


 エイサーがジーノスに駆け寄り、互いに片手を叩く。

 破顔一笑の第一王子を見たエイサーも、笑顔だった。


「やりましたね、殿下!」

「ああ、計算通りだ!」


 投石機に積まれた黒い石には、火薬が装備されていた。

 投石を煩わしく感じたら、火竜は必ず炎を吐く。

 その一瞬を狙っての作戦であった。

 その一瞬のために、何度も何度も訓練を続けた。


「被害は?」


 真顔になったジーノスが、エイサーに訊く。


「転倒したり、軽い火傷を負ったケガ人が少々」


「わかった。引き続き、避難誘導を続けてくれ。あと、ケガ人の応急処置もだ」



 竜が落とされた空を見続けていたフィーマは、口を歪め、笑う。


傀儡かいらい眷属けんぞくなど、しょせんこの程度か」


 口調も声音こわねも、既にフィーマのものではない。

 対峙しているセイラルは、息を整えてながら身構えた。


「竜の炎に、水をぶつけたのは、お前だな、セイラル」


 セイラルは額の汗を拭う。

 セイラルは水気の竜を召喚し、火竜の炎撃を押さえたのである。

 水気の竜が、火竜の動きを封じていたから、投石による攻撃もうまくいったのだ。


「どうでしょう。このユーバニアの守護神は、水の女神ですから」


「たわけたことを。陰陽五行を熟知していなければ、あのような怪物ばけもの、人が倒せるはずはない」


「では、お姉さまは、わたくしが人ではない、と?」


「お姉さま、か。そうだな、今生では、そのえにしであったな」


フィーマの顔貌が変化していく。

菫色の瞳は、ワインよりも赤みを帯び、縦に一本黄色い筋が走る。

髪も赤黒色に変わり、腰よりも長く広がっている。


「今回は、毒は効かぬよ、セイラル」



 姿形が変貌した、フィーマは、庭園の隅に現れた、小さな弧を描く虹に、目を細める。


「やはり、水は良いものだな、セイラル」


 爆発の名残の風が吹く。

 フィーマの額が露わになる。

 そこには、人差し指ほどの突起物が生えていた。


 つのだ。


「そう、望まれたのは、水だった。……あの、寂れた村で」


 フィーマは両手を空に掲げる。

 空には瞬時に雲が集まり、ぱらぱらと水滴を落とす。


「ほお、これくらいなら、まだ出来る、か……」


 フィーマは、自嘲気味な笑みを浮かべる。

 濡れた髪はいよいよ赤くフィーマの体にまとわり、頭頂から全身に、血が流れているかのようだ。


「セイラルよ。不思議に思ったことはないか? なぜ、われとそなたは闘わねばならぬ。近しい関係でありながら、憎みあわねばならぬかと」


 セイラルは無言のまま、フィーマに強い視線を投げる。


 それをあなたが言うのか。

 幾度となく、煮え湯を飲まされてきたのは、セイラルわたしの方だ。


「所詮、この世の出来事は因果応報。天に吐いた唾は、己に還る」


 フィーマが右手を前に出し掌を広げると、薄ぼんやりとした光が集まる。


「かつて、われは道術を極めようとしていた。その理由わけは、とうに忘れてしまったがな」


 人の顔よりも大きくなった光の中に、砂嵐のような絵が浮かぶ。


「見るがよい、セイラル。人とは、斯様かよう、愚かで残酷なものである」




◇◇◇◇◇




 一人の男が旅をしていた。

 杖を突きながら、裸足で歩いている。

 一枚の布を頭からかぶり、ゆっくりと地を辿る。

 布は汚れ、あちこちが擦り切れている。


 時折、砂埃が舞い上がる。

 乾いた大地に陽炎が揺れる。


 男は道教を修め、更なる上位の術、仙道の修行を行う者であった。

 仙界への道のりは遠いものの、男はまもなく、自力でそこへ昇ろうとしていた。

 昇れる、はずであった。


 ある時、水不足に悩む村から、雨ごいの祈祷を行って欲しいと依頼を受けた。

 依頼主は国の王。

 成功報酬は、王の娘。


 男は道教以外の学問も深く学んでいた。

 ゆえに、報酬を辞退するつもりでいた。

 人々を救う願を立てている者に、報酬は必要ない。


 そう教えられていた。

 男も心底、そう思っていた。


 そのまま、辞退すべきだった。


 王女を垣間見た刹那、男は恋に落ちた。

 仙道修行は不犯を基とする。

 男にとっては初めての、熱感が肌に生じた。


 雨ごいは成功し、大地は潤った。

 田畑は瑞々しく新芽を伸ばす。

 豊作になるであろう。人心も落ち着く。

 皆、笑顔になった。村人も、王も。

 男の口の端にも、また。

 

 その晩宮殿で、祈祷成功の宴が賑々しく開かれた。


 男に酌をする王女の小さな白い手が震えていることに、男は気付かなかったけれど。


 王女には、将来を約束した相手がいた。

 宮殿を警護する、若き兵士である。

 まさか、薄汚い、出自もわからぬ道士に嫁すとは、王女は思ってもいなかった。


 父である王もまた、同じ思いであった。

 さらに言えば、干天から瞬時に慈雨を生み出す男の呪力をおそれたのである。

 この男、民衆の心を掴むことも、たやすいのではないか。


 そこに魔物が囁く。

 囁いたのは、長らくこの国に隠れ住む、鬼女である。


「仙道を往く者は、真実の名を明かしてはならない。明かすと、呪力がなくなるから」


 王は王女にそっと告げた。


ねやの際、男の名を聞き出せ。あとはこちらで片付ける」


 王女が男に注いだ酒には、意識を薄くする薬が入っていた。

 そもそも、長らく修行を続けている男である。

 酒に対する耐性は、無に等しかった。


 男の寝所に滑り込んだ王女は、男の真名を聞き出す。


「あなた様の、本当のお名前を、お呼びしとうございます」


 愚かにも、男は己の真の名を、王女に明かしてしまった。

 結果、呪力を手放した。

 御簾みすの影で控えていた、王女の恋人は叫ぶ。


「王命により、妖しき者、成敗いたす!」




 脳天から吹き出した血を手で受け止めながら、男は王宮を逃げ出した。

 神通力は既になく、限りなく不老不死であったはずの肉体も、みるみるうちに崩壊していく。

 男は呪詛を吐く。


 こんなところで命を落とすために、長く辛い修行をしていたわけではない。

 ただ一瞬の恋心。

 それがここまでのわざわいを、起こすというのか。


 理不尽である!

 納得いかない!

 許せない!


 男の目の前に、青白い光が現れた。

 王に男を討たせるような、囁きをした鬼女である。

 鬼女は男に手を差し伸べた。


「人間とは、かよう愚かで恩知らずの生き物。そなたのような高潔な者が、助力するにあたわず。われがそなたの呪力を戻す。人間どもに、能力ちからを見せつけようぞ!」


 絶望していた男は、鬼女の手を取った。

 男は仙術を捨て、妖術を得た。


 王女を、その国を、滅ぼすために。

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