第11話 宴

 セイラルと第一王子のジーノスは、祝宴の隅で静かに座していた。


「今日の君は、特別に美しいな」


 伏し目がちにジーノスが呟く。


「リボンの色が、とても良い」


 セイラルは、思わずジーノスを見つめる。

 およそジーノスは、女性の容姿を誉めることなどしない人間と思っていた。


「母から、いただきました。ユーバニアの、イオニカの色ですね」


 会場全体に歓声が上がる。


「陛下!」


 歓声に包まれた国王に、第二王子のアティリスが駆け寄る。

 その後を、セイラルの姉、フィーマが続く。


 杖なく歩く国王の姿に、ジーノスの瞳が大きくなる。


「父上が! 立って、歩いていらっしゃる!」


「はい、ジーノス様。陛下の病は、完治されました」


 君が、治したのだね。

 ジーノスは心の中だけで言った。


 国王は、会場全体に聞こえる音量で宣言する。


「皆、大儀である。本日は、我が第二王子アティリスと、フィーマ・ヴィステラ侯爵令嬢の、婚約祝賀会である。若い二人の未来を、共に祝おうではないか」


 国王の宣言を聞いたアティリスは、少々怪訝な表情である。

 側に控えるフィーマも、同じだ。

 いや、遠目でも、フィーマの目付きの険しさが分かるほどだった。


 本日この場で、アティリスとフィーマの婚約発表と同時に、アティリスの立太子を宣言するはずではなかったか。


 そして、主役の二人よりも更に不満げな表情を隠さない者が一人いた。

 フィーマと、セイラルの父、ヴィステラ侯である。


 空に、雲が増えてきた。


 会場では客たちに、ワインが配られている。

 これから乾杯の儀となる。

 セイラルとジーノスのところに、給仕でやって来たのは、騎士のエイサーである。


 見渡せば、エイサーやニアト以外に、会場には見覚えのある騎士たちが、白い給仕姿で動き回っている。


「よく似合ってるな、その白い服」


 ジーノスはエイサーに掌を見せながら、グラスを二つ受け取った。

 一つをセイラルに手渡す。

 透明なワインだった。


「リンゴのワインにしておきましたよ、セイラル様」


 エイサーはセイラルにウインクした。


「なんだ、お前、セイラル嬢に不敬だぞ」


 ジーノスが軽口をたたく。

 エイサーは慌ててその場を離れた。



 国王がグラスを掲げる。


「乾杯!」


 セイラルもジーノスと軽くグラスを合わせ、一口飲んだ。

 アティリスとフィーマは、不機嫌な顔をしながらも、来客に挨拶を始めた。

 上位貴族たちは、国王と妃に祝辞を伝えている。


 そんな中、雲の色は徐々に濃くなり、空気の湿度が増していく。

 雲の隙間に、時折稲光が走る。


 雨が来るのだろうか。

 今の季節に。


 セイラルは、さりげなく国王に近づく、父ラステックの姿を見た。

 給仕から新しいボトルを受け取り、王に勧めている。


 セイラルは、父の上着の袖から、黒く伸びる枝を認めた。

 さらに枝の先端から、落ちるしずくも。


 間違いない。

 神殿で国王を狙った時と同じだ。

 あの滴が、国王の体内に入ってしまったら!


 セイラルは小声でジーノスに告げる。


「陛下の身に危険がっ」


 ジーノスは無言で頷き、右手をさっと挙げた。

 給仕服の騎士たちが、陛下の周りへと走る。

 セイラルは駆け出し、叫んだ。


「父上!!」


 さすがのラステックも、娘の声に驚いて振り返る。

 枝の先からこぼれ落ちそうだった滴は、国王のグラスに入ることなく、地に消えた。


「な、何用だ、セイラル。だいたい、何故お前がここにいる!」


 息を切らせながら、セイラルは父を見据える。


「お姉さまから、招待状をいただきましたので」


「そ、そうだったな。しかし。はしたない。ヴィステラ家の者が」


 苦い味を飲み込んだような父の顔。


「父上と、ここしばらくお会いしておりませんでしたので」


 舌打ちをして踵を返すラステックを、騎士たちが囲む。


「ヴィステラ侯。少々顔色がお悪いようです。お椅子を用意いたしました」


 ラステックが会場から連れだされようとした時である。


「お待ちなさい。わたくしの父をどうするおつもりかしら?」


 眉をきりりと上げたフィーマが、騎士たちの足を止めた。


「それにセイラル。あなたは償ったとはいえ、罰せられた人間。本来ならば、この場にいることもできない立場よ。わきまえなさい!」


 フィーマがセイラルに向かって、片手を上げた。ああ、打たれるとセイラルは観念した。

 その時である。

 フォーマの手を誰かが押さえた。


「お母様!」


 フィーマの手を止めたのは、セイラルの母グレーベンであった。


「ごめんなさいね、フィーマ。久しぶりに父親にあえたので、セイラルも興奮したのよ」


 言葉は柔らかいが、視線は厳しいグレーベンの気迫に、さしものフィーマも手を下げた。


 空は益々暗くなる。

 このまま、祝賀会が終わって欲しいものだと、セイラルは切に願った。



 パーティ会場の中央辺りでは、本日の主役の一人アティリスが、父である国王に詰め寄っていた。


「父上! 今日は私の婚約と共に、立太子の発表予定ではなかったでしょうか!」


 国王は第二王子に対し、父親としての表情を隠す。


「その件は、しばらく見送りとする」


 アティリスは食い下がる。


「何故ですか! わたしに何が不足しているのですか! いつまで待てばいいのです!」


 国王はため息をつき、アティリスにさとす。


「そういうところだ、アティリス。お前は迂闊に先を急ぎ過ぎる。

だいたい、王家と侯爵家で結んだ婚約を、一方的に破棄したのは、お前ではないか」


「うっ……。し、しかし、それはセイラルがフィーマに対して……」


「フィーマの言ったことだけを疑うことなく信じ、セイラルへの聞き取りや、周囲からの証言を精査したのか?」


「ち、父上は最初から、フィーマを気に入らなかったのですね! 身分ですか!」


 顔を真っ赤にしたアティリスは、セイラルの元に駆け寄る。

 そしてセイラルの手を引っ張り、国王の前にひざまずかせた。


「顔をあげろセイラル! 陛下の前で、お前がフィーマにやった悪事を、全て明らかにしろ!」


 ゆっくりとセイラルは顔をあげ、アティリスを見つめた。

 切れ長の瞳には強い光が宿り、清浄な風が矢のようにアティリスを射抜く。

 透き通るような肌は艶やかで、唇は瑞々しい。


 紛れもなく、美少女である。

 アティリスの口が乾く。


 コイツは、誰だ?

 あの、セイラルなのか?


 半年ほど前のセイラルは、いつも表情に乏しく、視点の定まらない目をしていた。

 姉のフィーマの、咲き誇る大輪の花のような笑顔と対照的な、路傍の名もない、萎れた花のようだった。

 だから。

 踏みつけても構わないと思った。


 今、目の前にいる少女は、もし踏みつけようなどとしたら、その足を薙ぎ払うのではないか。


「おそれながら申し上げます」


 セイラルは透き通るような声で、国王とアティリスに告げる。


「第二王子殿下の婚約という、至極おめでたい場には、ふさわしくない話題と考えますが」


 国王は大きく頷く。

 アティリスは、動揺を誤魔化すかのようにセイラルに怒鳴る。


「お前はやはり、フィーマに嫌がらせをしていたのだろう! だからそんな言い逃れを」


「いえ、殿下。わたくしはそのようなことを、一つも行っておりません。

水の神ユーニアーと、わたくしの首にかけて! 

それでも、もしお疑いならば、殿下のお好きなようになさいませ!」


 セイラルはアティリスに、己の細い首を伸ばす。

 アティリスはギリギリと歯を噛みしめる。

 大人しかったセイラルが、こんなに挑発的な態度を取るとは思ってもいなかった。


「言ったなセイラル! では望み通りにしてやすぞ」


 アティリスは、腰に差した剣に手をかける。


 セイラルが思っていた通りの行動である。

 アティリスは、挑発すると勝負に出ようとする癖がある。

 あれはいつだったか……。



◇◇◇



 セイラルとアティリスが五歳の頃だ。


 王宮の庭園で、子ども同士で遊ぶことがあった。

 第一王子のジーノスは、王太子になるための教育を受け始めていたが、時折一緒に遊んでくれた。


 アティリスは、長い木の枝を適当に振り回す騎士ごっこが好きで、なぜかいつもセイラルは敵役だった。


 セイラルは身のこなしが軽やかだったので、アティリスに木の枝を振り下ろされても、するりと逃げる。


「逃げてばかりで、卑怯だぞ!」


 叫ぶアティリスに、セイラルは言う。


「では、わたくしは逃げないで、ここに真っすぐに立っています。どうぞお好きなように打ってくださいませ」


 アティリスは顔を真っ赤にして、上段構えで突っ込んでくる。

 枝が振り下ろされそうになった時、さすがにセイラルは目を瞑った。

 だが、いつまでも枝は当たらない。


 恐る恐る目を開けたセイラルは見た。

 ジーノスが、素手で枝を受け止めていたのだ。


「武器を持たない相手に打ち込むとは、それこそ卑怯ではないか、アティリス」


「あ、兄上……」


「セイラル、ケガはなかった? 向こうで温かい物でも飲もう」



◇◇◇



 しかし、国王陛下の御前で、アティリスは剣を抜くというのだろうか。

 いくら無礼講のようなパーティ会場とはいえ、ゆえなく剣を構えたら、国王への反逆行為と見なされてしまうのだが。


 セイラルは、すっと背を伸ばしアティリスを見つめる。

 アティリスの利き手が柄を握り、刃が光ったその時である。


 風が渡った。


 誰かがアティリスの背後からその手を押さえ、刃を納めていた。


「場をわきまえろ、アティリス! 陛下の御前であるぞ」


「あ、ああ……兄上! な、なんで! 足!」


 アティリスの背後には、第一王子のジーノスが自分の足で立っていた。

 いや、立っていたどころか、彼は会場を瞬時に駆けて来たのだ。


 ジーノスはセイラルに手を差し伸べる。


「ケガはないか? セイラル」


 セイラルは微笑んで、ジーノスの手を取った。


 国王もジーノスの回復に目を丸くしながらも、会場全体に告げる。


「皆、見たであろう。第一王子のケガが完治した!

これより、第一王子ジーノスを王太子とし、本日をもって、セイラル・ヴィステラ嬢と婚約したことをここに宣言する!」


 会場からは割れんばかりの拍手が起こる。

 元より知力、武術並びに人徳に優れたジーノスは、次期国王としての期待が誰よりも大きかったのである。


「わかったかアティリス。ジーノスが回復した以上、王太子となるのは第一王子である」


 アティリスは、力なく座り込んだ。

 まさか、兄が歩けるようになるとは思ってもいなかった。

 自動的に、第二王子の自分が、次期国王になると信じていた。


 だが、アティリスはよくわかっている。

 健康を取り戻した兄には、敵わない。

 誰よりも、分かっているのだ。


 ガシャ――ン!


 ガラスの割れる音がした。


 わなわなと震えるフィーマが、持っていたグラスを投げつけた。


「茶番は、終わりよ!」


 フィーマの叫びと同時に、稲妻が走る。


 彼女の瞳には赤黒い炎が走り、こめかみには血管が浮いていた。


 会場から連れ出されたはずのヴィステラ侯が、いつのまにか国王の背後に立ち、国王の首に切っ先を突きつけているのが、セイラルには見えた。

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