第6話 王都2
ある時、上人は言った。
「ひよし様、此処へはもう、お見えにならぬ方が良いでしょう」
ひよしは訊く。
「なにゆえに」
「私自身が、都に参ります。加持祈祷を仰せつかりました」
「
上人は、黙して語らず。
しばらくしてのち、口を開く。
「ひよし様はご聡明でございます。私は上皇様、すなわち、ひよし様の
「左様でございますか。わたくしも、上皇様は隠棲されますることを望みます」
上人は、軽く息を吐く。
少女は成長している。
もう少し、話をしても良いであろう。
「上皇様のふるまいは、世の乱れを呼びます」
それは勿論、ひよしの夫となるはずの安殿親王、すなわち現上皇が、宮中で同衾しているのは、ひよしの母であることを指す。
「私が唐に渡っていた時にも、似たような話を耳にしました。息子の
「母は、
上人は唇を真っすぐに引いてひよしに答えた。
「尚侍、薬子様は、既に
ひよしの目が開く。
「では、やはり!」
「物の
卯月の空、早咲きの桜が散っていた。
◇◇◇◇◇
セイラルは、エイサーが運んでくれた袋から、先ず十二個の石を取り出す。
馬の目に似ていると言われる、緑色の石である。
寺院の水で三日三晩清めたのち、宮殿を囲むように並べることを、エイサーとニアトに依頼した。
さらに、平たく黒い石を八個選び、セイラルは丁寧に磨き上げた。
磨かれた石の表面は、覗き込んだ顔が映るようになる。
「本当は鏡が良いのですが」
ユーバニア王国で、多くの鏡を手に入れるには、かなりの資金が必要である。
セイラルは石で代用することにした。
八個の黒い石は、玉座の間と西宮、すなわち国王と王妃、第一王子の住まう場所の四隅に、それぞれ置いてもらった。
「これで、宮殿は少し、浄化されるはずです」
寺院の午後、いつものようにセイラルは司祭と会話する。
司祭は、セイラルに尋ねた。
「あなた様はこのような法を、どこで学ばれたのですか?」
セイラルはふと口元を緩め、司祭に向かう。
「なんとなく、頭に浮かぶのです。『こうした方がいい。このやり方だ』と、声が聞こえてまいります」
司祭は考え込む。
水の女神のご加護なのか。
あるいは。
別の……
「司祭様」
セイラルが口を開く。
「わたくしは、今のこの
司祭は声を出さずに驚いた。
ユーバニア王国の国教は、輪廻転生を明確に定めてはいない。
ただ、水は形を変え、湯となり蒸気を生み、蒸気から垂れた雫がまた、水の流れを作るという教義はある。
よって、死はまた次の生へと繋がっていると、漠然と信じられている。
しかし、国教の教義も死生観も、習うのは成人に達した王族と、一部の貴族のみ。
それを、まだあどけなさが残る、目の前の十代の少女は、体得しているというのか。
この少女はひょっとしたら……
同日、寺院に、セイラルの生家であるヴィステラ家からの手紙が届いた。
今より三ヶ月後に行われる、第二王子とセイラルの姉フィーネの婚約の儀に、セイラルを呼び出す通知であった。
◇◇
蠟燭の灯りが揺れる本堂にて、上人の話は続いている。
「太子様の
「何かが、あったのですね」
ひよしの問いに上人は頷く。
「本来は、わが国にいるはずのない『モノ』も、かの地より受け入れてしまったのです」
風のない堂内だが、ろうそくの炎が斜めになる。
ひよしは両の拳を握る。
上人は印を結び、真言を唱える。
途端に、ろうそくの炎は火花を散らし、垂直に戻る。
「お上人様、今のは……」
「あなた様に付いてきた『モノ』を祓いました。やはり、私が離れてしまうと、あなた様も危うい……」
上人は、しばし黙考し、新たに印を結んだ。
瞬時に炎は空中の塵を焼き、本堂の天井に届くほど伸びあがる。
ごくりとひよしの咽喉が動く。
炎は、生命を持つかの如く乱舞する。
シャラン……。
鈴の音が響く。
板間を踏みしめる、硬い音がする。
シャランシャラン!
炎の中から、人影が浮かびあがる。
「わしを呼び出したのは、やはりお主か」
男性の低い声が聞こえた。
人影はありありと全身を現し、錫杖を右手に、堂内に歩み出る。
痩身の体躯を一本下駄に乗せた、老人である。
しかしながら、このご老人は、人なのであろうか。
生きている人間が、炎の中から無傷のまま、現れることが出来るのか。
「不躾ながら、お願いの儀がありまする、
上人も、呼ばれた老人も、表情は柔らかい。
「お主の願い事であれば、断る理由が見つからぬ。言うてみなさい、空海」
◇◇◇◇◇
第二王子アティリスと、セイラルの姉フィーマの正式な婚約発表の場に、元婚約者のセイラルを呼ぶことに、王と正妃は苦言を呈した。
「しかしながら陛下。セイラルが心より反省し、姉フィーマがそれを許したことを、皆に認めてもらう、良い機会ではありませんか!」
王は床上で横たわったまま、第二王子の陳情を聞いているが、第二王子は一歩もひかない。
そもそも、セイラルが反省しなければならないような行いなど、全くなかったことを王も正妃も知っている。
とは言え、王子の言うことにも一理はある。
「相分かった」
正妃は眉をひそめていたが、王はそう答えた。
その晩、施術を行うために、いつもの様にお忍びでやって来たセイラルらに、王はその旨を伝えた。
セイラルは静かに微笑みながら、頭を下げ恭順の意を示した。
その上で、王に告げる。
「失礼つかまつります。陛下にお聞きしたいことと、お願いしたいことがございます」
セイラルが知りたかったのは、以前寺院にて、王とセイラルの命を狙った者は誰によって送り込まれたか、ということだった。
「断言はできないのだが……」
そう前置きして王は言う。
「どうも、第一王子に王位を渡したくない者たちが、王宮にはおるのだ」
正妃は目を伏せた。
「セイラルよ。そなたの父、ヴィステラ侯が、最初に成婚した際のいきさつを、知っておるのか?」
「家柄の違いで、前国王陛下から反対された、と聞いております」
国王は頷きながら話を続けた。
「そうだな、間違いではない。しかし、正確な話でもない」
「と、申しますと……」
「ラステック・ヴィステラは、隣国の
セイラルの表情が珍しく動く。
ユーバニア王国は、ユーバニアよりも遥かに大きい国力を持つ、二つの国家に挟まれている。
資源と農産物に恵まれた此の国を、配下に治めようとする両国と、かつては長く
先代の王の時代、互いに姻戚関係を結ぶことで、戦争は一旦集結したが、今も火種が完全に消えたわけではない。
「もともと、ラステックと婚約していたのは、東の隣国の公女。しかしラステックが選んだのは、その公女に付いてきた侍女だったのだ」
「お綺麗な方でしたね」
目を伏せたまま、正妃がつぶやく。
「ただし、ただの侍女ではなかった。彼女はラステックのみならず、当時の騎士団長や国政大臣などと情交を持ち、我が国の軍事情報を密かに入手していたのだ」
セイラルの脳裏に、
当然、セイラルは会ったことがない。しかしなぜか、その女の表情が分かるのだ。
「残念ながら、その侍女が間諜であったということが判明したのは、ラステックの長子、フィーマが生まれてからのこと。他国へ軍事情報を流すことは、わが国では大罪にあたる。罪が確定した段階で、彼女は刑に処せられた」
セイラルは一瞬顔を上げた。
姉の実母は、病死ではなかったのか。
「なお、ラステックには間諜行為が認められなかったため、処罰はなかった。代わりにお目付け役を兼ねて、そなたの母君が後添えとなった」
王が語った内容により、セイラルは理解した。
なにゆえ、父と母の間柄は、よそよそしいものなのか。
姉を溺愛する一方、父がセイラルには一かけらの情も持ちえないのか。
そしてセイラルの心中、導かれた結論がある。
父、ラステック・ヴィステラは、愛した先妻を処刑した、このユーバニア国に対して、強い怒りと憎しみを、きっと持ち続けている!
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