第28話
「エミリア――いつからか、私は貴女に魅入られてしまったようだ……」
「……え?」
その衝撃的言葉は私の思考を止め、そのせいで理解にまで及ぶ事が出来ない。
でも、その衝撃もいずれは和らいでいき、遠退いていた思考力が戻ってくる。
そして、丁度その頃に、
「――この私と、結婚して欲しい」
子爵様は私にそう告げた。
まずは、それを子爵様から私へ宛てられたプロポーズと理解。
そして更に思考を継ぎ、
――えっ?ちょっと待って。と、いう事は……
今、この瞬間に、私と子爵様との結婚が決まった――否、既に決まっている事を理解する。
そう。貴族から平民への持ち掛けに対して平民の意思は尊重されない。
瞬間、様々な感情が一気に湧き立つ。
――困惑、戸惑い、焦り、諦め、恥心、嬉しみ、悲壮感……
それら感情は複雑に絡み合い、もはや収集不可能、これといった反応も示せずにただただ茫然自失に立ち尽くすのみ。
そんな私に子爵様はハッとしたように視線を揺らし、表情を曇らせた。
「……驚かせてすまなかった。……其方の今の気持ちを聞かせて欲しい」
今の気持ち――分からない。そんな答え、出せるわけがない。
「……今はまだ、その……何と言っていいか……申し訳ありません」
「そうか……いや、私が悪かった。すまない。今の其方に聞くべきではなかった。……ただ、私は其方の心まで欲しいと思っている。それだけは知ってて欲しい」
「…………はい」
――ギルバード邸までの帰路、夕陽に焼ける景色を馬車の窓から眺めていると、自然とあの時の事を思い出す。
「――――」
想起されてゆく鮮明な記憶――想い……
「……旦那様。」
私は小さく呟いた。
「……今、何と?」
「はい。この度私はリデイン子爵様より結婚を申し込まれた。それ故、退職を余儀なくされた現状をまずはクライン様へ報告を、と思いまして……」
「なんと、まぁ……」
驚いたように目を見開き、言葉を失うクライン様。
まぁ、当然の反応といえばそうなのかもしれない。
ただでさえ平民と貴族との結婚は珍しい。それも親子揃って同じ貴族家への嫁入りはさすがに、前例すら無いと思う。
正直、まだ私の中で心の整理はついていない。湧き立つ全ての感情は未だ複雑に絡み合い、心情としては相変わらずな混沌ぶり。
ただ、そんな中でもはっきりと嬉しいと思える事はある。
それはアリアとの関係性だ。
貴族と平民という立場になってしまってからというもの、いくら割り切ってはいるつもりでも、やはり娘へ使う敬称、敬語には抵抗感があった。そして、それはアリアも同じ。
あくまで親子の姿勢を崩すつもりは無くとも、そのよそよそしい礼節は正直鬱陶しい。
気兼ね無い親子関係に戻れる事は私にとって最大級の喜びだ。
「……正直、残念です」
言ったのはクライン様。
「?」
私はその言葉に疑問符を浮かべる。
「優秀な人材を失うのは本当に残念な事です。貴女にはいずれメイド長に就いて欲しいと思っていたので……」
まさか、ここまで頼りにされていたとは思わず、嬉しさ反面、悲しみが胸を締め付ける。
もっとこの仕事を続けたかった。苦労して得た私の居場所、見つけた生き甲斐、充実した毎日、それら全てを手放す事が本当に嫌で、残念で仕方がない。
「……そうだったのですね。期待に応える事が出来ず申し訳ありませんでした」
事態の根源である子爵様の事を恨むつまりは無い。誰も悪くない。それは分かっている。
でも悔しい。私はクライン様に頭を下げた。
「貴女が謝る事など一つもありませんよ。ところで、こちらの方ではいつまで働けるのでしょう?」
「いえ。まだそこまでは……」
「そうですか。こちらとしましては、次の人材を確保しなくてはいけませんので、可能な限り長く職務に就いて頂ければ幸いです」
「はい!もちろん、そうさせて頂くつもりです」
こうして、私は残されたメイドとしての、ひいてはギルバード邸での日々を大事に大事に過ごそうと決意するのだった。
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