第22話


 時は少し遡り――




 旦那様との海でのやり取りを経て、ギルバード侯爵邸までの帰り道、私は旦那様の少し後ろを歩いている。


 美しいオレンジ色だった街の景観はいつの間にか夜闇に包まれ、喧騒も消え、夜特有の静寂が漂っていた。

 

 遠目に屋敷がぼんやりと見え始めた頃、突然旦那様は立ち止まり、「変な誤解をされては困るからな」と、先に私から屋敷の門を潜るように言ってきた。


 門の側には常に警備兵が居る。警備兵もギルバード侯爵家の『使用人』という括りだ。

 もしも、旦那様と私が一緒にそこを通過すれば、それを目撃した警備兵から他の使用人へその事が伝わる事は必至だろう。


 旦那様の言う通り、ここはそれぞれタイミングをずらして門を潜るのが得策だろう。そして、空ける時間は最低でも10分は欲しいところ。

 しかしその退屈な時間を、この暗がりの道のど真ん中で過ごすのが旦那様であってはならない。


「いえ、私がここに残りますので、旦那様から先に行かれてください」


 しかし旦那様は私のその提案を即座に却下する。

 

「馬鹿か、君は!こんな夜道のど真ん中に女ひとり、君を残して行けるか!」


 こうして「君から行け」「いえ、旦那様から先に――」と、押し問答を繰り返した末に、その折衷案として警備兵の隙を突き、気付かれないように一緒に門を潜る、という事になった。


「こっちだ」

 

 建物の影から建物の影へ、素早い身のこなしで移動する旦那様と、その後を必死に追う私。

 順調に屋敷へと接近していく中、次第に旦那様と私との距離が離れていく。そして、遂に――


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 立ち止まり、手を膝につき荒い息を繰り返す私の耳に、旦那様の申し訳無さそうな声が聞こえた。


「……すまない。俺の配慮が足りなかったようだ」


 旦那様は背中を私に差し出すようにしゃがみ込むと、


「……乗れ」


 その背中に乗るように促してきた。


「でも……」


 遠慮がちに躊躇するも、再び押し問答を再燃させるのも如何なものかと、私はその心遣いに素直に甘える事にした。


 大人になってから男性におぶられるなんて事は当然初めて事である。

 恐る恐る彼の肩に手を置き、背中を跨ぐようにして体重を彼の体に預けていく。


「お、重く、無いですか?」


「いや、全く問題ない」


 彼はそう言って軽々しく立ち上がると、先程と変わらない速度で駆け出した。


 がっちりとした大きな背中にしがみつき、その逞しさに思わずうっとりする。

 そして当然のように鼓動もまた大きく鳴り響いている。


 そして旦那様におぶられてからというもの、あっという間に門のすぐ側までやって来た。


 今、身を潜めているのは建物の影では無く、門をすぐ側から見据える事のできる、それなりの太さのある木の影だ。そこから旦那様は顔だけ出して門を睨む。

 依然、旦那様の背中におぶられたままの私。


 それにしても熱い。

 頬に熱を感じてしょうがない。きっと今の私の顔は真っ赤に染まっている事だろう。


 警備兵は門の両側に1人ずつ立ち、それぞれ眼光鋭く辺りを見回しているようだ。


「――森の精霊達よ、光るその身で森を照らせ」


 旦那様が小さく呪文を唱えると、警備兵から見て右手側に広がる森の奥から柔らかな光が発生した。


「――何だあれは!?」

「――魔獣か!?」


 警備兵2人は光る森の方へと走って行く。それに伴ってガラ空きになった門。


「――よし、今だ!!」


 旦那様は木の影から飛び出し、そのまま門目掛けて駆け出した。


 そして無人となった門をすかさず潜り抜けると、誰の目に留まる事無く、無事に屋敷へ辿り着く事が出来たようだ。


 旦那様は無言のまま腰をゆっくりと下ろし、その行為をもって私に降りるよう促す。

 名残惜しさのようなものを感じつつ、旦那様の背中を降りた私は、


「ご迷惑をお掛けしてしまって大変申し訳ありませんでした」


 そう言って頭を下げ、謝罪した。


「何を言っている。君が気にすることはない。また明日からよろしく頼む」


「はい。旦那様。それでは、おやすみなさいませ」


「あぁ」


 別れ際、旦那様はそそくさと屋敷の中へと行ってしまった。


 思えば、帰路に着いたあたりから急に素っ気ない態度を取るようになった旦那様。


 私は屋敷の中へ入って行く旦那様の背中を見送った後、ひとり首を傾げたのだった。

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