第3話
――ジョンとメアリーの婚約が解消されたらしい。
そんな噂が私の耳に入って来た。話によれば婚約解消の意はメアリーから出されたものらしい。
やはり、私の見立て通りメアリーはジョンの事など愛していなかったと、最初その話を聞いた時はただそれだけしか思わなかった。しかしこの話にはまだ続きがあり、それを聞いた時初めて私の心にさざなみが立った。
「おかえりなさい」
「ただいま、アリア」
夕飯を作るアリアがいつものように振り返る。
「ちょうど今出来たところだよ!ご飯にしよ!」
私はアリアから野菜スープの入った大小のお椀ふたつと、蒸かし芋3分の2と3分の1がそれぞれ乗った皿を受け取り、それらを食卓に並べる。
「じゃあ、食べようか」
「そうだね」
腰を落とし、料理に向かうと、私はまず野菜スープの入ったお椀を手に取り口をつけた。
「うん。今日も美味しい」
「良かった」
私の感想にアリアが微笑む。
「また腕を上げたんじゃない?」
「ふふん、そうでしょう?」
アリアが得意げに鼻を鳴らしたところで、私は表情のトーンを落とし、今日、外で聞いたあの話を切り出した。
「今日聞いた話なんだけどね。お父さん、腰に大怪我を負ったみたいなの」
「え?」
アリアは食事の手を止め、驚いたように目を見開いた。
「でね。 お父さん、今ベッド上で身動きが取れない大変な生活をしてるんだって」
一瞬、アリアの顔からは動揺が窺えたものの、その表情はすぐに不機嫌に作り変えられ、再び食事の手を動かしながらアリアは口を開いた。
「……あの人、メアリーさんが居るから問題ないでしょ?」
アリアは険しい口調でそう言ったが、私は軽く首を振ってからアリアのその言葉に答えた。
「婚約、解消されたんだって。お父さんの負った怪我はかなり重症らしくて、元通り歩けるようになるまで回復するかは分からないみたい。メアリーはそんな障害を持つかもしれない人とは結婚は出来ないって言って……」
勝手な見解だけれど、私から夫を奪い取る事で私へ対する優越感を得たかっただけのメアリーは、仮に今回の怪我の件が無かったとしても遅かれ早かれ同じ結果を辿っただろうと思う。
何より、メアリーは一人の男で満足するような女では無い。
「……じゃあ何? お父さん、あの人に捨てられたの?」
再び手を止め、驚いたような表情をするアリアに私は前述した内容を思いながらもコクリと頷いた。
平民が抱える病気や怪我の解決法は基本的には自然治癒に頼るしかない。治癒術師に罹る為の莫大な費用がその理由だ。大きな病、大きな怪我になればなる程その費用は高くなる。
軽い怪我や病の場合だと、そもそも治癒術師に罹る事はないのだが、仮にそれを罹ったとして、その場合で平民の平均月収くらいの額になる。
ジョンが負ったであろう怪我の規模を考えれば治癒術師に罹るのはまず無理だろう。
それを可能とするのは貴族はもちろんだけど、平民でもごく一部の富裕層くらいのもの。
そして、ジョンには身寄りがいない。両親は病気で他界し、兄弟もいない。
つまり、身動きが取れないジョンの身の回りの世話をするような人間が誰もいないのだ。ただ、こういったケースでは近くに住む村人達が連携してその者の暮らしをサポートするのが村の伝統的な習わし……なのだが、
「私達を身勝手な理由で捨てて、メアリーと婚約したお父さんの事を村の人達は良く思ってないみたいでね。生きていく為の本当に必要最低限の援助しか、お父さん受けれていないみたいなのよ」
「……なら、いいじゃない。わたしとお母さんを捨てて、あの人を選んだお父さんに、きっと罰が当たったのよ。自業自得だよ」
『生きていく為の最低限の援助は受けられている』という事にひとまず安心したのか、アリアは食事を再開させると辛辣な言葉を吐いた。
「お母さん、明日お父さんの所に少し様子見に行こうと思うの」
「え?なんで? わたしとお母さんを捨てた人だよ?心配する必要なんてないよ」
私の言葉に不機嫌そうに眉を顰めるアリア。私は苦笑しながらもそれに応える。
「少し様子を見に行くだけよ。ちゃんとご飯が食べられていると分かったらすぐに帰ってくるわ」
「お母さんは優しいね」
一瞬アリアの表情が和らぐも、すぐにまた怒った顔に戻し、
「こんなに優しくて綺麗なお母さんよりもあんな私利欲の強い女を選んだお父さんはやっぱり大馬鹿者だよ!」
そう言って、ふんっ、と鼻息荒く芋に齧り付きジョンへの憤りをあらわにした。
そんなアリアを私は苦笑しつつも「まぁまぁ」となんとか宥める。
アリアの言う通り、確かに私達が今のジョンの事を気に留める義理はない、のかもしれない。
しかしジョンは家族だった。過去形とはいえ元夫の事を少なからず心配に思ったのが正直なところだ。
そしてジョンはアリアの父親だ。これは過去形では無くてこれからも変わる事のない事実であり、ジョンと結婚していなかった場合、私はアリアの母親になれなかったのも事実。
これらの事を思えば『もう赤の他人だから――』とはなれなかった。
私達親子が住む家から徒歩5分の所にジョンの住む家がある。かつて家族3人で暮らしていた家だ。
離婚後、いっそもっと遠くへ住まいを移そうかとも考えたが、生まれ育ったこの村を出て、違う村で他所者として暮らす勇気は私には無かった。
夕暮れ時。
今日は仕事を早めに切り上げて、今私はかつての我が家を目前にしている。
木造の、部屋が3つ。キッチンダイニングにリビングに寝室。家族3人が暮らすにはちょうど良い広さの家だ。平民の中でも一般的な中間層が暮らす家といったところだろう。因みに、私がアリアと暮らす今の家はまさしく貧困層が暮らす家だ。
――コンコン
ノックをするが返事はない。ジョンはベッド上で身動きが取れないらしいので、返事が無いのは当たり前か……。
私は玄関扉を開けて中へ入った。
ぱっと見た感じ、私が出て行った当時の様子と変わらない。私はジョンが居るであろう寝室へと足を向ける。
部屋に入るとそこにはベッド上で掛け布団を被り、仰向けで横たわるジョンの姿があった。
ジョンは仰向けの状態のまま視線だけを私の方へ向け一瞬驚きに目を見開いた。
「……やぁ、エミリア。久しぶりだね」
「えぇ。 食事は取れているの?」
この部屋に入った時から感じる鼻を刺す様な異臭。心の中で、やっぱり、と呟く。
「……ああ。村の人が毎日芋をひとつ届けてくれる」
目は虚ろで少しだが頬もこけているようだ。声にも力は無い。怪我をしてまだ数日のはずだがかなり衰弱しているのが分かる。
「一日に食べてるのはその芋ひとつだけ?」
「……あぁ。そうだ」
「そう――」
私は彼の近くへ歩み寄ると掛け布団に手を掛け――
「――ッ!? な、何をする、エミリ――」
それを一気に剥ぎ取った。
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