第50話 青猿(1)
昨夜まで降り注いでいた雨が上がり、雲の切れ間から久々に太陽と青空がの心地好良い姿を見せる。
朝早くには色の濃い美しいアーチを描いた虹も姿を現れ、気落ちしていた心を明るく映してくれた。
そして虹と共に渡ってきた幸せに心を弾ませた。
アケは、ずっと閉めっぱなしでいた屋敷の窓という窓を開けて澱んだ空気を入れ替え、三角巾で長い髪を纏め、割烹着を着ると屋敷中をくまなく掃除し始める。
箒で床を履き、はたきで家具の上の埃を払い、雑巾掛けをして、湿った寝具と衣類を外に干した。
その間、男達は、邪魔にならないように居間に軟禁されてコーヒーを飲むか、庭の畑の様子を見にいかされる。
「アケ様ぁ!」
畑を見に行っていた大きな白兎のオモチと小さな
「どうしたの?」
アケは、屋敷の中に運ぼうと思っていた洗濯籠を置いてオモチとアズキを見る。
「トマトの葉の色が黄色く変色してます」
オモチの報告を受けてアケは、蛇の目を顰める。
トマトは、カワセミとウグイスが旅をしている時に見つけた果実だ。見た目も赤ちゃんのほっぺたのように真っ赤で丸くて可愛らしく、味も甘く、瑞々しくてアケは気に入ってしまった。何とか栽培出来ないかな?身が千切れる思いで果実の一つを畑に植えたら1ヶ月後に目が出てきて、そこから順調に育ってきていたのだが・・・。
「雨に弱かったかあ」
アケは、額に手を乗せてがっくりと項垂れる。
「苗は全部ダメ?」
「いえ、何株かは大丈夫です」
オモチの言葉にアケは、ほっと胸を撫で下ろす。
「後で雨避けの屋根を作りましょう。日光を遮らないように薄い布とかでいいと思うわ」
「アヤメにお願いしますか?」
オモチがその名を口にした瞬間、アケの表情が露骨に曇った。
アヤメとは、屋敷に宿る
マンチェアを身に纏った金糸のような長い髪を蓄えた優雅な美女の姿をしている。
その姿を想像するだけでアケの胸にモヤモヤとイガイガが混ざり合ったような感情が生まれる。
「後で私が作るからいいわ」
アケの声は、自分でも気づかない程に低く、暗かった。
オモチは、表情こそ変わらないものの怪訝そうに首を傾げる。
「後は、平気?」
「ジャガイモの茎が黄色くなって枯れてました」
「それは枯れたのではなく収穫期に入ったのよ。土の中にたくさんのお芋が出来てるはずよ」
アケは、一転して笑顔で答える。
そして2人の足元にいるアズキを見る。
「アズキ。畑の中にあるお芋を掘ってくれる?お昼ご飯に美味しいご飯作るから」
アケの言葉にアズキは、ぶぎいっと小さく鳴いて、小さい足を動かして畑へと走っていった。
「つまみ食いしませんかね?」
オモチが心配そうに言う。
「アズキが食べたくらいじゃ減らないわよ」
アケは、可愛くお尻を揺らして走るアズキを見て思わず笑う。
「ジャガイモの回収をお願いしても良い?」
「アケ様は?」
「今朝収穫した梅の仕込みがしたいの」
オモチは、首を傾げる。
「梅ですか?」
「主人にね、今朝、ナギにお手紙を頼んだの。梅酒や梅干しの材料を買ってきて欲しいって。きっとお昼頃には届くと思うから」
「それはもう光の速さで来ることでしょうね」
オモチは、全ての業務を捨て去り、止める部下を薙ぎ払って買い物をし、
「そう。だからそれまでに仕込みをしときたいの。ナギにも渡したいし・・・」
「なるほど・」
オモチは、フサフサの毛に包まれた顎を摩る。
その時である。
アケとオモチの周りが影に覆われる。
オモチの赤い目が揺らめき、一瞬にして移動して、アケを背中の後ろで庇い、両腕を大きく上空に向けて掲げる。
上空にいたのは蝙蝠に似た巨大な羽を広げて
見覚えのある
「もう来たんだナギ」
空を見ながら緊張感なく朗らかにアケは言う。
「いや、速すぎてしょう」
オモチは、呆れ気味に言う。
本当に業務はどうしたのだ?ニート武士にでもなりたいのか?
庭に降り立った
アケの胸に不安が走る。
アケは、
アケは、言われるままに両手を
アケは、茶封筒を見ると少し歪な字体で"姉様へ"と書かれていた。それだけでこの手紙を書いたのがナギからであると理解する。
屋敷に奉公に来たばかりの頃、字に触れたことのなかったナギに平仮名を教えたのを思い出してアケは懐かしさに唇を綻ばせる。
「漢字も綺麗に書けるようになったのね」
姉のような口調で言うとアケは、その場で封筒を開けて中身を確認する。
手紙には短くこう書かれていた。
"青猿の国が邪教と手を結びました。戦争が始まります。しばらくそちらに行くことは叶いません。どうぞ十分にお気をつけを"
アケは、胃が冷たくなるのを感じた。
青猿の国。
白蛇の国のはるか南方に位置する深い緑に覆われた山脈に住む屈強な褐色の民、一騎当千とも呼ばれる民を率いるのは"深緑の青猿"と呼ばれる黒狼、白蛇と並ぶ伝説の王・・。
その国が邪教と手を組み、白蛇の国に攻め込んでくる。
アケの手が震える。
戦争が・・・始まった。
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