第38話 姉様(3)
「ナギー!いらっしゃーい!」
春の日差しのような朗らかな声にナギの緊張と焦燥に駆られていた心は一気に崩れた。
緑色のハーピー 、ウグイスと名乗った少女の言葉に従い、黒狼の屋敷から東にある平野を目指して飛んだ。
目的地付近で
こんなところで何が・・・。
アケの身に最悪の事が起きた事を想定してナギは身が震え、心が冷える。
そしてようやく岩しかない平原に変化が現れる。
それが熊やリスや猫などの可愛らしい絵の描かれた賑やかな
ナギが地面に降り立つとアケが蓙から立ち上がって嬉しそうに寄ってくる。
「久しぶりね。ナギ」
アケは、嬉しそうに蛇の目を細め、口元に笑みを浮かべる。
久しぶりのアケの顔。
ナギは、胸中で飛び跳ねながらも努めて冷静に頭を下げる。
「姫様もお元気そうで」
武士の礼節に沿ってゆっくりと頭を下げる。
すると、アケは頬を膨らませて、腰に手を当てる。
「姫様は止めてって言ったでしょ。私を呼ぶなら姉様!」
「はいっ姉様」
ナギが言うとアケは満足そうに頷く。
アケの足元にいる茶色の毛に覆われた子豚も同じように頷いていた。
ナギは、子豚を見て眉を顰める。
「その子豚は?」
「ああっこの子?」
アケは、にっこり笑って身を屈めて持ち上げる。
「アズキって言うの。可愛いでしょ」
アケは、ぎゅっとアズキを抱きしめる。
アズキは、嬉しそうにキュッと鳴いた。
「・・・食用ですか?」
ナギが思ったことを口に出した瞬間、蛇の目が槍となって突き刺さる。
ナギは、一瞬でたじろぐ。
「・・・冗談でもそんな事言わないでくれる?」
アケの冷たい声にナギの腹が冷える。
「も・・・申し訳ありません」
ナギは、先ほどよりも深く深く頭を下げる。
ナギが謝るのを見てるとそれ以上は何も言わず、アケは笑顔に戻ってナギを蓙に案内する。履き物を脱ぎ、刀を鞘ごと抜いて蓙の上に正座するとウグイスがニヤニヤ笑ってナギを見ている。
「見事に地雷踏んでたね」
面白い読み物をみたかのような顔で言ってくる。
ナギは、むすっと顔を顰める。
「おいっどう言う事だ⁉︎」
「どういうことって?」
ウグイスは、何言っているか分からないと首を傾げる。
「ひ・・・姉様は何か助けて欲しいことがあったのではないのか⁉︎」
「?そうだよ」
何言ってんだこいつと言わんばかりに眉を顰める。
ナギは、苛立つ。
「じゃあ、これは何だ⁉︎いや、何だと言うよりも何もないではないか!」
「まあ、そりゃ今はまだ何もないよ。これならあるんだから」
あまりにも要領の得ない返答にナギの我慢は頂点に達する。
ナギが怒鳴ろうとすると、アケが間に入ってくる。
「もう。ウグイス何の説明もしてくれてないの?」
アケが蛇の目を細めて小さく息を吐く。
「ナギは、忙しいんだからちゃんと説明してって言ったでしょ?」
「大丈夫だよ。アケの名前を出せばどんな重要な仕事でもほっぽり出して来るってオモチ様が言ってたもん」
図星を突かれてぐうの音も出ない。
ナギは、アケを見る。
「姉様、一体・・・」
「ごめんねナギ・・ちゃんと説明するからまずはご飯しようか。お腹空いたでしょう?」
アケは、笑顔で言う。
ナギの目が大きく動く。
小さい頃の記憶が蘇る。
お腹が空いてるの?
幼いナギにアケは同じ言葉で声を掛けてくれた。
暗い、笑みのない顔で。
アケは、蓙の隅に置いた袋から物を取り出す。
丸いフライパン、ボール、菜箸、小さな瓶、角の尖った食パン、卵が2つ、ガラス瓶に入った牛乳、そしてバター。
ナギは、眉を顰める。
「ここに来るまでちゃんと小川で冷やしてたから新鮮だよ」
ナギが材料の鮮度を気にしたと思い、慌てて言う。
アズキがアケの膝の前に両足を畳んで座る。
アケは、ボールに卵を2つ、器用に片手で割って落とし、牛乳を流し入れる。次に小さな瓶を開けてゆっくりと傾けると、とろりっとした濃い金色のような液体が垂れて卵と牛乳の中に落ちていく。
「蜂蜜だよ。オモチが集めてきてくれたの。今度、養蜂もしてみようって話ししてるんだ」
養蜂・・・。
白い防護服を着たアケと蜂に追われて逃げ惑う大きな白兎の姿が脳裏に描かれる。
アケは、卵と牛乳、そして蜂蜜の入ったボールを菜箸で綺麗に混ぜていく。
「卵〜牛乳〜蜂蜜さ〜ん。仲良く、仲良く、混ざりましょ〜う」
楽しそうに鼻歌混じりに菜箸を回す。
「ウグイス、食パン切ってくれる?」
「りょ」
ウグイスの右手に水色の魔法陣が現れ、その周りに無数の水滴が集まる。水滴はお互いを結合し、形を整え、水色の小さなナイフとなる。
ナギの目が驚愕に見開く。
ウグイスは、器用に水のナイフを回転させると食パンの頭に当てて、音もなく切っていく。1枚、2枚、3枚と。
全部で6切れにするとそれをアケに渡す。
アケは、食パンを受け取ると黄白色になった液体に浸し、菜箸を使って両面を染めていく。
「食パン、食パン、ヒタヒタヒタ〜」
アケは、フライパンをアズキの上に置く。
「アズキ、よろしく」
アケの声と共にアズキの茶色い体毛が橙色に変化し、熱が伝わってくる。
フライパンの上に正方形に切ったバターを落とし、綺麗に塗りたがり、全体が綺麗な黄白色に染まった食パンを乗っける。
濃厚な甘い香りが広がり、鼻腔を擽ぐる。
「トロ〜リ、フワフワ、香ばしく〜美味しく美味しく焼き上げよ〜う」
アケは、菜箸で表面が崩れないように何度か底面を触りながらびっくり返す。
見ているだけで食欲を注ぐ焼け目と甘き香りが花開くように広がる。
アケは、片手で袋の中に手を入れてお皿を取り出すと焼き上がったパンを乗せる。
「フレンチトースト出来上がり〜」
太陽のような黄白色、寝心地の良さそうな柔らかさ、愛らしい見た目、そして鼻腔を抜けて腹の底を刺激する甘い香り。
ナギは、思わず喉を鳴らし、ウグイスは拍手する。
それから10分程で全てのパンの調理を終え、3人の前にフレンチトースト、屋敷で作ってきたサラダ、鹿肉の燻製、そして青い陶磁のカップに注がれたコーヒーが並べられる。
アズキの前には特製ドングリと椎の実のカリカリが置かれ、
3人は手を合わせて「いただきます」と言う。
「甘ーい!
ウグイスが幸せそうに頬を緩めてフレンチトーストを頬張る。
「凄く久しぶりに食べたあ。フレンチトースト」
ウグイスの嬉しそうな声にアケは思わず笑みを浮かべる。
「聞いたのを真似て作ったんだけど合ってたみたいで良かったあ」
「もう完璧だよー」
ウグイスは、他のおかずなんてそっちのけでフレンチトーストを食べる。
ナギは、その様子を戸惑った様子で見る。
それに気づいたアケが慌ててナギに声を掛ける。
「あっナギは知らないよね。フレンチトースト。主人やウグイスの国の料理でね。ウグイスがずっと食べたがってたから初めて作ってみたんだ。ちょっと変わった卵焼きみたいなもんだよ」
アケが上目遣いに蛇の目で見る。
「嫌だった?」
ナギは、慌てて首を横に振る。
「そんなことはありません。ひ・・姉様の料理はどんな給仕が作った物にも負けません。ただ・・」
「ただ?」
アケは、首を傾げる。
ナギは、少し困ったように金色の髪を触る。
「お2人が・・・本当に仲が良いんだなと思って・・」
アケは、蛇の目を、ウグイスは大きな緑の目をばちくりとさせる。
そして2人して嬉しそうに大きく笑みをうかべる。
「そりゃそうよ。私達友達だもん」
ウグイスが照れながらアケの肩に手を乗せる。
「そうだよ。ウグイスは私の大切なお友達よ」
アケも嬉しそうにウグイスの羽毛に包まれた肩を触る。
その光景にナギは、胸の奥から何かが込み上げてくるのを感じた。
しかし、それを表情に出さないように努めながらナギは言葉を吐く。
「ところで・・・今日は一体・・,」
ナギの言葉にアケは思い出したようにポンッと柏手を打つ。
「そうそう。ナギにね。贈り物作りを手伝って欲しいの」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます