第8話 日と月の出会い(2)

 薄暗い森を抜けると現れたのは雲海を抜けて空に上がった太陽、広大な草原、そしてその真ん中にぽつんっと建った薄汚れた円柱の屋敷であった。

 塗装の剥げた屋根と煉瓦の壁には濃い緑の苔と蔦がびっしりと張り巡らされ、窓もドアも開かれたまま、蝶番も壊れているのか、垂れ下がっている窓もある。

 朽ちた屋敷をお化け屋敷と呼ぶがまさにそれだとアケは思った。

 金色の黒狼は、ゆっくりとした歩みで屋敷に近づいていく。

 その振動と花の匂いにアケは眠気に誘われる。

 恐ろしい目にあってるはずなのに眠気が来るなんて自分は自分が思っているよりも剛担なのかもしれないな、などと考える。

 その寝惚けのせいだろうか?

 屋敷の前に大きな雪だるまが立っているように見えるのは?

 ずんぐりとした大きな白い体躯、頭の上に乗った剣のような尖った2つの耳、ヒクヒクと動く小さな鼻、そしてつぶらな紅玉のような赤い目。

 それは直立に立った大きな大きな白兎であった。

 アケの顔に驚きが浮かぶ。

 黒狼がゆっくりと白兎に近付く。

 白兎は、大きな右手を左の肩に回して頭を下げる。

「お帰りなさいませ。王」

 それはキーの高い子どもような声だった。

 その声が白兎から発せられたと気づくのに一拍の間が必要だった。

「出迎えご苦労」

 黒狼は、黄金の双眸で白兎を見る。

 白兎も大きいが黒狼はさらに大きいので側から見れば狼が兎を襲っているようにしか見えないだろう。

 白兎が赤いつぶらな目で黒狼の上に乗ったアケを見る、

「先程の騒ぎはこの娘ですか?」

 白兎の表情はまるで変わらない。口と鼻がモゾモゾと動くだけだ。

 しかし、その声色からアケを警戒していることが分かる。

 アケの蛇の目と・・・そして・・・。

「ああっ俺の妻だそうだ」

 黒狼の言葉を聞いても白兎の表情は変わらない。しかし、その全身の毛が電気を帯びたように震える。

 そこから感じるのは・・・怒りだ。

「白蛇の民どもめ・・・どこまでも王を愚弄を」

「言うな。この娘は悪くない」

 黒狼は、背中に乗せたアケをみて黄金の双眸を細める。

「見れば分かるだろう。この娘も運命の被害者だ」

「しかし・・・」

 白兎の手が震える。

「そんなことよりもこの娘を寝かせてやってくれ。長旅で疲れている」

 そう言って黒狼は、優しくアケを地面に下ろした。

「あっ」

 黒狼の身体が離れる瞬間、アケは、思わず黒狼に手を伸ばしかける。

 もう少し匂いと温もりを感じていたかった。

 そう思ってしまった自分に驚く。

「俺の寝室を使わせてやれ」

 そう言い残し、黒狼は、身体の向きを変えて歩いていく。

 アケは、蛇の目で去っていく黒狼を見る。

「こちらへ・・・」

 白兎が屋敷の扉を開ける。

 立て付けの悪い音が耳に触る。

 屋敷の中は外見と同様に散らかり放題、汚れ放題であった。床は軋み、窓は傾き、何年、何十年と住まれていないことが見て取れる。

 2階に上がり、白兎は、部屋の扉の前に立つとゆっくりと開く。

 その扉は音も立てずに開く。

 部屋の中に入るとアーチ型の窓と天蓋付きの大きなベッドがあった。

「ここは・・・」

 蛇の目を動かし部屋の中を確認しながら恐る恐るアケは訊く。

「王の寝室です」

 王の・・・寝室?

 アケの脳裏に大きな黒狼がこの天蓋付きのベッドに寝る姿が浮かぶ・・・が寝るどころかこの屋敷の中に入ることすら無理であろう。

 どう言うことか聞こうとするが白兎はもう扉の外に出ていた。

「どうぞごゆっくりお休み下さい」

 白兎は、頭を垂れてそのまま去っていこうとする。

「あっ・・あの」

 白兎が歩みを止める。

「なにか?」

 赤いつぶらな瞳がアケを見る。

 こんな大きな身体なのにとても可愛らしい。

「あの私は・・・」

「どうぞお休み下さい。お疲れなのでしょう?」

 白兎は、首を傾げる。

「いいんで・・・しょうか?」

「王がそうせよと言われたのですから遠慮することはありません」

「でも・・・私は」

「寝苦しいでしょうからその重たい衣装は脱がれることをお勧めしますよ。では」

 白兎は、再び頭を下げると今度こそ去っていく。

 アケは、ぽつんっと残される。


 一体、何が起きているのだ?


 予想もしないことが幾つも起きてついて行けない。

 急に身体が重くなる。

 目の前が霞む。

 アケは、蕩けそうな頭でベッドへと近寄り、そのまま倒れ込む。

 汚れたシーツから黒狼の花の香りがする。

 アケは、白兎の忠告も守れないままにそのまま眠りについてしまった。


 どこからか声がする。


『それで巨人は封印することが出来たのか?』

 

 この声は・・関白お父様

 そうお父様の声だ。


『はいっ白蛇様のお力により・・・しかし・・・』


 痛みに耐えるように苦しげに話すのは確か軍務大臣と呼ばれる人ではなかったか?


『まさか奴等が我らの包囲を抜けてジャノメ姫と接触するとは・・・』


 少ししゃがれた老婆の声。

 確か大神官と呼ばれる人。


『邪教め。朱のナギがいない隙を付くとは・・・』


 軍務大臣は、テーブルを叩く。


『封印を解いたのは姫。こちらの失態ではない』


 関白・・・お父様か私を睨む。

 私は、牢獄の中で身体を震わせる。


『くだらぬ甘言に惑わされおって。自分が何なのかわかっているのか?』


 お父様の目から感じられるのは怒り、蔑み、呆れ、そして恐れ。

 実の娘に向ける愛情など欠片も感じられなかった。


『白蛇様は、巨人との戦いで深い眠りに疲れました。恐らく我らが生きている時の間に目覚めることはないでしょう。次に奴が目覚めたらこの国は終わりです』


 大神官が自分の身を抱きしめ震える。


『どう致します関白』


 軍務大臣が身を乗り出してお父様を見る。


 お父様は、じっと私を見る。

 愛情の欠片ない目で品定めでもするように私を見る。


『嫁に出そう』

 

 お父様の発した言葉を軍務大臣も、大神官も、私も理解することが出来なかった。

 お父様は、笑みを浮かべる。

 恐れと恐怖に彩られた笑みを。


『眠りにつく前に白蛇様が言われたではないか⁉︎次に何かあったら猫の額の黒狼を頼れ、と。ならその通りにしてしまえばいい』


『しかし・・・』


『あのようなけだものが我らの願いを訊くとは・・・』


『だから嫁に出すのだよ。その後のことなど我らの預かり知ることではない。妻の失態は夫の責任。食うなり殺すなり好きにすればいい。いや、奴ならきっと出来る』


 そういって関白は哄笑する。


 軍務大臣と大神官と顔を引き攣らせながらも賛同の拍手をする。

 そして3人は、そのまま去っていく。


 私は、冷たい鉄格子からお父様に向けて手を伸ばす。

 しかし、その手がお父様を触ることはない。

 今までも・・・

 これからも。


 嫁に出す・・・つまりそれは厄介払い。

 そして死んだって何したって構わない。

 白蛇様から授けられた蛇の目から涙が出る。


 いいかもしれない。


 嫁に行こう。

 そして殺されよう。

 そうすれば終わる。

 この辛い命とさようなら出来る。

 私は、冷たい牢獄の中で泣きながら笑った。

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