第2話 ジャノメ姫(1)

 オモチに火傷した手の治療をしてもらうとアケは、直ぐに朝食の準備に掛かる。

 釜戸かまどの火を起こして昨夜、洗って水に浸しておいた米を炊く。今朝、採ったばかりのウドを灰汁抜きして鰹節の出汁の中に放り込んで味噌を溶かし、畑で抜いてきたばかりの長葱を刻んで入れる。タラの芽とコシアブラは天麩羅にする。採れたてを美味しく食べるにはこれが1番だ。

「アケ様。鶏が卵を産んでいましたがどうしますか?」

 オマチが厨の入口から声を掛けてくる。

「何個?」

「10個です」

「じゃあ3つ・・・4つお願い」

 さあ、また具材が増えた。

 何を作ろう、とアケは喜ぶ主人の顔を考えながらムフフッと笑った。


 柱時計が朝の8時を告げる。

 ツキやオモチにとって時刻とは日が昇り、沈むまでが分かれば特に困るものではない。

 しかし、人の子であるアケはそうではない。

 人は時に縛られ、時で動き、時で必要なモノを得て、時で心身の調子を整えるのだ。

 そう思い彼女の為と購入したはずだが・・・。

(いつの間にか俺が時に縛られているな)

 日当たりの良いリビング、丸太をそのまま半分に切って加工したダイニングテーブルに所狭しと料理が並ぶ。

 炊き立ての白いご飯、ウドの味噌汁、タラの芽とコシアブラの天麩羅、そして触れただけで波を打ちそうなアーモンド形のオムレツ。

「今日は苺もありますよー」

 アケは、畑で摘んだばかりの苺をガラスの小皿に入れてツキとオモチの前に置く。

「ありがとう」

「ありがとうございます」

 ツキとオモチは、小さく頭を下げて礼を言う。

 半年前にアケが来て以来、屋敷では8時、12時、18時に食事が出されるようになる。それも住んでから一度も使ったことのない厨を使っての温かい食事が。そして時間になると腹は鳴り、条件反射のように食卓に座っていた。これが日課と言うものだと気づいた時、ツキはひどく驚いたものだ。

 アケが座ると2人と1匹は両手を合わせて「いただきます」と食事を始める。

 アケは、箸を使い、ツキとオモチは木製のフォークとスプーンを使って食べる。

 最初は、ツキもオモチも食器を使って食べることを酷く訝しんでいたが今ではもう慣れたもので、箸を使えるのも時間の問題だ。

「天麩羅美味しいですね」

 オモチは、フォークにタラの芽の天麩羅を突き刺し、大きな身体から想像できない小さな口を動かして食べる。

「山菜がこんなに美味しくなるなんて知りませんでした」

 表情は変わらない。

 しかし、喜んでくれていることは声色で分かる。

 アケは、「喜んでくれて嬉しいわ」とにっこりと微笑み、ウドの味噌汁を飲む。ウドは柔らかく、長葱も良い感じで甘味を出している。

 ツキもコシアブラの天麩羅を美味しそうに食べ、次にオムレツをフォークで切り分ける。

「これは?」

 オムレツの中から出てきたサイコロ上の肉を突き刺し、目の前に持ってくる。

「この前、狩ってきてくれた鹿のお肉で作ったベーコンよ。やはりお肉もあった方がいいかな、と」

 アケは、恥ずかしそうに両方の人差し指を交差させる。

 ツキを想って作ったのは誰の目から見ても明白だ。

 ツキは、ベーコンを鼻に寄せて匂いを嗅ぎ、口に入れて咀嚼する。

「・・・美味い」

 アケの表情が華やく。

 ツキは、フォークを器用に動かして今度は卵と一緒に口に運ぶ。

「肉ってこんなにも美味くなるものなんだな」

「アケ様が来る前はそのまま食べてましたからね」

 オモチも口のまわりを汚しながらオムレツを食べる。

 ちなみに彼は、草食なのでオムレツの中に入っているのはベーコンではなく納豆だ。

 アケは、2人の美味しそうに食べる様に心からの幸せを感じた。

「今朝採った蕗も灰汁抜きしてるのでお昼に出す予定よ。筍と一緒にお味噌で・・」

 アケは、言葉の途中でポンッと手を叩く。

「主人」

「ツキだ!」

 ツキは、間髪入れずに言う。

 アケは、ぐっと喉を鳴らし、戸惑いながらも言葉を紡ぐ。

「ツ・・・ツキ・・・お願いがあるんだけど・・」

「なんだ?」

「ナギにハトさんを飛ばして欲しいの」

 ツキの眉が小さく反応する。

「何か用があるのか?」

 ツキの問いにアケは頷く。

「お味噌が無くなりそうなので買ってきて欲しいの。後、お豆腐とお塩に胡麻油、重くないなら小麦粉も」

「ほぼほぼ配達ですね」

 オモチは、肩を竦めてコシアブラの天麩羅を齧る。

「小麦粉は、水車小屋で引けるようになったのではなかったか?」

「まだ試作段階なので目が荒いの。天麩羅ならいいんだけどパンを焼くにはあまり向いてない」

「そう言うものなのか?」

 ツキは、腕を組み、ふんっと唸る。

「うんっそれに・・・」

「それに?」

 ツキが聞き返すとなぜかアケは恥ずかしそうに指を弄り出す。

「ツキのいた国ってご飯よりもパンでしょう?」

 ツキは、眉を顰める。

「そう言う訳ではないが・・」

 ツキは、髭も生えていない顎を摩りながら宙を見る。

「確かに食べ慣れてはいる」

「そうでしょう・・・だから・・・」

「だから?」

 アケの言わんとしていることが分からず首を傾げる。

 アケは、頬を赤らめる。

「貴方の好きな物を美味しく作りたいなあって思って」

 アケは、思わず両手で顔を覆う。

 ツキは、思わずフォークを落とす。

「そ・・、そうなのか・・・」

 動揺して震えるツキの言葉にアケは、顔を覆ったまま何度も頷く。

 オモチは、そんな2人の様子を赤い目で見る。

「だからイチャイチャは他でやってくださいな」

「イチャイチャしてない!」

 ツキは、声を上げて否定する。

「しないの⁉︎」

 アケは、今にも泣きそうな声で言う。

 ツキは、狼狽しすぎてしどろもどろしながら左手の平を上に向ける。黄金の円が音も立てずに現れ、内円に複雑な紋様が描き、魔法陣と成していく。

 魔法陣の表面が静かに波打ち、ネックレスチェーンのように細い黒い鎖が無数に現れる。黒い鎖はお互いの体を重ね、結び、型を形成し、優雅な猛々しい翼を携えた1羽の鳥となった。

「ハトさん!」

 アケは、嬉しそうに声を上げる。

「どう見ても鴉だと思いますけど・・」 

 人なら確実にゲンナリとした表情を浮かべた声でオモチは言う。

 ツキは、右の二の腕に止まった鎖の鴉にアケの注文を伝える。

 鎖の鴉は、クワァと鳴く雄々しい翼を羽ばたかせ、宙に浮き上がり、そのまま窓の外に飛び出す。

「半刻もしないうちにあの男のところに着くだろう」

「明日には持ってきてくれるかな?」

「彼も忙しいでしょうからね。どうでしょう?」

「でも、それだとパンが・・・」

 しゅんっと肩を小さくしてしょげるアケ。

 そんなアケの様子をツキは苦笑を浮かべてみる。

 そしてぽんっとその頭の上に手を置く。

「別に焦らなくていい。楽しみにしてるなら」

 そう言って優しく頭を撫でる。

 アケは、一瞬驚いた顔をし、そして頬を赤らめ、嬉しそうに俯いた。

「やっぱりイチャイチャだ」

 オモチは、呆れたように呟き、オムレツの最後の一口を食べた。

 温かな陽光がリビングの中を優しく照らす。

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