第2話「同棲」

「殺人の動機は主に3つ。1つ目は、衝動的に殺す。サスペンスものによくある話。2つ目は、女性が孤立出産によってその子供を手放すパターン。これは俺には不可能。3つ目は恋愛がもつれた結果の殺人。これにもいくつかパターンがあって」

「おじさん、長い」

「いや、申し訳ない」

「で、どうやって殺すの?」

「実は殺人方法はまだ決まってなくてな」

「え、なにそれ」

「やから、こうやって長々と説明してるのは、殺し方やなくて動機」

「え、あー。うん」

「恋愛のもつれから発生する殺人にも幾つかあって。1つ目は、一方的に恋してるもの。いわゆるストーカー的なね。でもこれは成立しにくい」

「なんで」

「俺は今から、どうやって君をストーカーするんよ」

「できなくはないけど」

「面白くはないだろ」

「そだね」

「2つ目は、裏切られたと錯覚したもの」

「どういうこと?」

「これは、元々はお互い好き同士だったものが、何かの偶然をきっかけに、破綻したと思い込むパターン。まあ、1つ目のパターンに非常に近い」

「亜種だね」

「3つ目は、愛するあまりの行動。愛するものをそのままの形で残すために。けた姿を見ないように。若いままの記憶で留めるために」

「キレイなまま殺すんだ」

「そういうことだ。これが一番小説としても書きやすいんじゃないかと思っている」


 この2日間の集大成を惜しげもなく披露する。気持ちいい。卒業研究を思い出す。さあ、質疑応答へと移ろう。それによってさらに、俺の調査がいかに本気だったか伝わるはずだ。

 俺の表向きの感情は確かにこうだった。そして裏向きの顔は俺さえ忘れていた。目の前の、まるで悪魔とも天使ともつかない、しかし妖艶ようえんな彼女を認識するまでは。いつからそうだったのか。あるいは始めからだったのかもしれない。


「そっか。じゃあさ、おじさん。私のこと好きになりなよ。でさ」


 気づいた時には遅かった。彼女の猛禽類の眼は俺を狙いすましている。瞬きすら許されない恐怖。

 そして予感が騒ぐ。あまりに残酷で、甘美な言葉がつむがれる恐怖を。

 だから、この続きは絶対に聞いてはいけない。しかし、俺の本音と建前はしっかりと自己矛盾をしている。本当の気持ちを抑え込もうとしているに過ぎない。だからこそ、五感はとどまることを知らない。1音たりとものがさないようにより鋭敏に。より繊細に。そして、


「私のこと殺しちゃいなよ」


 俺の倫理は、奈落に落ちはじめた。







「おじゃまし、くっさー」

「嫌なら帰ってくれ」

「ん-ん。おじさんの一人暮らしっぽくていいね!」

「なんで嬉しそうなんだよ」


 顔から悪魔が引っ込んだ彼女から出てきたのは「今日から同棲だから」という発言だった。


「おじさん何飲む?」

「めっちゃ勝手に開けるやん」

「いいじゃん、今日からは私のものでもあるんだから」

「まだ決まってなくね。コーヒー」

「缶しかないよ?」

「知っとる」

「まずさ、わたし用の布団が欲しいんだけど」

「あ? 俺その辺で寝るからいいよ」

「無理! てか、その布団汚すぎ。限度があるでしょ」

「限度って」

「あと、掃除するよ?」

「明日仕事なんだが」


 ここ数か月掃除なんてしていない部屋は、今からやってどこまでキレイになるのか。触られたくないものは。パソコンくらい。なら、仕事中にやってもらった方が結果的に楽かもしれん。


「じゃあ、仕事行っとる間にさ?」

「それでもいいけど、最低限、床くらいは何とかするよ?」

「今日?」

「今!」

「ええやん別に、先に買い物を」

「買ってきた物どこに置くの!? 足の踏み場もないんだよ!?」

「そんなことないって。ほれ、そこのタオルの上とか」

「なんでこれで平気なの?」

「家なんて帰って寝るだけやし。布団の上がキレイなら」

「その布団にも、ごみの雪崩なだれが起きてるんですけど」

「邪魔にならんから」

「もー! おじさんは30分くらい散歩でもしてきて!」

「はあ」


「どうだ、キレイになったか?」

「……」

「ん-、あんま変わって」

「おじさん、引っ越さない?」

「はあ?」

「無理だよ無理! こんな部屋キレイになんないよ!」

「お前が掃除するって言うたんやん」

「言ったけどさ。ここまで物が広がってたら何もできないじゃん!」

「しかも何。引っ越すってどういうこっちゃ」

「マンスリーマンションってあるじゃん?」

「あるけど。え、そんなすぐ無理やろ」

「即日入居できるところもあるの。でね、こことかどう?」

「いや、まあ。そんな離れとらんけど」

「じゃ、行くよ!」

「いや待てって」

「さっき電話したから。入居可能だって!」

「そういうことやないやろ。荷物とか。そもそも、この部屋はどうすんのよ」

「しばらくは放置ってことで。早く、行くよ!」




「ねえねえ、新居だよ」

「せやな」

「愛の巣だね」

「あん」

「ねえ、なんで浮かない顔してるの?」

「あっちの部屋どうしよかと思ってな」

「いいじゃん、物置にしとけば。そういえばおじさん、荷物はどうするの?」

「パソコン持ってくるくらいか。あとは、別に。お前はどうなんよ」

「私は何も要らないよ? この鞄一つで生きていける」

「強いな」

「だって、殺されちゃうんだから。たくさん物を買っても仕方ないから」

「あ、ああ」

「でも大丈夫。そのことはすっかり忘れさせてあげるから。おじさんは、私に素直に恋してくれればいいんだよ?」

「よくもまあ、真顔でそんなこと言えるな」

「男なんて、料理作って、ちょっとおっぱい見せてあげればどうせコロッといっちゃうんだから。おじさんも、あんま無理しないでね」

「あ、そのな」

「なに?」

「一緒にいておじさんと呼ばれると、体裁ていさいが」

「あー、さっきの管理人の人? 気にしてんだ?」

「気にするってか。まずいやろ。お前、何歳なんだよ」

「結婚できる年齢ではあるよ」

「16!?」

「結婚できるわけだから、16歳以上ってこと」

「あ、なるほど」

「なになに? ドキッとしちゃった?」

「さすがにな」

「吊り橋効果って知ってる?」

「あれやろ。恐怖によるドキドキを、恋と勘違いするってやつ」

「そういうこと。いい感じだね、おじさん」

「じゃなくて、その呼び方をだな」

「じゃあ、晋吾しんごさん?」

「おお。えっと」

李衣菜りいな

「名前はちょっと。抵抗感が」

「私は名前で呼んでるよ? ほら、おじさんも」

「り、李衣菜」

「あー、おじさん照れてる」

「おい」

「違った。晋吾さん。照れてる」

「うっ」

「晋吾さんからお願いしてきた話だよ? じゃあ私のことも李衣菜って呼んでよ?」

「う」

「ねえねえ、晋吾さん」

「なんよ」

「これね、さっきの学生証。よく見て。何か気づかない?」

「は? 気づくって、なんだよ」

「もし、李衣菜は偽名で、この学生証も偽造で。おじさんは私のことなーんにも知らないんだとしたら。どうする?」

「え」

「学生証ってね、簡単に偽造できるんだ。別に中のICチップを確認するわけでもなし。ただ、表面の字面を知るだけのカード。偽造しててもばれないんだよ」

「いやそんなもん、犯罪」

「おじさんは、大学生と言い張る女性と恋に落ちた。本名も知らない。大学の学生証も見せてもらった。これで疑うほうがおかしい。だから、ふとしたきっかけで体を求めても、ただの恋。違う?」

「お、おい。やめ」

「ぷっ。くふふふふふ」

「おい」

「だーっははははは。だめだよおじさん。こんなのに騙されてちゃ。はい、財布」

「おい、いつの間に!」

「女ってね、こうやって簡単に男をだませるの。だからおじさんのことも一撃で落としちゃうから。覚悟しといてね。っていうかそうだ。おじさんって恋したことある? ちゃんと青春してた?」

「ひ、人並みに」

「じゃあ、恋する感覚は分かるんだよね」

「なんだそれ」

「さっ、ご飯にしよ。何が食べたい?」

「何と言われても。時間も時間やから。コンビニでいいだろ」

「えー、だめだよ。バランス悪いよ?」

「バランスよくコンビニ飯食えばよくね?」

「お金かかっちゃうでしょー。でも、今日は時間ないし仕方ないよね」

「なんで無理やり感出してんねん」

「未来の妻候補ですから」

「結婚までするんか」

「それは未来の私たち次第だね」




「じゃ、先にシャワー浴びてくんね」

「おう」

「覗かないでよー」

「気が向いたらな」

「待ってるからねっ」

「早くいけ」


 さすがに緊張する。普通に返事をしとるつもりやったが、できてた自信はない。ドアを開ければ裸の女がシャワーを浴びてる。想像しない方に無理がある。飯はまだ普通にこなした。喋っとる間に一々妄想してる暇はなかった。

 でも、一人になると途端に煩悩が働きやがる。そもそもなんや。あの「待ってる」は本気か? 未来の妻を自称する奴の言葉やろ。いや、そこも含めて冗談か。なら、同棲自体も本気でせんくないか? なんや。どこまでが本気なんや。

 一回吸うか。落ち着こう。どうせ最後はあいつを殺す。部屋を引き払う時のことなんて気にしてられん。てかどうせ人が死ねば汚れるやろ。煙草どころじゃねえか。いや。違う。そうじゃない。ほんとに殺すのか。いや、あかん。あかん。考えるな。考え出すと意外と止まらんようになる。だから、やめろ。


「うわっ。マジで覗きに来たじゃん」

「いや、ちょっと。な」

「え、なんでそんなしょんぼりしてんの。逆にうざいんですけど」


 女の裸さえ見れば全部吹っ飛ぶと思ったが。正解やったかもしれん。良い事も悪い事も全部なくなった。こいつには申し訳ないが。いやそもそも俺、引っ越しさせられてんだが。裸見るくらいええか。


「あー、濡れちまったし。俺も入るわ」

「狭くね」

「何とかなるだろ。早よ風呂入れって」

「お湯ためてないんだけど」

「あー」

「流してあげよっか、背中」

「背中だけか?」

「お望みなら前も洗ってあげるけど。おじさん意外と大胆だね」

「ほんまにな。俺もびっくりしてるわ。やっぱやめる。後で入るわ」

「はーい」


 やっぱ吸うか。灰皿は。あるわけないか。代わりは。あー。コーヒー。飲まんなんなー。まーええか。もう飲まんで。いや、一口だけ。

 ふぅー。冷静になるのが怖い。またあの恐怖が来る。これは、まずい。夜寝れるか? 明日仕事やで。だいぶえぐいことなったな。


「もーいいよー。早く入んなよ」

「おー。オーケー」

「ドライヤー無いのやばいね」

「男なんて普通使わんだろ」

「そんなことないでしょ。さすがに」

「買ってくるか?」

「コンビニにないよ?」

「あー。明日やな」

「おじさんの仕事中に買ってくるから。他に何か欲しいものある?」

「出かける前にメモでも置いとく」

「いや、おじさん。ラインでいいでしょ。はい、これ。私の」

「あー、おう」

「お昼には買物に行くから、それまでにラインしてね」

「分かった」

「じゃ、早く入ってきて。じゃないと寝れないでしょ」

「せやな」


 また一人の時間がやってきた。こう、風呂っていうのはどうして孤独なのか。怖い。まずい。明日からは一緒に入るか。なるべく一人の時間を減らさねえと。心が歪む。

 目を瞑ることも怖い。あー、もうなんでもいい。適当に洗って出るぞ。早く。早く。


「え、おじさん早くない? ちゃんと洗った?」

「最低限」

「なに、最低限って。どこ洗ったら最低限になるの」

「頭と脇と。足かな」

きたな」

「なんでもいいだろ。寝るか」

「まだ早くない?」

「お前が寝れないから早く入れって言うたんやろ」

「お前じゃなくて、李衣菜」

「どっちでもいいだろ。朝早えから寝るぞ」

「えー、勝手に寝ててよ」

「電気は消すぞ?」

「無理」

「お前、わがままが――」

「李衣菜」

「んんっ。李衣菜。お前、我がままが過ぎるやろ。恋させる話はどうなってん」

「私だって24時間そんなことできないし。私の時間も大事だから」

「横暴かよ」

「はいはい、寝たいんでしょ。寝てて。はい、お休みー」


 仕方なく電気がついたままの部屋でベッドに入る。この明るさではしばらく寝れんやろうが。テレビ見てんのか。まあ、寝るまでの間に何かしらの音があった方が落ち着くかもしれんな。今の状況なら。ん?


「あれ、おじさん寝れない? トイレ? テレビは嫌?」

「そうやなくて。俺がベッドで寝たら李衣菜どこで寝るねん」

「でもベッドしか寝るとこないよ?」

「床しかねえな」

「ダメだって。一緒にベッドで寝るよ」

「いや、それがまずいって話を」

「お風呂覗いたくせに」

「あれは、覗きたかったんやなくて」

「おじさん会社が怖くてエッチできないから、一緒に寝ても大丈夫。寝不足は嫌でしょ」

「そんなことは」

「お風呂覗いたくせに体も触ってこない根性ナシなら大丈夫」

「それ、馬鹿にしてるよな」

「エッチは週末だけね。その辺、私わきまえてるから。だから早くベッドで寝て」

「いや、わきまえるったって」

「もー、うるさいおじさん。何? じゃあ逆にどうしたらいいの?」

「いや、それは」

「あーはいはい。私も寝ればいいんでしょ。はい、もうちょっと寄って」

「お前」

「李衣菜ね。覚えてよ?」

「いやそうじゃなくて」

「もー。なんかさっきから、ずっと否定ばっかりだよ?」

「いや」

「何? おやすみのチューがしたいの?」

「それは」

「それは?」

「してもいいな」

「マジ?」

「なんだよ、お前が言ってきたんだろ?」

「李衣菜」

「李衣菜が言ってきたんだろ?」

「そうだけど。じゃあ、おじさんからしてよ。チュー」

「うぐっ」

「おやすみー」


 くっそ。どうしてこんな緊張せんならんのや。口か? 口はまずいだろ。いくらなんでも。じゃあほっぺか。なんで同じシャンプーを使ってんのにこんな良い匂いがするんだよ。

 ほっぺなら。文句も言われんし、キスした事実には変わりない。で、どうしたらいいのか。えっと、かぶさるのか? それじゃ、口にするみたいか。横になったままでいいか。


「ねえおじさん。臭すぎ」

「は?」

「ちょっとマジで。ちゃんと洗って。髪。もっと。あと口。タバコ? 臭すぎ。ってか同じシャンプー使ってんのになんでこんな臭いの? 明日めっちゃいいの買ってくるから。マジで」

「ええ」

「あと、ほっぺは無しって言おうと思ったけど。一生寝れなそうだから。今日だけいいよ。ほっぺで。明日から唇ね」

「やば」

「はい、早くする」


 どこの世界に急かされてほっぺにキスする男がいるのか。悪態つかれながら。こんなんでほんとに恋させる気があんのか。

 でも。こいつと喋る間は、あのわだかまりはいてこない。いや、もとはといえばこいつのせいで殺すだとかどうとか考えさせられてるわけで。そもそもなんで俺はそんな真剣に殺すつもりなんだ。何故だ。俺はどこから本気で殺さなきゃならんと思い込んでたんだ。

 思い込んでた。それとも思い込まされてた? こいつの言葉にいったいどんな力があるのか。洗脳に近いのか? コントロールされてる? こうして一緒にベッドで寝るのもコントロールされてるせいなのか? でも、出る気が起きない。いや、出れないのか?

 安心感と、そこに同居する拘束感。俺は自由意志でここにいるわけじゃないのか? そうだ。なぜ引っ越しまでさせられてるのか。こいつは何が望みなんだ。俺に何をさせるつもりなんだ。

 まだしばらく寝ないんだろう。スマホの白い明りが届く。無機質で色のない明りが俺の先行きを暗示するかのように。

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