[9-7]天狼通信、隠された記憶


 僕は銀君から、真白さんとは大崩壊ではぐれたとしか聞いていない。銀君があの日どこにいて、何をしていたかまでは聞かずじまいだった。

 はぐれたって言い方には「一緒にいたけど離れ離れになった」ってニュアンスが含まれている。銀君と真白さんはあの大崩壊のとき一緒にいた、ってこと?


「銀しゃん、あの日のことはよく覚えてないてってましたにゃん」

「そうなんだ。真白さんは、何か覚えてますか?」

「……私が目覚めたのは、大崩壊の日から一週間ほど経ってからなのです。お城はすっかり崩れて、私はその瓦礫がれきに埋もれていました」


 想像以上に過酷な状況を聞けば、砂漠で砂中に引き込まれた恐怖感を思い出す。真白さんは冷静に対処できたのかな。

 各自思いに沈むような沈黙が、闇色をはらんで落ちた。耳朶じだをかすめてゆく夜風はますます涼気を帯び、欠けていてもなお明るい月が頭上高くに輝いている。


 僕に会うまで、銀君は真白さんが無事だと確信できてはいなかった。銀君が真白さんを助けたのだとしたら、そんな不安に思うことがあるだろうか。話を聞くに、一緒に埋もれていたのでもなさそうだし、あの銀君が真白さんを見つけないまま場を去るとも思えない。

 あの日、何があったんだろう。真白さんはどうして謝りたいと思っているんだろう。銀君はなぜ、助けたお姉さんを見失うようなことに――、


「りれしゃんなら、知てますにゃん。こーにゃんが聞けば、白状するかもですにゃ」

「リレイさんが? そうなの?」

「より正確せーかくうとぼくも、ちょっとだけ知てますにゃ。でも、銀しゃんを治療したのはりれしゃんなのですにゃん」

「治療……そうなの!?」


 待って、驚いてbotになってしまったけど、僕はその話も初耳だ。銀君はリレイさんが自分を避けてるって言ってたよね。一体、どういうことなの?

 僕と真白さんに注目されてもイーシィは動揺する様子を見せない。そういえばこの子、龍都でいろんな人の話を聞いたり、物語を語り聞かせたりしていたんだっけ。ちゃんとプライバシーを守れて、偉い……!


「銀しゃん、意識不明の重体で龍都に運び込まれたのですにゃ。まだぼくがお城にいた頃だから、たぶんしろしゃんが眠てるときですにゃん。りれしゃんはたまたま龍都にいたのですけど、人手不足で駆り出されてましたのにゃ」


 思わぬ真相判明に絶句していると、同じように言葉を失っていた真白さんの震えるような声が聞こえた。


「やっぱり、そうなのですね。なのに私、何も知らず眠りこけてて……。本当なら、私が銀ちゃを助けなきゃいけなかったのです。私に、姉を名乗る資格なんてないのです」


 そんなことない、と言いたかったけど、事情に通じていない僕がそんな軽はずみなことを言っていいはずがなかった。

 代わりに、パーカーの襟に留めてあった通信羽を取り外して、姿勢を正す。大切な友人とご家族がつらい思いをしている緊急事態に、これを使わなくていつ使う、ってことだ。

 リレイさんが言った通り、ピンから外した通信羽は大振りの羽根ペンへと形を変えた。これ、もう通信できる状態なのかな?


「あの……もしもし、リレイさん?」


 声を掛けて、しばし待つ。流れゆく沈黙が夜の静けさを際立たせ、今が電話するには非常識な時間だと思い出させてくれたけど、後の祭りだ。

 どきどきしながら待つこと数十秒。不意に羽根ペンが青く光る。


『何? 緊急事態?』


 もうすっかり耳に馴染んだ甘い声質に緊張が解けて、思わず大きく息をついた。声の感じ、怒ってはいないように思う。


「はい。ちょっと時間いいですか? 駄目なら、改めますが」

『別にいいよ。ただ……場所を移すから、一分待ってて』


 初対面のときに比べて僕は図太くなったし、リレイさんは優しくなった。ご一緒した時間は少しでも、対人の関係性は変化してゆくものなのだと思う。

 真白さんの過去はつらいものだったかもしれないけど、そんなことばかりじゃないと信じるからこそ、真白さんは今も誰かを助けるため各地を飛び回っているんじゃないかな。


 だから、銀君とのことも――もしこうしていれば、を考えてしまうのはわかるし、未来のため必要な自省もあるかもしれないけど、今は二人とも無事で、元気なのだから、これからの関係を大事に考えてもいいと思うんだ。

 頭の中であれこれぐるぐる考えつつも言葉にできず、リレイさんを待つ。ややあって、もう一度羽根ペンが青く光った。


『場所を移して、音遮断の結界も張ったよ。で、何?』

 

 リレイさん、彼女さんと一緒だったのかな。すみません、ありがとうございます。


「こんな時間にすみません。実は今、真白さんとお話ししてまして……。しぃにゃんから、銀君を治療したのがリレイさんだって聞いたので」


 あー、と声を漏らして、通信羽が沈黙する。もっと話の流れを説明するべきかな、と考えていると、再び羽根が光った。


真白シロは? 聞くのがつらいなら、やめておくけど』

「私は……」


 迷いと不安をにじませながらも、真白さんの表情は最初よりもずっと強い。曇りガラスのようだった瞳が月の光を受けて、キラキラと輝いて見えるからかも。


「私も、知りたいです。じゃないと、いつまでも銀ちゃに会う覚悟ができないので」

『そっか、それなら話そうか。きつい経験してる君らにはきつい話になると思うけど、……皆、今は元気だから大丈夫だよね』


 独り言のように前置きをしてから一息つき、リレイさんは淡々した口調で続けた。


『僕が銀郎ぎんろ君を治療したのは本当だよ。彼、意識不明の重体で龍都の城に運び込まれてね。彼を見つけて運んでくれたのは通りすがりの旅人だったんだけど、その人たちの応急処置が的確だったから、ギリ命を取り留めたようなものだった』


 目をみはった真白さんの表情が痛々しい。銀君の身の上にそんなことが起きていたなんて。いつも僕を支えてくれたあの明るい笑顔がうしなわれていた可能性を思い――胸が苦しくなる。

 そうだったんだ……銀君も、誰かに助けられていたんだね。


『僕が知っているのは、その人たちと銀郎ぎんろ君を通して聞いたことだけだから、正確なところはわからない。その獣人君たちは呪い竜の姿を目にして向かい、退治して、そこで銀郎ぎんろ君を見つけたらしい。龍都の城で奇跡的に意識を回復したものの、銀郎ぎんろ君はすっかり絶望しててね。姉を助けられなかった……って繰り返しながら、ずっと泣きじゃくっていたよ。泣きすぎて、死んでしまうんじゃないかと心配になるくらいにさ』


 あの日、各地にいた呪い竜は、神様うんえいが住人を滅ぼすために送り込んだものだった。

 人里離れた場所にあった真白さんのお城にも、呪い竜は現れたのだろう。そして銀君は呪い竜がお城を壊すのを阻止しようとしたか、崩れるお城から真白さんを連れ出そうとしたのだろう。

 近接戦はそれほど得意じゃない、と言っていた。魔法も苦手で、体格も華奢きゃしゃなほう。銃士ガンナーの彼が、誰かを抱えてあるいは背負って狙撃するのは難しい。絶対に一人で立ち向かえる状況ではなかったはずなのに、銀君は真白さんをあきらめなかった。わかる、彼は、そういう人だ。


『正直、僕も、真白シロはもう駄目かも、って思ってた。龍都はたまたま神々に対抗し得る神竜の王がいたから、滅びをまぬがれたようなもの。そうでなかった国々は一つの例外もなく瓦解がかいした。気休めの嘘で慰めてあげることもできないくらい、世界全部が絶望的だった。だから、僕は王様……浅葱様に協力してもらって、崩壊の前後の記憶を少ぅし、忘れさせたんだよ』


 わからないことが希望になる――、柔らかな声がそうささやく。災害時、遺体が見つからないうちなら家族の無事を祈れるように、リレイさんと王様は、銀君が真白さんの元へ辿り着いた記憶を、ないことにした。大きな異変を察して眠りから覚め、みずから逃れたかもしれない、と信じられるように。

 結果的にそれは最善手だったと思う。真白さんは生き延びていて、その噂を聞いた銀君は希望を持つことができた。僕が銀君に出会えたのも、そのお陰で……。


「あれ? リレイさんは真白さんが目覚めたときに会ってるんですよね。だったら、銀君の記憶を戻しても良かったのでは」


 ふと浮かんだ疑問に沈黙が返る。やがて、小さなため息と共に声が聞こえた。


『それは、僕も思った。でも、記憶をいじる魔法を短いスパンで重ねるのは心配だったし、当時の銀郎ぎんろ君はほぼ寝たきり、回復してまともに動けるようになるかも予断できなくてね。そんな彼を真白シロが見たら、ショックを受けると思ったんだよ……。幸い龍都は城も施設も無事で僕以外にも医者がいるから、ゆっくり養生しつつリハビリもできる。折りを見て話そうと思ってたんだけど、今度は真白シロが会いたくないとか言い出すからさ』

「会いたくないじゃなくて、会う資格がないって言ったのですっ。それに私を見たら、それが引き金でぜんぶ思い出しちゃうかも……」

「あ、わかります。会わない期間が長くなると、悪い想像が膨らんじゃいますよね」


 思わず口を挟んでしまったけど、真白さんはこくこくと頷いてくれた。通信羽が光り、呆れたようなため息が聞こえる。


『君ら、もっと自信持ちなよ……まぁいいや。僕はともかく、浅葱様はそっち系のエキスパートだからね、そんな簡単に記憶が戻ったりはしないさ。もちろん本人が思い出したいっていうなら、浅葱様に交渉すればいい。心配する気持ちもわかるけど――』


 思えば、僕もそうだしリレイさんも、この世界での死を経験したおばけだった。僕自身はあまり痛いとか辛いとかは覚えていないので、参考になることも言えないけど、リレイさんはきっと思うところがあるのだろう。


『お互い元気で、会いたい気持ちがあるなら、会いに行きなよ。どうせ顔を見れば不安なんて吹き飛ぶんだからさ』


 真白さんはうつむいていて、その表情は見えない。でも、か細く震える声が「はい」と答えたのを、僕とイーシィはしっかり聞きとったのだった。

 



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