[9-4]砂漠の星海、人形の心
砂漠気候とは降雨量が少なく、空気も乾燥しきって植物がほとんど生育できない気候のことだ。空気中に水分がないと保温効果もなくなり極端な温度差が生じるらしい。
僕は生まれも育ちも日本人なので体感したことはないのだけど、今のケイオスワールドは乾燥気候、それも砂漠気候に近いのだと思う。
ここに来る時クォームから授けられた加護の呪いのお陰で、暑さ寒さへの耐性が高くなった――と思っていたけど、もしかしたら僕自身が恒温動物ではなくなり温度変化の影響を受けなくなっただけかもしれない。
一応、竜属性持ちの人外らしいので……やっぱり変温動物になるのかな?
「こーにゃん、ぼーっとしてると落っこちますにゃん?」
「そですよ。ここ、座ってください」
「うん、はい、……こ、こわい」
狼に乗った経験は数知れず、だけど、大きないきものの背中に立つのは初めての体験で、微妙なでこぼこに足を取られうまく歩けない。結局、イーシィのクジラにつかまらせてもらって何とか目的の位置まで辿り着いた。
星クジラの体表はしっとり湿っていて、ほんのり温かい。そのまま座ると服が濡れてしまうらしく、前脚がある位置くらいの背中に防水シートと布が敷かれていた。毛皮と違って掴めるものがないので、腹ばいになったセティさんが座った僕とイーシィを自分の身体で囲むように支えてくれる。
何から何まですみません、ありがとうございます……。
「すごいですにゃ!
「しぃにゃん、セティさんに爪立てちゃだめだよ?」
興奮して身を乗り出すイーシィを押さえつつも、気持ちはよくわかる。三角屋根より高い位置、地下洞窟の天井だってすぐ目の前だ。
ここからだと、琥珀さんとチャロさんが作りあげた地下庭園の美しさがよくわかる。チャロさんは空も飛べるから、上空から見ても綺麗なレイアウトにこだわったのかな。
真白さんは夜の砂漠へ行くって言ったけど、地下空間の通路は変身した琥珀さんより狭かった。この大きな星クジラでどうやって通るのだろう。
「ちゃんと座れたですか? セティにしっかりつかまっててくださいね? では、出発進行ゴーゴーですっ」
可愛らしい掛け声をかける真白さんは、はるか前方……口の上辺りにすっくと仁王立ちしていた。背中には半透明の白翼が展開していたけど、あの翼で空は飛べないって話だったから、平衡感覚がすごくいいのかもしれない。
なんて呑気に
悲鳴も上げられず固まる僕の眼前に壁はどんどん迫りきて、ついに衝突……とはならなかった。次の瞬間、何の衝撃も抵抗もなく視界が変化し、暗くなる。
例えていうならこれは、電車に乗っててトンネルに差し掛かった時の暗転感かも……?
「うにゃーん! ジェッコトースターですにゃん!」
イーシィは興奮してセティさんにぽすぽすとクジラぬいを叩きつけている。何それ、パンが焼けちゃいそうだよ。クールに前方を見ているセティさんだけど、とても迷惑そうに目を細めているから、クジラを振り回すのはやめようね!?
いろいろ聞きたいし突っ込みたいし止めたかったけど、高速回転する思考とは裏腹に手も足もまったく動かせなかった。暗闇の中、結構なスピードで移動している感覚だけがあって、下手に動くと振り落とされそうな気がするからかも。
体感では結構長かったように思うけど、実際はどうだったんだろう。不意に視界が切り替わり、世界が開けた。
全身に感じていた上昇の圧が一気に消えて、
「うわぁ、すごい……!」
ぱっと見では、どこからが空でどこまでが地上かわからない。イーシィのアドバイスを思い出して深呼吸をし、セティさんの毛皮を握り直してから、改めて頭上を――銀光に煙るような真夜中色の夜空を見あげた。
祖父母宅のある田舎は人家が少なく人工的な明かりがなかったので、夜中には、黒々と横たわる山陵に縁取られた満天の星を眺めることができた。
都会の青みがかった明るい夜とは違う、息を呑むほどの漆黒。僕は怖がりだったので、真っ暗な田舎の夜に外で星観察をする勇気はなかったけど、お父さんと一緒に流星さがしをしたことはある。山間の空は狭くて暗いのだと、子供心に思ったものだった。
ケイオスワールドの夜は、田舎の黒い空とも都会の明るい空とも違っていた。真っ暗闇ではないけれど、呑み込まれそうに深い紺藍がどこまでも続いている。
太めの欠けた月は日本のと同じ形状ながらも、より大きく白く輝いている気がする。天の川まで見えそうな星空は田舎を
日中に光を照り返しギラギラ輝いていた白い
人工の明かりがまったくないのに世界が明るく見えるのは、地表が白いからかもしれない。田舎で雪が降ったときの不思議な明るさ、あの雰囲気にも似ている気がする。
僕が砂漠の夜景に見入っている横でイーシィはいつの間にか静かになっていて、クジラを振り回すんじゃなく抱きしめながら食い入るように地上を見ていた。
ふたり無言でしばらくそうしていたら、クジラの背上を駆けるようにして真白さんが前方からやってきた。すごい、身軽……!
「寒くないですか? ただいまの気温は、だいたい15℃くらいです」
「ぼくは
「僕も、大丈夫です」
言われてみれば、頬に当たる夜風はひんやりしている。たぶんフカフカの毛皮に包まれてセティさんとイーシィの体温を感じているから、寒さを感じないんだと思う。
風圧もないし、リレイさんの時のように風魔力のシールドが張られているのかな。
「良かったです。私、暑いとか寒いとか全っ然わからないので……」
真白さんはそう言ってふんわり微笑み、セティさんの頭の横にストンと収まった。鼻先を上げて気遣うセティさんの頭を撫でながらも、その視線はどこか遠くに向けられている。
どこから、何から切り出したらいいだろう。さっきの反応からすると真白さんは「銀君と会う」ってことに気まずさを抱えているみたいだ。それにはもしかしたら、リレイさんの話していた罪悪感が関係しているかもしれなくて。
もういっそ「改めて自己紹介します」って無難に切り出すべき?
「しろしゃんは、銀しゃんに会いにいかないのですにゃん?」
――っえぇぇ! しぃにゃん!?
いろいろ考えていたのに、イーシィがさらっと単刀直入に切り出してしまった! 内心であわあわしながらも、僕にはもう見守ることしかできない。
一瞬肩を震わせた真白さんは、こちらを振り向くことはせず、視線だけをうつむけたようだった。
「だって、私には、資格がないですもん」
こぼれ落ちた呟きは予想外――ではない。罪悪感、償いの献身、その延長上に自身の幸福や
今の真白さんに「そんなことない」と言うのは簡単だ。でもその言葉が心に届くかは別のこと。
どう答えようかと考えて、思い出したのはお父さんからのメールだった。相手の背景を知り理解を深めることで、相手を尊重できる。もし失敗したとしても、きっとイーシィがフォローしてくれるだろうから。
緊張で冷たくなっていく指先をセティさんの毛皮に突っ込み、息を吸って吐いてから、僕は思いきって尋ねてみる。
「僕からすれば、真白さんはすごく頑張っているように見えるんですけど……どうしてそう思うのか、お尋ねしてもいいですか?」
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