[9-3]未知なる体験、想い出の色
いつだったかSNSで、イルカの手触りについて話題になったことがあった。実際に触った人からはゴムっぽいという意見が多かったんだけど、「濡れたナス」って表現している方もいて、当時は「ナス!?」って思いながらそのイメージに思いを馳せたものだった。
本来のクジラもイルカと同じく海に暮らす哺乳類、写真のイメージだとゴツゴツザラザラしてそうだけど、経験者によれば手触りはイルカとあまり変わらないという。
僕はイルカタッチしたこともないので、どちらにしても未知の体験……なのだけど。
「この外階段から屋根に登れるのです。そこから
「が、頑張ります」
もう一つの未知の体験を前に尻込みしそうな心を
琥珀さんの家は
「狼に乗れるなら、セティが運んでくれるそうですけど」
「本当ですか!? 狼なら、乗れます! 銀君と練習したので空を飛んでも大丈夫です!」
空を飛んだ経験ならリレイさんとのほうがそれらしかったけど、風魔法で補助してもらったのでノーカウントだよね。
あっ、そうだ! 先にスマートフォンを落とさないよう対策しないと!
「銀ちゃ、飛べるようになったです?」
「……え? はい」
パーカーの紐を引き抜けばストラップ代わりにできるんじゃないか、と紐留めを
真白さんの変化に勝手にドキドキしていたら、ふわっと風が動いた、気がした。いや、気のせいではなく、真白さんの背中に半透明の白翼が顕現している。もしかしてこの翼、彼女の心模様に対応してる? なんか僕に生えた翼とも似てるような……考えすぎかな。
「そか、良かったです……銀ちゃ、ちゃんと魔法を使いこなせるよになったのですね。ひとりで飛ぶこともできなかったのに、そか、きっとすごく頑張ったんですね」
胸元で祈るように指を組み、独り言のように囁きながら微笑む真白さんは、とても嬉しそうだった。
銀君、以前は飛べなかっただなんて……全然わからなかった。でも、実は裏でものすごい修練を積んできたって聞かされても、彼ならそうだよねって納得できる。
「銀君、真白さんを捜してるって言ってました。今は龍都で、しぃにゃんの代わりに古書店の留守番を引き受けてくれてるんです。龍都にいけば、すぐ会えると思います!」
きっと喜んでもらえるだろうと思ったのに、顔を上げた真白さんは目を瞬かせてから、そっと視線をそらした。あれ、まさか僕また余計なことを口走ってしまった……?
言い繕おうにも何も思いつかず、助けを求めてイーシィを見たところで、不意に背中をドンと押されてよろめく。混乱する隙もなく身体が浮いて、次の瞬間には白く滑らかな毛皮の上に乗せられていた。何これ、今どうやって……?
「セティ、乱暴なことしちゃ駄目ですよっ!」
「グゥ」
そう、毛皮の主は白狼のセティさん。背中に乗せた僕を
僕が落ちないかいつも気にかけてくれてた銀君やリレイさんとは全然違う、クールで野生味のある狼さんだ。正直怖くて周りを見ている余裕もない。
イヌ科って猫と比べて高所が苦手だと聞くけど、白狼はそんなことは感じさせないほど軽やかに屋根を走り抜け、あっという間に星クジラの背中へ到着した。動きが止まった途端、全身の血が逆流して汗が吹き出し、心臓がバクバク鳴りだす――という錯覚を覚えるほど刺激的な体験だった。
こ、怖かった……! 銀君やリレイさんがどれだけ背中の僕に気を遣ってくれていたか痛感した。涼しい顔をしているセティさんにとっては、これくらい軽い運動のようなものなんだろうけど……。
「こーにゃん、大丈夫ですかにゃ!?」
「そんな意地悪するならセティにはもう頼みませんっ! 恒夜さんごめんなさい、怖かったですよね」
止まったあともしばらく動けず、白狼の首にすがりついたまま放心していたら、目の前に銀色のいきものが躍り出た。わっ、え、大きなモフモフ……なに!?
びっくりした拍子に腕から力が抜け、視界が回って手が滑り、背中に軽い衝撃が響く。闇が
「クァ?」
不思議な声がして仰向けの視界へ巨大な
巨大だと思ったけど、ボス部屋で会った琥珀さんよりもずっと小型の銀色ドラゴンが、真上から僕を見下ろしている。その背中には真白さんとイーシィ……もしかしてこの子も真白さんの使い魔なの?
「クゥオルもお口を閉じなさいっ。立て続けにびっくりさせちゃってごめんなさいです……このこはフレンドリードラゴンなので怖くないですよ」
「だ、だ、だ、大丈夫、です」
いかにも大丈夫ではなさそうな僕の返答を聞いて、真白さんは戸惑うように眉を寄せた。
僕も言葉がまったく出てこず、どうしようと思いながら口をパクパクさせていたら、銀竜さんの上から飛び降りたイーシィがクジラを引きずりながら側に来てくれた。
その足元は、地面ではなく星クジラ。
わぁ……今、僕もしかして、星クジラの上に座っているの!?
「こーにゃん、まずは深呼吸ですにゃん」
「は、はい! 深呼吸、すー、はー、すー、はー……」
コントみたいなやり取りをして、息を吸って吐きしているうちに落ち着いてきた。内臓機能が止まっている今、吸った息がどこに入るのかは気になるけど、気にしたら負けだ。
心の余裕をとりもどした途端、好奇心が一気に湧き上がる。無意識に固く握りしめていたスマートフォンを胸ポケットにしまって両手を空けてから、意を決してそろそろと下を――星クジラの背中を触ってみた。
濡れた、ナス……? なるほどそうかも。ひんやりを想像していたけど、意外とぬくい。弾力はあるけど、思っていたよりやわらかい気がする。表面はしっとりしていて、撫でるとキュ、って音がしそう。
「恒夜さん、じかに座ったままだとお尻が濡れちゃうですよ」
「え、わー!?」
指摘されて気づいた当然の事実に慌てて、急いで立ち上がったら目眩を生じ、よろけたところで背中を何かに押された。滑らかなモフモフ……セティさんが、後ろから支えてくれたらしい。
ありがとうございます、と言おうとして振り返ったら、呆れたような視線が飛んできて恐縮する。足腰の弱い人の子ですみません……。
「もっと前のほうが広くて平らで安定かもです。大丈夫ですか? 手、つなぎますか?」
「いえ! 大丈夫っ、です!」
気遣いは嬉しいけど丁重にお断りして、よろよろしながら星クジラの背中を歩いてみる。
真白さんと手をつなぐとか、
「それなら良いのですけど……。座れる部位もあるので、落ち着いたら出発しましょう」
「はい、ありがとうござい――、うん? 出発?」
どこへ、の意を含んだおうむ返しは正しく伝わったようだ。真白さんはふんわり微笑んで、びっくりするようなことを口にした。
「もちろん、夜の砂漠にですよぅ。夜の時間は少し寒くて風も吹きますけど、昼に眺めるのとは違う世界を感じられると思うのです」
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