[8-4]フィールド変換、戦いのゆくえ
この狭い地下通路のどこに、これほどの空間があったんだろう。
何も知らずに横を通っただけなら、ただの岩の塊だと思ったに違いない。距離が近すぎて全容をとらえられないほど、
ゴツゴツとした体表も砂漠の砂に似た体色も、浅葱様や黄昏竜に比べれば地味で、カモフラージュするのには最適な姿だと思う。大きく見開かれた金色の目は燃えるように輝いて僕を見ている。加護も関係なく一踏みで潰されそうで、怖すぎる。
どうすればいい? 煽り立てるように激しく点滅を繰り返す壁のネオンカラーが煩い。思考がまとまらず、頭が痛くなってきた。足元が激しく揺れて、左右の壁がゆっくりと広がってゆく。――え? この通路、変形してるの!?
地響きのような稼働音に猛獣の
「うわっ!?」
上方から岩の雨!
虎さんのお陰で岩は一つもヒットしなかったけど、切札と同じ仕様なら耐久力数値が決まっていたはずだ。防戦一方ではいずれ守りを
ここで稲妻を使うべき? 迷う間にも二度目の岩が降り注ぎ、火炎の防衛範囲が一気に狭まって全身の血が引いた。
「待って、待ってください! 僕は戦うつもりでは――わぁ!?」
足か尻尾かここからでは見分けがつかないけど、琥珀竜が床を叩きつけた衝撃に足を取られる。
いつの間にか周りは通路じゃなくなっていた。謎の回路は床にまで広がり、壁が消えて幾何学模様のホログラムに取り囲まれている。
琥珀竜は、話がしたいと言った。僕も、戦うつもりなんてなかった。
なのに話し合う余地すらなくバトルへ突入し、気づけばフィールドすらも変えられている。まるで、お膳立てされたかのように。
戦わせたいと望んでいるのは、だれ?
胸の奥に湧いたのは怒りに似た感情だ。琥珀竜がぐんっと頭を振りかぶり、大きく
「ごめんなさい――少し時間をください!」
対象は『琥珀竜』、威力は『最大』、どうか僕の思惑が上手くいきますように。
祈る思いで決定を選択した瞬間、スマートフォンから文字通り黒い稲妻が
ガツガツッ、と
僕は、僕にしかできない戦いを!
必死になっていると恐怖を感じている暇もない。エディターボードを開き、ざっと確認して
いつもなら文字化けテキストを全削除し新たに物語を書き込むことで、壊れた施設を修復できる。でも現在稼働中の施設は編集できない。ここにまつわる『物語』を何も知らず、適当なことを書き込むわけにはいかないからだ。
さがしているのは戦闘画面に移行する
これまでにないくらいの集中力でページを斜め読みしていくうちに、気づいた。このテキスト、過去に誰かが編集している……?
不自然な箇所が幾つもあった。お父さんが言っていた『不具合』が頭をよぎる。テキストからは探索地の仕様と琥珀竜の置かれた境遇が読み取れて、驚きと同時に何とも言い表せないやるせなさが胸を満たしてゆく。
ドウッと鈍い音が響いて思わず見れば、琥珀竜を牛さんが角でがっちり押さえつけていた。まずい、時間稼ぎになればと思って威力強めに設定したけど、このままでは牛さんが琥珀竜を戦闘不能へと追い込んでしまう――この空間に掛けられている神竜へのデバフは想定以上に大きいみたいだ。
今さら遅いかもしれない。でも、僕は、今度こそ、話したいと言ってくれた琥珀竜を信じたい。上手くいかなかったとしても僕は死なないのだから――大丈夫、耐えられる。
ホーム画面に切り替え、発動中で光っている火炎のアイコンを開き、効果を解除。続けて稲妻のアイコンも開き、効果を解除した。さっきはあんなに怖かったのに、今はもうなんてことなかった。
ありがとう、虎さんと牛さん。
きっとまたすぐお世話になるので、今は休んでいてください。
それぞれがエフェクトを残して消える様子を見守っている時間はない。すぐにエディターボードを開き、ページをスクロールする。遠くで倒れ伏した琥珀竜がゆっくり身を起こして頭をもたげ、ブレスの予備動作に入った。――どうか、間に合いますように!
ページ最終にあった『起動条件』という項目に記されているコードを全部選択し、削除する。代わりの文章を打ち込む時間はない。そのまま進み、更新をタップした。これで強制的にバトルへ引きずり込まれることは回避できるはず……!
ローディングが入り、スマートフォンから馴染みの銀光があふれ出した――と同時、僕の全身は
もうだめと思ったら即意識を手放すのは、ここに来てから培われたある意味僕らしい特技で、でもあまり良くないと思う。だって意識が戻ったとき現状を把握できない。
死ぬことはないとクォームは保証してくれたけど、間近で無防備なまま神竜のブレスを受けたらどうなるんだろう。ケイオスワールドにおいてはクォームより神竜族のほうが強い――なんてことにはならないのかな。
取り留めのない思考だけれど、考えられるのは生きているからだ。どこも痛くないし、熱くもなかった。
目まぐるしく点滅する不穏なネオンカラーは消えて、白く明るい光が満ちている。砂漠特有のぎらつく太陽光線ではなく、記憶にある一番近いイメージは昼白色の蛍光灯……?
――おきて。
囁き声よりもひそやかに呼び掛けられた。途端によみがえる、強烈な既視感。
僕は、どうしてこの夢を忘れていたのだろう。
閉じていた自覚もない
夢の中で会った、小柄な天使の女性だった。大きな
リレイさんと同じやわらかそうな白翼と、リレイさんにはなかった頭上のエンジェルリング。いかにも
「……はい、起きました」
少しかすれていたけれど、ちゃんと発声できた……良かった。
神竜のブレスに負けることなく何とか無事生還できたみたいだ。自分の声が耳から入り音として認識されるのを実感して心底安堵する。
天使の女性は優しく微笑んだ。白が満ちた空間が徐々に現実の色を帯びてゆく。光が薄れるにつれて見慣れた人工的な壁を視認できるようになり、自分がまだ地下迷宮にいることを知った。
――え?
やっぱり、夢だった?
瞬きのたびに現実味が増す視界が夢から現実への帰還を証拠づけているようで、軽く混乱したまま壁を見つめていたら、近くでザリッと引きずるような音がしてはっとする。
壁のネオン回路も不穏な点滅も消え失せて、辺りは静まり返っていた。通路ではない広い部屋に佇んでいたのは、天使さんではなく、人の姿へ戻った琥珀竜だった。
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