[8-3]中枢エリア、琥珀との対峙


 ネオンカラーと炎の明かりに彩られた空間は幻想的で、少し怖い。足元に気をつけつつ、一歩一歩を慎重に進んでいった。虎さんは僕の歩みに合わせてくれているのか、先導されていても置いていかれることはなかった。

 お父さんがくれた地図マップ画像によれば、隠し通路は中枢エリアまではまっすぐで、そこからはボスエネミーの配置された部屋をぐるりと囲むように続いてゆく。分岐は二箇所あり、一つが地上へ戻る脱出口、もう一つは復活地点リスポーンエリア、つまりボスに敗北した時に戻され復活する部屋だ。

 オンラインゲームでは闘技場で負けても戦争に敗北しても探索で失敗しても、自分自身アバター消滅ロストすることはない。退会などでみずから削除するか、規約違反などでアカウントを抹消デリートされた時くらいだ。でも、おそらく、今は違っていると思う。


 僕自身はクォームが授けてくれた加護の呪いで死なない――消えないことは保障されている。でも、古書店主だった以前の僕や風樹の里の大人たち、他にも大勢の人たちがあの大崩壊の日に亡くなったことを思えば、復活リスポーンという仕様は失われたと考えるのが自然だ。

 お父さんによればここは高難度ダンジョンらしいし、ボス部屋には入らないようにとも言われた。おそらく、今の僕では勝てないとの判断だろう。

 名称からして古龍……強いドラゴンがいたのだろうし、今もいるかはわからないけど、好奇心で覗きに行くのはリスクが高すぎる。


 途中、二度ほど野生動物に遭遇した。オレンジ色の砂漠蜥蜴バジリスクと中型犬より大きな巨大蟻ラージアントだ。ランダムエンカウントの仕様が働いているのか、単にどこかから入り込んだだけなのか判断がつかないけど、どちらも虎さんのかくであっさり退散していった。

 切札、即効性には難があるけどそのぶん強力なんだろうな。すっかり安心し切って進むうちにボス部屋付近に到達し、ふと思い至る。万が一ボスエネミーとの戦闘を避けられなかった場合も想定しておかないと。

 切札画面に切り替えて『黒き稲妻』を開いた。今は対象として選べるものがないけど、威力の選択はできるようだ。消費魔力も足りているし、先に準備をしておこう。

 

 よし、と画面をマップへ切り替えた――そのとき。静かだった地下に重々しいうなり声が響いた。聴くだけで横隔膜が震えそうな低く強い威嚇の声を発しながら、虎さんは前方の暗闇を見つめていた。今までの野生動物なんて比較にならないほどの脅威がそこにある、とでも言わんばかりに。

 何かを引きずるような音が、どこかから聞こえてくる。虎さんがますます唸り声を強め、謎の音と混じり合って通路に反響するのが不気味だった。

 この反応でこんな場所、遭遇するとしたらボスエネミーしか考えられない。僕は覚悟を決め、切札画面へと切り替える。勝てそうにないとしても、戻ったところで道はないんだ。助けの手が来るまで時間を稼ぐか、最悪耐えるしかない。


 ――なぜかこの時、話し合うという選択肢は頭からすっぽり抜けていた。

 ここまでずっと歩いてきたのに地下にいるはずの真白さんと遭遇しなかった、という不思議も。


 だから、暗がりの向こうからネオンの薄明かりを受けて現れた姿はあらゆる意味で予想外すぎて、僕はすっかり思考停止してしまった。


 遠目からもわかる高身長、人間と変わらない姿。でもよく目を凝らせば、腰の辺りから別のシルエットが広がっている。火明かりに馴染むオレンジと赤の衣装は、多様なRPなりきりが見られたCWFけいふぁんでも珍しい部類の民族調だった。

 衣装のセンスは全く違うけど、この雰囲気には覚えがある。龍都の外で遭遇した黄昏たそがれ竜も、王都で謁見した浅葱様も、人の外見に竜の特徴を持ち、特徴的でお洒落な衣装を身に纏っていた。――まさか、古龍って、神竜族のことなの?


「……その牙を収めてくれ、人の子供。俺はあなたと、話がしたい」


 低く、抑揚よくようの少ない声だった。見た目は男性の姿だけど、声もそう。ますますたける虎さんを警戒してか、ぼんやり姿が見えるほどの距離で竜のひとは立ちどまったままだ。予想外を畳み掛けられ判断ができず、動揺と混乱のせいか息が詰まる。

 牙とは虎さん……切札のことだろう。操作一つで護衛を解くことはできるけど、それをすれば僕は無防備になってしまう。

 浅葱様は絶対に味方だと信じられる。でも他の神竜族はどうなのか。黄昏竜は、僕を食べれば結界を破る力が得られると言っていた。それが、神竜族の共通認識だとしたら――?


「で、できません」


 虚勢を張ろうとしても、声が震えるのは抑えきれなかった。せめてもの意思表示にとスマートフォンを突きつける。

 黒き稲妻で選択できる対象には『琥珀竜』と表示されていた。はくって……宝石の名称だったっけ。樹液の化石だった気がするけど、そこから連想できる題材モチーフが何も浮かばない。

 怯える僕を庇うように、虎さんが前傾の姿勢を取りながらゆっくり歩を進める。まだ距離があるけれど、重く固い何かがザリっと床を撫でる音ははっきり聞こえた。何かの予備動作かもしれないと思い、決定ボタンに指先を添える。


「……なぜだ。あなたは俺を狩るために来たのでは、ないのだろう?」


 ひどく悲しげな声音に胸が揺さぶられるようだ。それは、そう……だけど、彼の言葉を言葉通りに受け取っていいのか、それがわからない。

 だって、ハイエナの群れに襲われ、黄昏竜に今も狙われている僕のほうが、どう考えたって獲物のポジションだよね?

 切札の防衛程度で、神様にすら対抗できる神竜族のひとと対等に渡り合えるとは思えないけど、この局面で解除する勇気はなかった。


「もちろん、僕から攻撃するつもりはありません。でも僕は地上で神竜のひとに襲撃され、一緒に来た仲間と分断されている状態です。あなたが、黄昏竜と手を組んでいる可能性だって――っ、うわぁ!?」


 不意に突き上がった振動に足を取られた。このわずかな間に変化したのか、壁の模様が奇妙な具合に発光している。さっきまでの僕なら嬉々として動画を撮ったかもしれないけど、今はもうそんな気にはなれなかった。だって、足元が振動し、天井からは石や砂の欠片が落ちてくるって――絶対に崩壊の演出だよね!?

 生き埋めになっても僕は死なないだろうけど、痛いのも苦しいのも嫌だ。恐怖と焦りにせき立てられ見回した視界に信じられないものが映り込み、僕は今度こそ思考だけでなく全身がフリーズした。


 地震の振動や迷宮の崩壊、ではなかった――それよりも明確な脅威がすぐ目の前にそびえている。考えるまでもなく当然のことだ……黄昏竜も、浅葱様も、だったのだから。

 でもよりによってこんな、味方も逃げ場もほとんどない状況で!


 切札の虎さんよりもなお低く重々しい咆哮が、地下通路に反響して空気を揺さぶった。その声だけで崩落を招きそうなほどの、荒々しい響き。

 巨岩の山みたいな砂色の竜が、狭い通路を突き崩し押し広げるように立ちふさがって僕を見下ろしている。虹色のネオンと炎の明かりを映して深い金色に輝く瞳は、確かに。いつかネットの画像で目にした『琥珀』という宝石を想起させるものだった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る