[7-6]夢での邂逅、優しい甘さ


 見あげれば、雲ひとつない闇空に星がきらめいている。銀色の砂に覆われた地上はほんのりと明るく、地平線まで建物らしき影は見当たらない。

 この光景には既視感がある。銀君との旅の途中で何度か目にした夜の砂漠だ。あれ、僕、リレイさんの案内で地下シェルターにいたはずなのに、なぜ外へ出ているんだろう。


 不思議に思いながら辺りを見回せば、少し離れたところに人影が見えた。小柄な姿、背中の大きな翼、頭上の光輪――天使の、女の子に見える。

 向かい側にも人がいるようだけれど、闇に沈んでここからではよく見えない。


 ――あなただったの。


 ふと、声が聞こえた気がした。こちらを振り返った天使さんと、目が、合う。かなり離れているのに、彼女の口が動くのははっきり見分けられた。


 ――たすけて。


 えっ、と思わず声が漏れた。聞き違い? そもそも声は聞こえなかったけど……。まごついている間に彼女は背中の翼を羽ばたかせ、どこかへ去ろうとしている。

 駆け寄ろうにも足はまったく動かず引き留めるための声も出ず、天使の少女が光の粒子をまとい、溶けるように消えてゆくのを、ただ見送るしかなかった。



  ★☆★☆★



 ぽふぽふ、と柔らかなもので叩かれている。目を開けた僕は、いつの間にか机に突っ伏して寝ていたことに気がついた。何か夢を見ていた気もするけど思い出せない……。


「こーにゃん、おはん食べますのにゃん」

「大丈夫? 夕飯、大したものはないけど食べておきなよ」


 あれ、思ったよりも寝てた?

 テーブルの上に乗ってクジラを抱えているイーシィと、結構近い距離で僕を覗き込んでいるリレイさん。びっくりして、眠気が一気に吹き飛んだ。


「すみません! 寝てました!」

「寝てたっていうより魔力切れだよ、それ。睡眠で回復するものじゃないから、起きて食べたほうがいい」


 え、魔力切れって?

 何の話かわからず固まっていたら、イーシィが眼前に迫ってきた。


「こーにゃん寝ながら魔法を使てたぽいですにゃん。無理すると動けなくなっちゃいますにゃー!」

「無理は、してないよ!?」


 どんなに可愛いイーシィとクジラでも至近距離だと圧がすごい。間を保つべく急いで立ちあがれば、疑うような上目遣いで見られた。うーんせない。


「話は後にしよう。時間はあるからね」


 リレイさんの一声で仕切り直され、少し早めの夕食が始まる。干した魚をあぶったものに、ナッツを固めて焼いたお菓子のようなもの。チーズを挟んだパンと、なぜか僕の前にはチョコレートが置いてある。

 お菓子なんて今の世界では貴重品だろうし、僕が食べるより、子供たちへのお土産にしたほうがいいのでは。

 当然のように魚にかぶりつくイーシィを眺めるリレイさんの表情は、穏やかで優しい。この空気を壊してしまいそうで不安だけれど、思い切って申し出てみた。


「僕、食事は必要ないので……チョコを貰うのは申し訳ないです」


 つった青い目が僕を見て、細められる。慈愛とはおそらく違うものだろうけど、天使姿の彼が微笑むと、やっぱりとても綺麗だった。


「君はもっと我が身に起きている異変を自覚するべきだと思うけど、まぁ……無自覚なんだろうな。自分に起きた変化だから本質を把握できるってものでもないし、ね。だから、僕が観測できる範囲ではあるけど、君の生活指導をしてあげるよ」

「生活、指導? ええと、それがチョコとどう関係するんでしょうか」

「甘いもの食べて頑張りな、ってこと。あ、でも甘いもの苦手なら無理に食べなくていいけどね?」

「チョコは、好きです。ありがとうございます」


 話の流れがよくわからないまま、促されて一つを口に入れた。馴染み深いやわらかな甘さが口一杯に広がってゆく――と同時に、体が芯から温まる気がして少し戸惑う。ココアの時も似た感じはあったけど、チョコって別に温まる系の食べ物ではないよね。


「それ、幻魔法で作られたものだから食物としては価値がないんだよ。でも思った通り、君の魔力回復には効果あるみたいだね」


 不思議に思いながら口の中でチョコを味わっていたら、とんでもない種明かしをされて思わず飲み込んでしまった。

 そういえば、クォームにも以前、魔力変換効率について教わった覚えがある。これも、それと同じような話なの……?


「普通に、全然疑問も感じないくらいに、美味しかったんですけど」

「それなら良かった。今から切札の有効化を試してみるんだろ? 魔力消費が思った以上にきつかったら、食べるといいよ」

「はい。なるほど……? 魔力消費、自分でもよくわからなくて」


 執筆も、それを適用して修復することも、僕がやっていることではあるけど、どういう作用が働いているのかは全然わからない。執筆の後で異常な眠気が来るのは、もしかして魔力切れだったのかな。


「さっきこーにゃん寝てたとき、魔力が活動してるってりれしゃんってましたにゃん。なにか夢見てましたかにゃ?」

「夢? んー、うん、そうかも」

「おそらく、君の能力は夢をかいして働く性質なんだと思うよ。それが、君が修復する時に行使される魔力……と同一かまでは、まだ判断できないけどね」


 魚を二匹平らげたイーシィが、チーズパンにかじりつきながら話に加わる。思えばイーシィは格闘系で銀君は魔法が苦手だから、魔力の動きや流れは見えないんだろう。

 夢を介すると言われればお母さんのことが想起されるけど、修復はクォームの謎パワーで行われているんだろうし、関連があるのかは僕にもわからない。映写機のアップデートの後は眠ってないので、修復の程度によるのかも。

 確定的なことが言えない以上、手探りしながらやっていくしかないかな。


「切札の有効化が成功したら、僕また眠っちゃうかもしれません。その時は、よろしくお願いします」

「そんなの織り込み済みでここに一泊するんだから、かしこまらなくていいよ。僕の予想では、強制的な眠りを引き起こすほど大きな魔力行使にはならないはず……というか、予測はあるんだけど決定打に欠けるというか。まぁ、浅葱様にも約束したし僕が何とかしてあげるから、心配しないで」

「はい」


 胸にこごった不安が、やわらかな声音に溶かされ薄らいでゆく。背中を押される気分で、僕は胸ポケットから切札を取り出してテーブルに並べた。

 スマートフォンを隣に置きロック画面を解除して――ここからどうしよう。


「僕は見ないほうがいい? それなら奥にいるけど」

「いえ! あの、リレイさん……竜属性が好きじゃないってことなので、嫌な思いさせちゃうと申し訳ないんですけど、僕としては、一緒に知って欲しくて」


 気を遣ってくれたのか席を立とうとした彼を、慌てて呼び止めた。お母さんのこと、夢と魔力の関係、魔力切れの症状。僕には理解できないことがどんどん押し寄せてきて、聞いてくれる誰かに頼りたくって。

 泣きそうな顔をしている自覚はあったけど、僕を見たリレイさんの表情は少し驚いたふうで。何も言わずに、座り直してくれた。


 どうしようか迷うときはやっぱり、これしかない。チャットの吹き出しをタップして、慎重に文字を打ち込む。


[『切札』という魔法カードを譲っていただいたんですが、有効化はできますか? スペルを書き込んでくれた天使の方も、今一緒にいます。]



 

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