[7-5]母の記憶と、夢渡り


 リレイさんの魔法に照らしだされた室内はビジネスホテルを広くしたような造りだった。

 奥の方に大きなソファーベッドが二つ、壁側に扉がいくつか……物入れやシャワー室なのかな。空飛ぶランタンの光では、ぼんやりとしか見えない。


「室内は靴のままで構わないけど、ベッドで横になる時は脱いでね。僕は食事の準備してくるから君は休んでていいよ。通話してもいいけど、狭くて話の内容が筒抜けになっちゃうから、聞かれたくないなら音遮断の魔法かけてあげるけどどうする?」

「いえ、通信はメールなので……」

「ならいいか。必要なら言ってくれれば、対応するよ。それじゃ、僕は奥にいるから」

「ぼくもお手伝いしますにゃん」


 リレイさんとイーシィがそう言って奥のほうへ消えていったので、僕は足元に残されていたクジラを抱え上げて、少し考えた。もしかしてふたりは、僕がゆっくりメールチェックできるよう気を遣ってくれたのかな。

 気になることがあると他へ気を配れなくなっちゃうのは悪い癖だと思う。それでも、今は一つ一つを解決していくしかない。


 横になったら一気に眠気が来そうだったので、小さなテーブルの横にあった椅子へ座ることにした。テーブルにクジラを置いてからスマートフォンのロックを解除し、メッセージを開く。緊張しすぎて喉が苦しい。

 件名を見て心臓が跳ねた、気がした。『恒夜へ、お母さんについて。』と書かれている。

 一度目を閉じゆっくり息を吸って吐いて――思えば呼吸も必要ないのかな、今考えるのはやめておこう――覚悟を決めて開く。思った通り、添付されていたのは写真だった。


「このひと、お母さんなのかな」


 大きな桜の下に立つ、制服姿の女子生徒。解像度が低いのか拡大するとぼやけてしまったけど、笑顔で写っていることはわかる。

 何となく本文に進めず写真を眺めていた僕は、ふと、桜の樹に重なるようにして立つ人影のようなもの……に気づいて震えあがった。何これ、心霊写真なの!?

 というか、うん。本文を読めってことだよね。

 お父さんは僕を驚かせようと悪戯を仕掛けるような人ではないから、この写真のことも書いてあるはず。緊張と不安を胸に押し込んで、息を詰め本文をスクロールする。

 そこに書いてあったのは、びっくりするような話だった。

 


 ――恒夜へ。


 お母さんのこと、ずっと話せずにいてごめん。今のおまえならわかってくれると思うが、話しても、信じてもらえないと思っていた。下手な嘘、作り話で誤魔化そうとしていると、おまえに思われたくなかった。今さらだが、こういうことになるなら全部話しておけばよかったと思う。本当にすまなかった。

 おまえのお母さん、千花は、生まれも育ちも日本人だ。しかし幼少時から不思議な能力を持っていたらしい。前にも話したが、妖精や精霊といった存在が見えると言っていた。突然発生的なもので、ご両親には信じてもらえず理解を得られず、家族の中で孤立していたと聞いたよ。一緒に送った写真にも風の精が写っているらしい。俺には見えないが、恒夜なら見えるかもしれないな。



 風の精、なのか。全体的に青色の影が見えるけど、姿形を見分けられるほどではない。目の前にいて見える見えないだけでなく、写真でさえ視認が分かれるのは不思議だ。クォームたちなら、もっとはっきりと見えるんだろうか。

 ここまでは以前に聞いて知っていることだった。胸の高鳴りは少しおさまったけど、緊張は変わらない。本文へ戻り、続きを読む。



 自分でも不思議なのだが、俺や風見矢(お母さんの旧姓)の家で、千花は亡くなったことになっている。しかし思い出そうとすればするほど記憶は曖昧で、どちらが夢か現実かわからなくなってしまう。彼女が夢に現れるようになったのは三年ほど前からで、数えるほどしかないのだが、いつも何かを伝えようとする様子が気になっていた。それで俺も自分なりに昔の日記や手紙を掘り起こし、記憶を辿っていたんだ。

 おまえが異界にいると聞いて、思い出したことがある。お母さんは明晰夢を見ることが多かった。遠く離れた誰かに会う夢、異界を俯瞰する夢。想像力の逞しいひとだからと不思議にも思わなかったが、もしかしたら本当に異界へアクセスしていたのかもしれない。


 春になるといつも、千花が桜に攫われるのではと心配していたような気がする。俺には異界に関する知識も適性もなく確定的なことは言えないが、千花は今でも生きていて、俺や恒夜に会いたがっているのではないだろうか。もしおまえの夢にお母さんが出てくることがあったら、どうして欲しいかを聞き出して欲しい。

 おまえの身に起きたこともすぐには気づいてやれず、本当にごめん。父親としては一刻も早く無事に帰ってきて欲しいが、慎重なおまえが悩み抜いて決めたことなら、人生を懸けてもいいと思えるほど大切なことなのだろう。おまえの安全と成功を願っているよ。


 そちらの環境がどんなものかは想像もつかないが、体に十分気をつけて、我慢しすぎないように。応援している。頑張れ。


 ――お父さんより。



 読み終えて少しの時間、放心していたように思う。メールの内容からお母さんに何が起きたのかを推測することはできず、本当に生きているかもはっきりしなかったけど、クォームに調べてもらえればわかるかもしれない。急くような気分のままホーム画面へ戻り、チャットログにお父さんから送られた写真を貼り付けて送信する。

 あとは、何だろう。名前と旧姓、お父さんが書いてくれた不思議な力や明晰めいせきのことを伝えれば、調べられるかな。

 迷いながら文章を書いたり消したりしていると、スマートフォンが振動した。思わずテキストウインドウを閉じて確かめれば、ミニキャラのクォームがびっくり顔になっていて、吹き出しに見慣れない言葉がある。


[マジか! 恒夜の母親って夢渡りだったのかよ!]


 え! 写真だけでわかるものなの!?

 驚いた勢いで書きかけの文章を飛ばしてしまい、急いで「夢渡りって?」とだけ返した。少し間があって、ログが動く。


[夢渡りは『夢を介した時空跳躍の能力を持つ人間』で、ドリームウォーカー、漂流者とも呼ばれることがある。人の身体に多量の魔力を宿すため虚弱で、特定の世界に根ざすことができず、異界へ流されれば以前の世界では痕跡を抹消されてしまう儚い存在だ。だが君の母親の場合は家族を持つことで運命がつながり、記憶に残っているのかもしれない]


 丁寧な説明はおそらく技術担当さん。文章にわかりにくいところはなかったけど、すんなり飲み込むのは難しかった。

 僕は、お母さんの顔も声もほとんど覚えていない。世界によって記憶が消されてしまうのだとしたら、今残っているわずかな記憶もいずれ消えてしまうってことなのかな。お母さんは、今もどこかで生きていて会いたがっている……かもしれないのに?

 僕がここ、ケイオスワールドで何とかやれているのは、クォームから破格の加護をもらっているからだ。

 でも、人間で、虚弱で、ともすれば世界から弾かれてしまう存在――そんな人が異界に流されて無事でいられるのかな。何か危険な目にって、助けを求めているのでは……。


[落ち着け、恒夜。俺様、おまえの母親と会ったことはねーけど、その写真見るに俺の知り合いが関わってる件らしいから心配ないと思うぜ。俺から状況聞いてやるから、あまり思い詰めず待っとけ]


「……はい」


 つい、言葉で返事してから思い直し、ログに「わかりました」と書き込んだ。

 そうだよね。すごく気になるけど、今の僕にできることはない。お父さんへの返信も、伝えられることがもう少しまとまってからにしよう。


 大きく息を吐き出して目を閉じる。

 こんなことを言っても今さらでしかないのだけど、日本で僕を――そしてお母さんのことをも心配しているだろうお父さんへの申し訳さが胸いっぱいに広がって、しばらくは目を開けられそうになかった。


 


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