[7-3]龍都を後にし、北を目指して


 離陸の興奮が冷めたあとは僕もイーシィもほとんど口を利かずに、眼下の景色をずっと眺めていた。

 スマートフォンのナビを見ると、リレイさんは北へ向かって進んでいるらしい。始まりの地点が大陸中央部の中央聖堂、そこから僕と銀君は風樹の里を経由し、ほぼ南西にくだるルートで碧天へきてんの龍都までやってきた。

 龍都を発って北上し、今は新たなエリアに踏み込んだところだ。


 本当のところ、お城のバルコニーから空へと上昇しながら見た、だんだんと小さくなってゆく龍都の光景には感動すらした。

 碧天と呼ばれるにふさわしい鮮やかなあさ色の屋根と、輝く白の外壁で彩られた堂々たるお城は、遠目からだとシミひとつなく見える。主城に寄り添って広がる森林、それに守られるような青空を映した湖。

 お城を中心としておうぎ状に広がる建物群――街の周りには整地された畑が広がって、所々に牧場のようなものも見えた。草をはむ牛や山羊たちが、世界の崩壊など忘れそうになる豊かな営みを感じさせてくれる。


 でも、そんな牧歌的な光景が見られたのはほんのわずかな間だった。


 中央のお城から離れるにつれて、壊れた建物や積み上がったれきが目立ちはじめた。道が途切れて陥没かんぼつしていたり、逆に石畳がめくれ上がって道をはばんでいる場所もあった。

 気づけばあっという間に、昨日僕が通れなかった結界のある場所――柵が張り巡らされた外との境界まで来ていた。


「今日も、憎らしいくらいにいい天気だよね」


 リレイさんがぽつんと呟く。その言葉につられて見あげれば、雲ひとつない快晴が目を直撃した。連想して外の強烈な陽射しと熱気を思い出し、今さらながら心配が湧き上がる。

 雪豹って寒冷地のいきものだと思うのだけど、イーシィ、熱中症にならない?


「ぼく海賊船育ちだから、暑いのは平気へーきですにゃ」

「本当に? 具合悪くなりそうだったら早めに言ってね」

「はいですにゃん」


 リレイさんが張ったシールドの効果なのか、龍都の結界を抜けてもそれほど暑さは感じなかった。といっても僕は呪いの加護で温度変化に鈍くなっている可能性があるから、いつも以上に気をつけてあげないと。

 それからはまたしばらくふたりで無言のまま、眼下に広がる景色を眺めていた。


 龍都の近くは土色と砂色が混じった地面が多かったけど、離れるにつれて白の面積が増してくる。元が何だったのか判別できないほどに崩れ落ちた建物群、き出しの土台を覆う白いれき

 文明が白砂に呑み込まれゆくような光景は幻想的で美しいと錯覚しそうになるけれど、そこは全部かつて人々が生活をしていた場所だ。地上を旅していたときには見えなかった破壊の爪痕つめあとも、至る所に埋もれている干枯らびた骨のようなものも、上空からならはっきり見分けられる。その元の姿を僕は想像することすらできない。


 写真を撮ろう、とは思えなかった。それを自覚したのは、だいぶ空のみちを進んでから。

 撮る気にならないというより、撮ってはいけないと強く思った。眼下に広がるのは造られた廃墟ではなく、興味本位で眺めるべき光景でもない。カメラを向けて、写真フォルダの中に残していい景色ではないんだ。

 無意識に、毛皮をつかむ指に力を込めていたのかもしれない。まっすぐ前を向いていた狼リレイさんの頭が動いて、青色の目が僕を一瞥いちべつした。


「君は、物語を書く人だったっけ。地上で見るのと、この高さから見るのとでは、結構違うだろう?」


 見透かすような一言にどきりとする。はいと応じたつもりが、声には出ていなかった。僕やイーシィの返答を待たず、リレイさんは続ける。

 

「記録する者がいなければ、伝える者がいなければ、記憶は風化し過去は忘れ去られてしまう。かつてあった国も、生きていたひとも、営まれていた文化も……ね。だから、物語を記憶しようと頑張ってるイーシィにゃんを僕は尊敬してるし、彼女をそう動かしたのが君だというなら、僕は君のことも尊敬できると思う。でも君たちは、それが自分自身にどれほど負担となるかわかっていない気がするよ」


 リレイさんが何を言わんとしているのか上手く理解できなくって、僕は黙って耳を傾けるしかできなかった。められてるのか、苦言をていされているのか……。

 腕の間でじっとしていたイーシィが、わずかに身じろぐ。


「大丈夫ですにゃん。りれしゃんこそ、ひとりで頑張るの良くないですにゃ」

「僕は、今は、全然頑張ってないし」

「そゆことにしときますにゃん」


 結局なにも口を挟めないまま、話はそこで終わった。そこからはまたお互い言葉も少なくなり、静かな空の旅が続いたのだった。




 スマートフォンが振動し、眼下に見入っていた僕は意識を引き戻された。はるか上空を飛んでいる真っ最中にスマートフォンを確かめるのは、落としそうでちょっと怖い。かなりの時間飛び続けている気がするけど、リレイさんはおばけだから疲れないのかな。

 僕や、おそらくリレイさんも飲まず食わずで大丈夫だけど、イーシィはそろそろ喉が乾いたんじゃないだろうか。お腹は空いてないかな。今の通知は誰からだったんだろう。

 意識し始めたら次々に気になりだして、胸ポケットからスマートフォンを取り出そうかやめようかと心がそわそわしだす。でもイーシィは変わらずじっと座って景色を眺めているので、切り出すのも気が引けた。


「そろそろ、休憩しようか」


 ふいにリレイさんが発言したので、びっくりした僕は出かかった悲鳴を何とか飲み込んだ。飲み込んだせいで、とっに返事ができなかった。


「休憩できる場所、あるのですかにゃ?」

「もう少し進むとあったはず。イーシィにゃんは食事もしないとね。恒夜君も、カードの有効化を試したいだろうし」

「――は、はいっ。そういえばそうでした」


 言われてはっと思い出した。切札カードの有効化ができるかどうかも、クォームに聞こうと思っていたんだった。乗っている間にメッセージを送れば効率が良かったのだろうけど、やっぱり上空でスマートフォンを取り出すのは怖い。

 ますます気持ちが焦ってきた僕の様子を、リレイさんは察したのかもしれない。狼の姿なのに人のような忍び笑いを漏らし、念押しするように言った。


「快適な宿とは言えないけど、一晩過ごせる場所だよ。この先……試練が待ち受けている可能性が高いなら、準備を整えないと。僕、着地が下手で降りるときに風が巻くと思うから、しっかり掴まってなよ」





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